放浪の王子 第19章 -1-

 「殿下、目的地に着いたようです」
 そう声をかけられ、まどろんでいたアルクマルトは目を覚ました。
 サンジェリスとサウロスとともに、幌付きの二頭だての馬車に乗せられ、人目につかないように護送されてきたのだ。
「……」
 斬られて倒れていった兵士たちを思うと、気持ちは重かった。もちろんオーズの部下も何人か返り討ちにあってはいた。
 ナシジは捕らえられ、捕虜として同じように連れていかれることになったらしい。神剣を預かっていることがオーズに知られてしまい、死亡や逃亡を阻止するためにあえて捕らえられたのだ。
 馬車の窓から見えるのは、街の郊外の畑であった。そろそろ雪が降ろうという季節のために緑は少なく、農作業をする民もあまり見られない。見れば空はどんよりと曇って重く、気持ちがさらに沈むようだった。
「ここが……」
「はい、セブリヤの街です」
 サウロスがすこし緊張した面持ちで答えた。
 いよいよここは敵地である。
 馬車はなおも進み、やがてセダス公の城の敷地内に入っていった。
 ていねいに整えられた庭園と瀟洒な石造りの城であった。領主の城としては、大きくて立派な部類に入るだろう。
 正面玄関のまえに、前庭があった。ちょっとした広場くらいはあるだろう。灌木の生け垣に囲まれたその庭の真ん中あたりに馬車は止まった。
「殿下、どうか馬車より降りてくださいませ」
 近衛隊長のオーズが、声をかけてきた。
 アルクマルトはなにも言わなかった。ここではなにをどう逆らったところで無意味だからだ。
「お世話がかりの方々は、そのまま馬車に」
「……殿下」
 サンジェリスがそっとささやくように言った。
「あなた様に、天空神のご加護を」
「……」
「わたくしも参ります」
 そう言うと、アルクマルトにつづいてサンジェリスも馬車からおりた。だが誰も止めようとはしない。まるで他の者には見えていないようだった。
 オーズ率いる近衛兵たちが、この庭を取り囲むように散開していく。アルクマルトの近くに、後ろ手に縛られたナシジが連れてこられた。
 城の正面の扉が開かれた。
「……!」
 忘れるはずもない、叔父のセダス公の姿がそこにあった。
「……ほう。神官たちめ、さすがに本物を寄こしたようだな」
 階段をおりてゆっくりとこちらに近づいてくるその尊大な態度の男は、冷ややかな眼差しでアルクマルトを見下ろしていた。近衛兵たちはつぎつぎとその場で膝を折って彼に敬意をあらわす。
 アルクマルトの替え玉の可能性を疑っていたのだろう。取引をもちかけておきながら、エルフィード神殿のことも信用していなかったということだ。
「叔父上……」
 金褐色の髪におなじ色の口ひげをたくわえたセダス公は、アルクマルトからすこし離れた一段高い場所で止まると、フンと鼻をならした。
「驚いたな——さすがに年齢や背格好だけでなくその顔に似た男を探すのは難しかったか」
 替え玉などを用意したところで、こうやって対面したときに殺されて終わりだ。だからアルクマルト本人が出向くことが重要なのだ。
「……あなたのなさっていることは、王の意向に逆らうことだ。ご自分の立場をわかっておいでか?」
 王が護衛に向かわせた兵を襲いアルクマルトを王都ではなく自分の所領に連れてこさせた。それは充分に反逆の意をあらわす行動である。
 セダス公はいまいましそうな表情で、アルクマルトを睨みつけた。
「計画が大きく狂ったのはそもそもそなたが生きていたからだ。今回のような面倒ごとになるくらいなら、早々に殺しておくべきだった」
「……」
「あろうことかローディオスが、その顔に惑わされてそなたを庇うことになろうとは」
「……?」
「後宮に押しこまれては、さすがにこちらもそうそう手が出せずに困ったからのう」
「!」
 じっとセダス公の言葉を聞いていたアルクマルトだが、まるで雷に打たれたような衝撃をおぼえた。
「後宮に男を囲うなどという慣例破りはあってはならぬと、重臣たちがどれほど諫めようがあの頑固者は聞かなかったのだよ。……大事にされていたではないか、アルクマルト?」
 冷たい眼差しで見下ろされ、アルクマルトは呆けたように口を開いたままなにも言えなかった。
「まさか……」
「うん?」
「兄上は……私を護るつもりで後宮へ……?」
「他になんの理由がある? そなたを寵童にしたいだけなら後宮でなくても良かったのだぞ? わざわざ女しかいない場所にそなたを連れこんだというのは、こちらの手が出せないようにだ」
「そんな……」
 なぜこんなことをするのか——そう訊いてもローディオスはなにも答えなかった。いつも黙っていた。抱かれることに慣れていったアルクマルトは、やがて考えることもやめてしまった。
 後宮以外の世界が見えなくて、兄がどんな立場でいたかも知らなかった。自分が護られているなど、考えもしなかった。
「——っ」
 悔しかった。自分しか見えていなかったことが。わかっていればもっと違う現在があったかもしれないのだ。

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