放浪の王子 第11章 -2-

 エルフィード神殿の歴史はふるい。
 もともとアルダーナがまだ小国にわかれていた数百年の昔から、さまざまな神を崇める神殿が各地に混在していた。
 なかでも天空神ザイデスは男の神官、地母神ミレディアは女の神官によって祀られ、民衆の信仰を集めてそれなりに栄えていた。 国家が民意をつかむために天空神を崇めるエルフィード神殿を政治に取りこみ、今のような形になったのは三百年ほど前のことである。
 地母神ミレディアを崇めるヴィレディ神殿はいまも各地に存在し独自の活動をおこなっているが、国政の一部となったエルフィード神殿ほどの勢いや権力はない。
 だがエルフィード神殿も王家の庇護をうけてずっと安泰であったわけではなく、時の王の不興をこうむって勢力を削がれたことはたびたびあった。
 そうやって古の勢いを失いつつある現在、これいじょう王政からの迫害をうければ自分たちの存在そのものがあやうくなると、神官たちは感じていた。
 政治の一部になるということは、栄えるのもたやすいが衰えるのもあっという間である。まさに諸刃の剣であった。

「失礼いたします」
 また蜂蜜入りの茶が追加で運ばれてきた。神官長にすこしでも甘味——疲れに効くものを摂らせようという若い神官たちの配慮らしかった。
「ありがとう……とても美味しいお茶です」
 そう礼を言われて、若い神官ふたりはやや照れたふうに部屋をあとにした。
「さて」
 いつものように優美な所作で茶器を置き、サンジェリスは話を続ける。
「まず、王宮にゆさぶりをかけるところから考えましょう。——これはもちろん、アルクマルト殿下が生きておいでで、しかも我らのもとに身を寄せていただいていると王都に知らせるところからです。——エリアス」
 呼びかけられ、エリアスは顔をあげた。
「はい」
「殿下がご無事でいらっしゃることを、向こう——セダス公が知っている可能性は?」
「あります。イディオルのトゥトの町で、もしやということがありました。あれがセダス公の配下の者ならば……。ただ、こちらの足取りは割れておりません」
「……なるほど」
 サンジェリスはしばし考えるような表情だったが、
「そなた——私と殿下のふたりを、王都ラグートまで護衛できるか?」
 と問いかけた。
 エリアスは表情をかたくした。
「どのような状況で——ですか?」
「私が神官長の格好で、殿下には神剣をたずさえて堂々と馬に乗っていただくとして——」
「真っ向から王都に乗り込むおつもりですか? お二人だけで?」
 無理だと言わんばかりのエリアスに、サンジェリスはそっと頷いた。
「だから、できるかできないかと聞いているのです」
「——」
 もしかしてここに正統な王ありという旗を掲げ、二人だけで王都に向かうと言っているのだろうか。
 めずらしく眉をよせた表情で、エリアスは答えた。
「わたくし一人では……お二人を護りきれません。殿下がいらっしゃることがわかれば、おそらく数多くの刺客が差し向けられるでしょう」
「そうですか」
 エリアスが自分の力量を把握していること、けっして無理はせず堅実な判断をすることをサンジェリスは知っている。そのうえで彼に問うたのだ。
 やりとりを聞いたアルクマルトは、セダス公がそれほど躍起になって自分を殺そうとすることなど思ってもいなかったので、不気味さに鳥肌がたった。
 王位継承権を持つということは、こうやって命を狙われることでもある。かつて異母兄のイダやザグデナスが殺されたように。
「エリアスの他に諸国へ派遣した兵士は四名。護衛役にするために彼らの帰還を待ったほうがよいものか——。かといって手をこまねいていると、セダス公はイディオルあたりと戦争を始めかねませんし……」
「神官長様、王都ラグートへは秘密裏に行くことはできないのですか?」
 エリアスの問いかけはもっともなものだった。だが神官長はそっと首をふる。
「王都は——そなたも知っているように、神殿と王宮が近すぎます。殿下がここにありと旗をあげても、近衛兵を差し向けられればすぐに包囲されてしまいます。それよりは道中を利用して民衆を味方につけたほうが良いかと思ったのですが……」
「……」
「エリアス、それでは——」
 神官長がふたたびエリアスに問いかける。
「殿下とわたくし、それに若い神官の三人を、センティアットまで送りとどけてください。むろん身分はかくして行きます」
 センティアットは王都ラグート、二番目の都市デアートに次ぐアルダーナ第三の都市である。街道交易でさかえたラグートやデアートとはちがい、センティアットは後ろに広大な牧羊地をかかえた羊毛と毛織物の産地だった。
 華やかなラグートやデアートと違ってどちらかといえば地味な印象のセンティアットは、農村がそのまま大きくなった都市である。産業に従事するものが多く貴族や豪商たちはあまり近寄らない。そのためラグートの住人からは低く見られる傾向にあった。
「承知しました」
 王都ラグートはここバルームから北東に馬で六日の距離、センティアットの場合はバルームから北に馬で五日ほどの距離である。
 アルクマルトが学んだ知識のとおりなら、王都への道は人の行き来の多いにぎやかな街道になるが、センティアットまではもっと穏やかな田舎道のはずだ。それなら護衛もしやすいということか、エリアスはあっさりと承諾した。
 サンジェリスも納得したようにうなずき、話を続ける。
「センティアットに着けば、上級神官ベレウス殿が民衆を扇動してくれます。あの街は王都にたいして不満を持った民が多いですから、ひとつにまとまりやすい」
「なるほど……民を味方にするわけですね」
 ミルラウスはあごをなでながら感心したようにそう言い、アルクマルトは神官長の顔をまじまじと見た。
「それは……」
「神殿が王宮に反旗をひるがえすだけでは、粛正されれば終わりです。民衆対王宮にしてしまうのです。そうすれば、向こうもそう簡単に手出しができなくなる」
「サンジェリス殿——」
 緑の瞳がそっとアルクマルトを見かえした。
「武力による衝突をできるだけ避けるには、こうする方法がいちばんかと思います」
「……」
「おそらく王宮ではどう対処するかで内紛が起きるでしょう。——そこが狙いでもあります」
「……」
「いかがでしょうか、殿下?」
 おもわず詰めていた息をゆっくりと吐き出し、アルクマルトは肩の力をぬいた。
「——そなた、かなりの策士だな。神官よりは軍師のほうが向いてそうだ」
 それが正直な感想だった。嫌味でも皮肉でもなく、ただそう思ったのだ。
「お褒めの言葉と受けとっておきます」
 軽く頭をさげる神官長はいたって平然としている。
「それで——叔父上をとめることが出来るのなら。アルダーナをおだやかな国に戻せるのなら……」
「セダス公を引きずりだすには、かなりの揺さぶりが必要です。ですが勝算はあると思います」
 サンジェリスには自信があるようだったが、アルクマルトはこれらの思惑がうまくいかなかった時のことが気になった。

11章-3へ