放浪の王子 第3章 -2-

 翌日の朝はすがすがしい秋晴れであったが、そのぶん冷え込んだ。
「……お寒くはありませんか?」
 みじたくをしながらエリアスがそう尋ねたので、アルクマルトは思わず微笑んだ。
「少し……。そなた、まるで侍従のようだな」
 こまごまと気を遣うところが、近衛兵というよりは侍従それも年配の者のようでおかしかった。
「ええっ……そうですか。いやしかし、わたくしめもこれくらいはあたりまえかと……」
 エリアスは困ったような顔をして頭をかいた。神官から王子の不興を買うなと言われているのだろうが、アルクマルトはついむかし世話をしてくれていた侍従を思い出していた。
「いや、悪い意味ではないんだ」
「それなら良いのですが。……殿下、これをお召しください」
 エリアスが荷物から取り出したのは、毛織りのマントだった。
 暗い灰色のそれは、細かな織り地ではないので手触りはよくないのだが、しっかりとした厚みがある。
「ありがとう」
「砦から持ってきたもので、それほど良い品でもありませんが」
「いや、助かる。……そろそろ買わねばと思っていたところだ」
 アルクマルトはそのマントを羽織り、その上に荷物を背負った。
 ゆうべ食事しながら、それぞれの荷物は自分で持つことに決めていた。そもそもアルクマルトの荷物はそう多くなかった。竪琴はかさばるがこれをエリアスに持たせると彼の荷が増えてしまうし、そこまで世話になるのも気がひけたのだ。
 エリアスは腰に剣を下げると、おなじようにマントを羽織って荷物を背負った。
「では……殿下」
「エリアス、その呼びかたは……まずいな」
「あっ……」
 アルクマルトが誰であるかは伏せての旅なのに、人前でそう呼ばれては元も子もない。
「ごもっともです……が、どうお呼びすればいいでしょう?」
「私のことは……酒場で名乗っていたようにキリークと呼んでくれ。神官に授けられた名で兄上でも知らぬ」
 王の子は誰もみな神官長に名を授かることになっている。父たる王と母親と名付け親の神官長のみが知っているというその名は、神の守護をあらわしており、通常は秘密とされるのだ。
 だが秘密を明かせば神の守護が失われるという類のものでもなく、いわば古いしきたりの一つにすぎなかった。
 だからこそ、旅のあいだはずっとキリークと名乗っていた。
「えっ……ああ、はい。でもそのような貴重な名を……」
 ややためらうふうを見せたエリアスに、アルクマルトは静かに言った。
「形式的なものだから、べつにかまわないだろう。他に適当な名前でも良いが、これで慣れてしまったからな……」
「そうですか……。承知いたしました。ですが、やはりふたりの時は殿下とお呼びしたいと思います」
「……」
 アルクマルトにとって殿下と呼ばれることは、王宮で暮らしていた頃を思い出すことであった。
 その最後、ローディオスに抱かれた日々の記憶が濃い。
 エリアスの申し出を拒まなかったのは、拒む理由を説明したくなかったからだ。

 男娼嫌いの酒場の主人はいかにも気に入らないものを見る目つきでアルクマルトを見送ったが、踊り子たちはなぜか明るく見送ってくれた。
 街道を、昨日来た道とは反対側へと歩を進める。南に向かう道は次の宿場町トゥトまで歩きで一日半ほどかかる。途中に荒れ野があるために追いはぎのたぐいを用心しないとならないだろう。
 独りならかなり気を引き締めて行かねばならない道である。だがいま独りでないことが、アルクマルトには心強かった。
 旅装束のアルクマルトは、頭に厚手の布をかぶるように巻き付けている。帽子のかわりのようなものだが、特徴でもある黒髪をできるだけ隠すこと、顔立ちがなるべく見えにくいようにすることなど、ひっそりと旅をするうえで自然にそうするようになっていた。
 言われたわけではないが、エリアスも同じように頭に布を巻いていた。同じ格好をしている人間がふたりいれば、人の印象にはアルクマルトひとりだけ残ることがないからだという。
 ふたりはしばらく黙って街道を歩き続けた。
 とくに話題がなかったせいもあるのだが、けっして沈黙が気障りでもなかったからだ。
 エリアスはさほど裏表のない性格のようで、一緒にいて安堵のようなものをアルクマルトは感じていた。
 逃亡した王子を探しているという言葉が間違いでないのはすぐわかった。
 黄金の耳飾りはそれぞれ王の子が産まれて間もないころに耳に穴を開けてつけられるもので、目立つほど大きいものでもない。王族のそういったならわしまで知っている者は限られる。耳飾りの存在を知るのは、王族の世話をする近侍の者くらいだろう。
 神剣のことも、おそらく持ち去られたことは極秘になっているはずだった。王家の象徴の剣であるから、王都にないなどと決して口外できないことだ。
 そしてアルクマルトが竪琴と歌を得意としていたことなど、いろいろ考え合わせても王家の事情に詳しい者が後ろ盾にいるのは疑うべくもなかった。
 ローディオスの手先であるという疑いを抱かなかったわけではないが、神殿の手のものであるという言葉は間違いないと思う。
 エルフィード神殿は、アルダーナ国の行事や王族の成長にかかわる儀式を任されていて、一部の神官は王族についてかなりくわしく知っている。
 そう、アルクマルトが王宮でどういう境遇にあったのかも。
 エリアスはまちがいなくそれを知っていた。すくなくともアルクマルトはそうだと感じた。
 神殿側には彼らなりの思惑があるだろう。だがそれがなんであろうと、今はそれを利用していくしかない。
 三年間さすらいながら、つねに心に重荷を背負っていた。どうしていいかわからないまま、ただその日その日を生きることだけに明け暮れていた。
 いまは自分の迷いを解決する糸口をつかめたことで、その心の荷がすこしばかり軽くなった。ともに旅をする仲間ができた安心感もあった。
 流れの歌人キリークから、やっとアルクマルトに戻れたのである。
 
