放浪の王子 第8章 -2-

 ——ハダラーは王宮に戻ってからも、後宮に入ることを拒むシャロナのもとへお忍びで会いにやってきては、彼女に求愛した。
 ひそかに王の暗殺を狙っていた重臣エランドは、王がジョルジナ村へ向かうときに刺客を差しむけた。少しの部下しか連れていない王を狙うのはたやすいと考えたのだ。
 しかし王は神剣を携えていた。そのために刺客は暗殺に失敗し、代わりにシャロナを人質にとり、神剣を捨てねば彼女を殺すと目の前で脅した。
 王が神剣を捨てれば命の保証はない。迷う王にシャロナは言った。自分はただの村人にすぎないが、貴方はすべての国民のための存在である、だから軽々しく命を捨ててはならないと。
 その言葉にハダラーは心を決めた。彼は刺客にむけて自ら携える神剣を、捨てるのではなく投げつけた。驚くことに剣は正確に刺客の胸を貫きシャロナには傷ひとつつけなかったのである。
 かくして王は自分の暗殺を企てた重臣エランドを処刑し、シャロナを貴族の養女としあらためて王妃に迎えた——

 ぱらぱらと喝采の声が聞こえてきた。気づけば中庭には大勢の神官が集まっていた。
「——殿下、ひさびさに聴かせていただきました。あいかわらず良いお声だ」
 これはミルラウスだった。
「いつの間に……」
 アルクマルトは鼻白んだが、エリアスが嬉しそうに、
「殿下、感動しました。——こんな続きがあったとは」
 そう言ったので、安心したように竪琴を膝のうえからおろした。
「しかし、あまり知られていないというこの続きのほうが良い話だと思うのですが?」
 前半はたんなる悲恋にすぎず、ありきたりな物語であるとも言える。むしろこちらの後半のほうが宴会の場などでは盛りあがる内容だろう。
「そうだな。だが全部を唄うのはけっこう長いので、難しいところなんだ。それにもっと派手で有名な詩がたくさんあるから、この詩は候補になりづらい。私は好きなのだがな——」
「しかし、ハダラー王の妃の名はフォリディナというお名前だったような……?」
 ハダラー王の名は、アルダーナでは子供たちも歴史を学べばまっさきに教わる。その王妃の名前も。
「シャロナは……貴族の養女になって名をフォリディナとあらためたのだ。まあ形式的にな」
「そういうことだったんですね。——ですが」
 やや腑に落ちないといったふうに、エリアスは首をかしげた。
「それができるのなら、最初から愛妾ではなく王妃として迎えれば良かったのではありませんか?」
 この詩があまり唄われない理由のひとつが、おそらくはこの疑問だろうとアルクマルトは考えている。最後には王妃に迎えたくらいだから、最初からそうしておけば揉めることもなかったのではと思う聴衆は多いだろう。
 むろん揉めたからこそ重臣の悪だくみとそれを止めたハダラー王の逸話が活きてくるのだが。
「それはハダラー王に聞いてくれ……というところだが」
「……」
「私は彼が最初は本気じゃなかったんだろうと思っている」
「はあ、なるほど——」
 最初はただの恋にすぎなかったのだろう。王は何人もの愛妾を後宮におけるし、ちょっと興味があれば召し上げるというのが多い。それはアルクマルトも自分の父を見てよく知っていた。
 ハダラー王は農夫の娘を王妃に迎える気はなかったのだ。だがシャロナの言葉で王は気づいた。彼女こそが自分を支えてともに王国を治めるのにふさわしい女性だと。
 アルクマルトも自分がその二人の血を引いているのだと思うからこそ、命がけのシャロナの心意気に王がうたれたことには共感するのだ。そしてハダラーがシャロナを見殺しにしなかったことにも。彼は神剣の主だった。
 詩が終わったので、中庭に集まっていた神官たちがすこしずつ各自の部屋へと戻っていく。ここもまもなく暗くなってしまうだろう。
「エリアス」
「はい?」
「そなた——いや、いい。また明日な」
「おやすみなさいませ、殿下」
「おやすみ」
 言おうとして言えなかった。アルクマルトが神官長に会ったら、エリアスはそのあとはどうするのかと訊きたかったのに。
 彼の役目はアルクマルトと神官長を無事に引き合わせることだ。いまはまだ護衛としてここにとどまっているのかもしれないが、任務が終わったらどうするのだろう。
 ひとりの部屋にもどり、アルクマルトは竪琴の弦をゆるめた。レベトの町での約束をやっと果たせたことは嬉しかった。

 バルームの神殿に逗留するあいだ、アルクマルトは神官とおなじ衣装を借りて身につけ、彼らと同じように生活することにした。
 朝は畑仕事や家畜の世話をする。いまは穀類の収穫が終わってしまっているので野菜や香草が中心だが、神殿が持っている畑はなかなか広大であった。また山羊や羊に牛、それにニワトリなども飼われていて、食料として利用するだけではなく、羊毛を刈って紡いだり皮革を加工したりということも神官たちがおこなっていた。
 午後は肉を塩漬けにしたり、摘んできた果実を酒や蜜漬けにしたりという作業が中心だった。とくに今の時期は冬を迎えるための準備が多く、保存食をつくる作業がたくさんある。
 神官の衣装は白にちかい灰色の長衣で、頭には帽子をかぶり布で髪をおおいかくしてしまうものだった。位の高い神官はさらに帽子から布を長く垂らすのだが、農作業などに従事する若い神官たちにはそういう装飾はないほうが楽だろう。実際、屋外での作業中は頭にかぶりものをしないことが多かった。
 アルクマルトが慣れないながらも頑張って作業に従事するうちに、神官たちともすこしずつ話ができるようになった。
 夕暮れがちかづくと作業は終わりで、各自はあたえられた小さな部屋にもどる。いわゆる自由時間だが、消灯までのあいだ蔵書庫の書物をひもといて勉学に励む者もいた。湯浴みは共同の場所があり、身体がやっと入るだけの桶で身を清めていた。
 食事の時間は日に三度だ。肉体労働のうえ若い神官が多いのでみなが満足しているかはわからなかったが、肉も野菜もそれなりの量があり、けっしてわるいものではない。
 厨房や湯を沸かす者は順番に係が決まっており、神官はみなそうやって毎日の生活をやりくりしているようだった。
 近隣の住民のための救護院のような設備もあるのだが、町民がそう貧しくないためか利用される機会はすくないらしい。こちらはアルクマルトの出入りは禁止されていたので、あまり詳しい状況はわからずじまいであった。

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