放浪の王子 第15章 -3-

 アルダーナ国王都ラグート——
 国の都というものはどこもそれなりに華やかだが、ここは周辺各国と比べてもその華やかさは抜きんでていた。
 もともとは街道をたばねる位置にあって交易で栄えた。いまは国内外を問わずさまざまな産物がここに集まり、それを扱う商人から下働きの者まで、多くの人々もまた王都に集まっていた。
 王都には貴族だけでなく豪商の屋敷が建ちならび、人々の暮らしに欠かせない商店なども立派なものばかりである。行き交う人々の身なりもまた華やかなものが多く、それだけにこの街を見れば、豊かで暮らしに困る者などいないのではないかと思わせる。隣国の民からも羨ましがられるほどだった。
 ひろい城壁にかこまれた王都を見下ろせる小高い丘のうえに、王宮はそびえ立っている。古めかしいが壮麗なその建物は、かつてアルダーナをいまの領地に統一した王ハダラーが建てさせたものだ。
 今この国を統べるのは、四年前に即位した王ローディオスである。彼が王太子であったにもかかわらず、先王は第四王子アルクマルトに王位を譲るという遺言をのこした。その後ローディオスは王宮内の紛糾を経てみずから王位をつかみとった。
 王位をめぐる争いはつきものである。ローディオスにはそれを乗り越えるだけの器があったとも言えるだろう。
 だが王宮内はさまざまな勢力にわかれており、それらを無視することはできなかった。ローディオスは王になるためにある勢力を後ろ盾に選んだ。それが先王——ローディオスの父ムート——の王弟ラジェイオス、つまりセダス公である。

「陛下。センティアットに遣わしました使者ベリエストル卿が戻られました」
 玉座の間では、玉座のまわりに何人かの重臣があつまっていた。ちょうど午前中の閣議の最中である。
 取り次ぎの家臣の言葉に、王ローディオスはわずかに眉をぴくりとさせた。
 波うつ明るい金の髪と濃い灰色の瞳の、人目をひく美丈夫である。今は平服だが、正装して王冠をいただく姿はさぞや見栄えがするだろうと思われた。
「通せ」
「はっ」
 王の言葉に頭をさげ、侍従は部屋を出ていった。幾人かの重臣が、王の近くに立っていた男のほうをちらりと盗み見る。
 口ひげをたくわえた金褐色の髪のその男こそ、セダス公であった。
 異国から取り寄せたらしい絹の胴着と光沢のある生地で仕立てられた長衣は、それなりの財力を持った者でないとあつらえられないだろう。
 セダス公の表情は変わらなかった。
「ベリエストル卿、おみえにございます」
 その声が終わるか終わらないかのうちに、ベリエストル卿がよろよろと部屋に入ってきた。足もとがおぼつかないだけでなく、顔色も悪かった。早馬を飛ばしたために、道中かなりの体力を消耗したにちがいない。
「陛下の御前ですぞ、卿」
 家臣のひとりがそう告げるや、当のベリエストル卿はがばと床に這いつくばるように平伏した。
「早馬の任、ご苦労であった。さぞ疲れたであろう」
 玉座にすわった王が、ねぎらいの言葉をかける。しかしベリエストル卿はさらに床に頭をすりつけるようにした。
「陛下……。も……申しわけございません」
「どうした?」
 使者が遣わされた目的はみな解っていた。その使者がこうやって謝罪の言葉を口にしたことで、重臣たちはみな表情をけわしくする。
「……殿下は……まことにあれはアルクマルト殿下でいらっしゃいました……」
「……」
「あのかたを……殿下をまえにして……わたくしめは……」
「……どうした?」
 王の言葉にどこか重々しいものを感じたように、ベリエストル卿はがばと顔をあげた。
「わたくしめは口をすべらせてしまい……」
「なんじゃと!」
 声は財務大臣ゾイだった。
「神殿のいうアルクマルト王子を本物と認めたというのか……?」
「……結果的にそうなってしまいました」
「愚か者め!」
「申しわけございません……!」
 ただ謝るしかないベリエストル卿を、ゾイは罵倒した。そのあいだ王ローディオスはなにもいわずじっとそのやりとりを見ていた。
「そのように頭ごなしでは、ベリエストル卿も言いたいことが言えないではないか、ゾイ殿」
 白髪の老爺がそのゾイを制した。先王ムートから仕えている宰相ソルダスである。
「宰相殿、言いたいことなど聞いてやる筋合いはございますまい? こやつは失敗した。神殿にいるのは偽王子だと民に知らせるのがこやつの役目。それを……あろうことか、本物だと認めてしまっただと?」
「……!」
 ベリエストル卿はふたたび床に平伏した。
「偽王子なら事は簡単に進められたものを……」
「待て、ゾイ」
 口を開いたのは、それまで黙って立っていたセダス公であった。
「ベリエストル卿」
「はっ……」
「そなた、なにゆえにアルクマルト王子が本物だと思った?」
「そ……それは」
 セダス公の言葉には強く責めるような語調もなかった。そのためかベリエストル卿はわずかに顔をあげ、しどろもどろになりながらも話しはじめた。
「あのお顔は……前王后陛下にそっくりでいらっしゃいました……。四年前にお見かけした時よりずっと……」
「……顔だけか?」
「義母上はご健勝かと……そう仰られたので、わたくしはつい……王太后さまならと……」
「……」
 アルクマルトの母親代わりでもあった事実上の王太后ヴィジェリンは、ベリエストル卿の叔母にあたる。いやそもそも母である王妃セイライン亡きあとに、愛妾ヴィジェリンがアルクマルトの母親代わりとなったことは、王宮内では周知の事実であったけれども、一般にはほとんど知られていないはずだった。そのことをよくわかったうえでの問いかけには違いない。
「それから……神剣を……お持ちでした」
「神剣か」
 セダス公は王のほうを見やった。
「四年前に殺しておくべきでしたな、陛下」
 ローディオスは表情を変えない。
「王位を脅かすものとして、真っ先に殺しておくべきなのがアルクマルト王子でございました。……しかし陛下は情けをかけられた」
 居並ぶ重臣たちが、みな表情をかたくした。ここにいるのは、四年前にローディオスについた重臣たちばかりなのだろう。それでなければアルクマルト王子を亡きものにすべきだったなどと、表だって言うことなどできるはずもない。
「セダス公」
 重々しい声で公の名を呼びながら、ローディオスが玉座から立ちあがった。
「いまそれを言うても仕方あるまい。ここにある結果がすべてだ」
「はっ……」
「アルクマルトはこういった争いごとには疎い弟だったのだ。……だから殺すにはしのびないと思ったまで」
「……」
 ゆったりと重臣たちのまえを歩いていく。
「まさか神官に担ぎだされることになろうとは……」
「そのことですが、陛下」
 セダス公が口をはさんだ。
「なんだ?」
「エルフィード神殿に再三出しておりました使いより返答がありました。まもなく神官長サンジェリス殿みずから釈明に来るとのこと」
「……そうか」
 王はふたたび玉座に腰をおろした。そしてベリエストル卿に声をかけた。
「ベリエストル卿」
「ははっ」
「使者の任をまっとうできなかったことは、そなたの責である。しばらく謹慎しておれ。おって沙汰を伝える」
「……承知いたしました」
 本来なら使者として失敗した者には厳しい罰があるべきだろうが、ベリエストル卿は王太后の身内ゆえに、そこまでの罰は与えられないはずである。
 ふらふらと立ち上がりよろけながら扉に向かうベリエストル卿を、だれも手助けする者はいなかった。

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