友情偏差値ボーダーライン 前日譚

 鳳聖学園は、中高一貫教育の男子校である。
 全寮制のために学生数は少ないが、有名大学への進学率では全国的に名を知られていた。
 学校のカリキュラムは学力重視で組まれており、予備校や塾あるいは家庭教師などがなくても生徒たちを有名大学に合格させているほどである。
 私学であるし、学費に寮費とその費用はかなりのものになるから、それなりの収入がある家庭の子供が多い。だが学力優秀な生徒を受けいれるため成績に応じて学費や寮費の一部或いは全額免除の制度もあり、なかには苦学生も混じっていた。
 寮は中等部では六人ずつの大部屋で、各自パーテーションで仕切られた空間ですごす。けっして広くはなく、私物の持ち込みもさほどできない。それが高等部になると、環境重視という意味で三人部屋になる。ここでも決して部屋は広くはないのだが、同じ部屋にいる人間の数は少ないほうが静かで勉強にも集中しやすい。高等部になれば本格的に受験勉強が始まるからだ。
 高等部の寮は三棟あり、学年ごとに別れていた。寮の中では同級生ばかりなので、わりとのびのびとした雰囲気があった。
 学園内および寮内は、生徒の自治が基本となっている。ルールも自分たちでつくり、揉めごとや騒動はできるだけ生徒が自主的に解決する。最終的には教師がその監督役をするのだが、暴力沙汰などの問題でないかぎりは、あまり出番がなかった。
 寮内の共有場所の掃除、消灯前の点呼、たまに行われる私物検査なども、すべて生徒たちの自主的なものである。慣れ合い的な雰囲気はそれほどなく、担当の生徒たちもまじめに務めを果たす。それは各学年ごとに生徒から選抜された寮長の指導がそれなりに厳しいから、というのがあった。
 寮長は寮内でのさまざまな人間関係も把握しているが、けっしてそれを口外してはいけないという暗黙のルールがある。人に話しにくい悩みごとがある者は寮長に相談してアドバイスを受けていて、その信頼は大きかった。
「明日は寮の部屋割りの発表がある。明後日は高等部の寮へ引っ越しだ。……今日のうちから片付けておけよ」
 娯楽室でテレビを見ている者に、中等部の総寮長である箕川が声をかけた。彼の一年間の総寮長の役目も、今日で最後になる。
「了解しました、寮長どの!」
 河辺卓が茶化したように答えた。同じ中等部三年――もう四月になっているので正確には高等部一年生なのだが――だけに、親しみがこもっていた。
「亮はどこ行ったんだ? まだ風呂か?」
「寮長どの、春日部くんは部屋でゲームしております」
「同じ部屋だろ? 亮にも片付けの件、言っておいてくれよ」
「合点承知」
 箕川は娯楽室を出て行った。学業以外にもやることが多い寮長は決して楽なものではないが、鳳聖学園で寮長をやっていた、ということが大学を出て就職活動のときにも有利になるという。リーダーシップや問題解決力が高いという評価らしい。
「ほぁ……テレビなにやってるんだ?」
 春日部亮がふらっと娯楽室にやってきた。
「おや、ゲームはもう終わったのか?」
 河辺が亮のほうを振り返る。
「今日はなんだかやる気でなくて」
「おっ、明日オレと別れるのが寂しいんかよ?」
「そーゆーわけではなく……」
 たわいもない会話が交わされるが、三年間作り上げてきた生活空間が明日からガラッと変わってしまうことへの惜別感は、誰にでもあるはずだった。
「なあ、河辺。オレらもいよいよ高校生だな……」
「ああ」
「制服のネクタイの色も変わるし」
「ネクタイの色だけな」
「まあ、そうなんだけどさ」
 中等部も高等部も制服は焦げ茶のブレザーである。ネクタイの色は中等部が赤色で高等部は青い。
 だが変わるのはそれだけであった。そのため新品を買い揃える生徒は少なく、だいたいはサイズが合うあいだは中等部の時のものをそのまま着ることになった。
「ちょっとは大人になったのかな」
「……どうしたんだよ、急に」
「いや、なんとなく」
 昨日と今日とのあいだに線が引いてあって、その線を超えれば中学生が高校生になる。自分たちの時間はそうやってカレンダーに区切られて動いていくことを、亮はどことなく味気ないものに感じていた。
「おまえ来たばっかでアレだけど、部屋帰ろうぜ」
「……なんだよ」
「ポテチとコーラ買ってきたんだ。今日の晩メシ、ちょっと少なかったし、食おうや」
「おっ。ポテチ、コンソメある?」
「ああ、あるある。期間限定の明太子マヨネーズも買ってある」
「やったー」
 春日部亮と河辺卓は同室である。それも今日が最後になるかもしれない。
「へへっ。あとの四人も一緒に、な」
「ありがとな、河辺」
 中等部の三年間は多感な年頃でもある。その期間をいっしょに過ごした面々は、思い出も共有していると言っていいだろう。
 これから三年間おなじ学園内ですごすにしても、やはり今日はそうやってワイワイやりたい気分になるものだ。
「ま、高等部でもお世話になると思うし、お世話もすると思うけどな!」
「ああ。まあなにかあったらヨロシクな」
 そう言いながら二人は娯楽室をあとにした。
 今日は心なしか娯楽室も空いているように見える。きっとみな自分たちの部屋にいるのだろう。
 ささやかな、別れの宴を楽しむために。そして、新しい学校生活をむかえるために。