 麦畑が続く農地が途切れ、あたりは昼なお暗い雑木林へと変わっていった。マグニスの町の領地はもう通り過ぎたのだろう。
 日射しがかげると、ひんやりとした風が吹く。
 粗末なものとはいえ、エリアスが持ってきた毛織りのマントはあたたかだった。
 ふと後方から、馬車の走る音が聞こえてきた。貴人が使うような高級な乗り物ではなく、農家で普通に干し草などを運搬する荷馬車らしい。
 エリアスが音のするほうを振り返った。
「殿下、あの馬車に乗せてもらえるか、交渉しましょう」
 馬車がふたりの目的地である宿場町トゥトへ向かっているのなら、そのほうが楽には違いなかった。馬車であれば今日中には町に着ける。野宿をしなくてすむのだ。
「……ああ」
「おまかせください」
 そう言うやエリアスは荷馬車をあやつる男に手を振った。荷馬車は二頭だてのなかなか立派なものである。
 人の好さそうな御者は、二人の横に着くとすぐ馬車を止めた。
「お前さんたち、トゥトまで歩いて行きなさるのか?」
 ていねいに麦わら帽子をとって挨拶までよこした。
 かなりの干し草と穀物袋をいくつか積んでいるようで、馬車の構えからして町と町を行き来している商人のようなものだろう。二頭の栗毛の馬も毛並みがよく、手入れが行きとどいていた。
 エリアスも会釈をかえした。
「そうなんだ、おやじさん」
 荷馬車のあるじは二人をチロチロと見た。どういう二人連れなのか様子をうかがっている感じだった。
「この先の荒れ野じゃ、夜になると追いはぎが出ることもあるそうだぞ。歩きはきつかろう?」
「やっぱりそうだよねえ。弟を連れているんだが、ちょっと足を傷めててね。このままでは荒れ野で野宿せにゃならん。……どうかトゥトまで乗せていってもらえないかね?」
 アルクマルトはエリアスの様子ををじっと見守っていた。もちろん口をはさまないほうが良いには違いない。
「……キレイな顔してる子じゃないか。もしかしたらたちの悪い追いはぎに酷い目にあうかもしれないぞ?」
「そうなんだよ、そこが心配でね」
「そらあいつら、女でも男でも見境ないからねえ」
 エリアスはふところから革袋を取り出し、銀貨を一枚男に渡した。
「たのむよ」
 男はにこりと笑うと、荷馬車の後ろのほうをアゴをしゃくった。
「乗っていきな。弟さんだいじにしてやんなよ」
「かたじけない」
 エリアスはくるりとアルクマルトのほうへ向きなおると、いきなりアルクマルトを抱え上げた。
「……っ」
 そのまま荷馬車の後ろにまわると、干し草の束と穀物の袋のあいだにアルクマルトをおろし、自分も乗り込んだ。
「出してくれ」
「おうよ! そらっ行けっ!」
 鞭の音がひびき、二頭の馬はふたたび進みはじめた。
 驚いたように目を見開いたままのアルクマルトに向かい、エリアスは申し訳なさげに頭をさげた。
「お気にさわられましたら……申し訳ございません」
 それはアルクマルトを弟と言ったことを言っているのだろうか。いきなり抱き上げて運んだことだろうか。それともその両方なのか。それにしても痩せているとはいえ男をひとり軽々と持ち上げて運んだその筋力はさすがだった。
「あのままでは話が長引きそうだったので、つい……」
 二人を見る男の視線から、なにか意味ありげなものを感じてのことなのだろう。
「いや……それはかまわぬのだが」
「?」
 二人の会話は轍の音がかきけしてくれている。荷馬車の主人の耳にはまず届くまい。
「似てない兄弟だと……思われただろうな」
 ぼそりとそう言うと、エリアスはおかしそうに笑った。
「……それは、そうかもしれませんね」
 顔や体格だけでなく髪や目の色もぜんぜん違うふたりだが、雑木林のなかの薄暗さもあってかそこまではわからなかったかもしれない。
 あるいは男娼連れと思われたかもしれないが、そんなことはどうでも良かった。
 しばらくがたがたと揺られながら束ねられた干し草にもたれていると、それだけで気持ちが良くなって、ついアルクマルトは眠気をこらえられなくなった。
「……殿下、遠慮なくお眠りください」
「ああ……すまない」
「トゥトには昼過ぎには着くでしょう。着きましたら、お起こしいたしますので」
「……わかった、たのむ」
 そう言うとアルクマルトは眠ってしまった。
 自分を見るエリアスのまなざしに不思議な安堵感を覚えながら。

4章-1-へ