友情偏差値ボーダーライン 日常の風景1

 鳳聖学園は、中高一貫教育の男子校である。全寮制のために学生数は少ないが、有名大学への進学率では全国的に名を知られていた。
 地元の小学校で学年トップの成績だった者も、地域の公立中学校ではなく私立の進学校に入れば、そこではただの人になる。トップレベルのなかでトップレベルになれる者はそうそういないのだ。
 将来は一流大学に入学することを目指し、生徒たちは日々勉学にいそしむ。思春期という年頃なのだから、いろいろな悩みや迷いもあるだろう。それでも、前に進まねばならない。その重圧は誰しもが感じていることだった。

 ジリリリリリーン!
「わっ、もう朝かよ」
 ただ目を覚まさせるためだけに鳴る無粋なベルの音で、春日部亮は飛び起きた。
 起床時刻は毎朝七時である。もうちょっと寝ていたいところだが、点呼があるから廊下に出ねばならない。
(……ちっくしょー。今朝ちょっと冷えるな。布団が恋しい)
 パジャマ代わりのトレーナーの上にパーカーを羽織り、のそのそと二段ベッドのはしごをおりる。すると、扉の前で同室者の蘭堂尚人が立って亮を待っていた。
 朝は全員がそろってから廊下に出て点呼をうける。寮生活は同室者同士連帯責任を負うことになっているから、点呼も部屋単位で行われるのだ。だから彼は亮が起きてくるのを待っていた。
 蘭堂尚人自身は、早朝まだ消灯中の寮内でここだけは明るい食堂で勉強するため、毎日起床時刻よりずっと早起きしていた。
「おはようさん。ふああああ……お待たせ〜」
「おはよう。じゃあ廊下出るぞ」
「ふあい」
 蘭堂尚人には、眠そうなようすもない。勉強してきたからもう頭は冴えているだろう。
 朝早く起きて食堂で勉強することを、『朝食堂』とみなは呼んでいる。亮と仲のいい山名も朝食堂の常連で、成績は学年でも十位に入るほどだ。
 亮もたまに顔を出すのだが、朝冷え込む時季はなかなか早起きが出来ない。どちらかというと寒いのは苦手だ。
 廊下に出ると、点呼係の教師が歩いていた。ジャージを着た筋肉質の男は、体育教師の向井だった。寮内は生徒の自治が基本だが、朝晩の点呼は教師が担当している。
「十四号室、起きたな。点呼すっぞ。春日部亮」
「ふあい」
「蘭堂尚人」
「はい」
「春日部、いつまでも寝ぼけてないで、さっさと顔洗ってこいよ」
 そう言うと向井はとなりの部屋の点呼に向かった。
「はいはい、言われなくったって顔洗いますよ〜もう」
 洗面道具を取りに部屋に入ると、蘭堂尚人は机に座って英単語の豆本を手にしていた。だいたいは洗面とかそういうのは起床点呼前に済ませているらしい。
 朝食が七時半だから、あと三十分はある。そのあいだまた布団に入る生徒も多いのだが、彼は少しの時間も惜しんで勉強する。
「……蘭堂さあ」
「なんだ?」
「毎日早起きしてるけど、授業中に眠くならないか?」
 亮はただ、当然のように「眠くない」という返事がくるものだと思って聞いた。だが蘭堂の反応は予想とはまるで違っていた。
「もちろん、眠いときもある。……だけど寝ているわけにはいかないんだ」
「……」
(あ、こいつもやっぱ眠くなるんだ)
 そう思うと同時に、蘭堂尚人はどこか追い立てられるように勉強しているのではないかという気がした。まるで勉強し続けなければならない呪いをかけられているように。
 最初おなじ部屋になった直後は、真面目でただひたすら勉強している、という印象だけがあった。勉強するロボットのようなイメージだ。
 だけどこうやってなにげなく交わされる会話から、すこしずつではあるが、そうではないのだということが亮には解ってきた。
 ただ、お互いのプライベートな話をするほど打ち解けていないために、どうしても蘭堂のことが掴みきれない。
 そのもやっとした気持ちのために、亮はつい彼のことを気にしてしまうのだ。
 相手のことをわからないままでも、同室者としての生活は出来るかもしれない。だがそういう割りきった生活を三年間ふたりで続けるのはツライだろうと思った。
「……あ、いけね。顔洗いに行くんだった」
 本来の目的を思いだし、亮は洗面道具を手に廊下に出る。
(べつに河辺の賭けにのったわけじゃないからな! だけどうちとけたほうが楽しいはずなんだよ)
 笑顔のなくなった蘭堂尚人を亮が笑わせるかどうか、という賭けは友人の河辺が言い出したことだ。亮はそれには答えていないのだが、蘭堂の笑顔を見たいという気持ちはもちろんあった。
 冷たい水で顔を洗うと、一気に目が冴えてきた。
 まだ新学期は始まったばかりで、とくに高等部に進学した新一年生はいままでと違う寮生活の環境に戸惑いながら生活している。
(今のままじゃ、オレが嫌なんだ。居心地わるくて)
 中等部のころは和気あいあいと寮生活を送っていたことから、高等部でも同じような雰囲気で過ごせると思っていた。それだけに亮はいまの状況があまり気に入らなかった。
 なんとかしたいとも思っている。
(腹へったな……。とりあえずメシだメシ)
 朝の身支度を終えた者たちが、すこしずつ食堂に集まって行く。亮も食堂に向かう。
 今日も一日が始まろうとしていた。