放浪の王子 第14章 -1-

 翌日の朝、いつになく厳しい冷え込みでアルクマルトは早くに目がさめた。
 まもなく冬だ。センティアットはやや高地にあって平地よりは多少寒い気候である。寝具はあたたかなものが揃えられていたが、部屋の空気が冷たかった。
 なんとなくだが、起きあがって寝台を出る。羊の毛皮でつくられた敷物が、素足にやわらかく心地よい感触だった。
 部屋の扉をあけると、冷たい風が流れこんできた。まだ東の空が白みはじめたばかりで、あたりは薄暗かった。
 寒い。そう思ったとき、扉の脇に人の気配がした。
「お目覚めでございますか、殿下?」
「そなた……マルスか?」
 バルームから同行した若い神官のマルスだった。
「はい。わたくしとゼルオス、サウロスは、殿下のお世話係をもうしつかっております」
「世話係? それはともかく、まだ夜が明けたばかりではないか」
「殿下がお目覚めになる前にと、炭をもらいに行っておりました」
 見ればマルスは陶器でできた小さな鉢のようなものを抱えている。部屋に金属製の火鉢があるので、そこに燃えている炭を移すのだろう。
「ああ……すまないな」
「いいえ、お気になさらず。それより殿下、そのような薄着ではお風邪を召します。どうか上着を……」
 そういうやマルスはアルクマルトを部屋の中へ戻らせると、扉を閉めた。
 世話係などを置かれるとは意外だった。バルームの時のように自分のことは自分でするつもりだった。
 だが——
 ゆうべのサンジェリスの言葉を思いだせば、アルクマルトの身辺を固める意味で、彼らを世話係として選んだのではないかと思えた。
 マルスはてきぱきと火箸で炭を火鉢にうつしている。中にあった炭に火がつくと、あたりはほんのりとあたたかくなった。
「殿下、お湯が沸いたらお茶をお淹れします。すこしお待ちを」
「ありがとう」
 マルスは火鉢に小鍋をかけ、水差しから水をそそいだ。
「夜衣のままでは冷えますので……」
 そう言うや彼は衣装箱から厚手の上着を引っ張り出して、アルクマルトに着せかけた。上質の羊毛で織られたその上着は、ふんわりと暖かかった。
 まるで小姓のようだが、明るくてはきはきしたマルスには神官より小姓のほうが似合っているようにも思えた。彼も神官であるなら、それなりの素質を見いだされて神殿にいるのだろう。
「マルス」
「はい、なんでございましょう?」
「ここは——センティアットの神殿は、どうだ? バルームとくらべて」
「えっ……」
「そなた、どう感じた?」
「ええと、はい。人は多いけど、やっぱり神殿なのであまり賑やかではないです……。ですがここは」
「……うん?」
「ものすごく……古い力がたくさんあるように感じます」
「……」
「神官長さまが仰ってました。王都から離れているために、王都の神殿よりも遺されているものが多いのだそうです」
「……そうなのか」
「はい」
 王都の神殿は、王宮から近い。それだけに王宮が兵を動かせばすぐにでも攻め込めてしまうだろう。過去にはそういうこともあったという。伝えられてきたものも、そのときに失われてしまったのだろう。
 あたたかい茶を味わうとすこし気分が落ちついてきた。
「殿下、まだ早うございます。もうすこしお休みになりますか?」
「ああ、そうだな。もうすこし……寝具のなかが恋しいな」
 肌寒い空気のなかでは、体温であたたまった寝具ほど心地よいものはなかった。それが自分ひとりではなく、ふたりぶんの体温であればもっと良かったのだが。
「ではどうぞお休みください。朝食の前にはお起こしいたしますから」
「ありがとう、マルス」
 ひとりで眠るのが寂しいと、そう思ってしまうのは、ふたりで眠るぬくもりを知ってしまったからだ。
 横になるとマルスがそっと寝具をかけてくれた。羊の毛皮をシーツのように敷き、鳥の羽毛を詰めた布団を上にかけるという王侯貴族なみの贅沢な寝具は、アルクマルトをふたたびあたたかく包みこんだ。

 翌日から、神殿にはたくさんの人々が押しかけるようになった。
 アルクマルト王子をひと目見たいという者から、国政の不満を訴えたい者までさまざまだった。たった一日で、センティアットでは、王子が神殿に滞在していることを知らぬ者はいなくなっていた。城門前でのやりとりを見ていた者が街中にふれまわったからということになっているが、じっさいには神殿側が積極的に話をばらまいてもいた。
 先王の第四王子アルクマルトは遺言で王に指名されたものの王宮内の勢力争いにやぶれて幽閉されていたが、自力で脱出してエルフィード神殿に助力を求めてきた。それで神殿はセンティアットに王子を迎え入れた。
 ——そういう筋書きである。
 王になると決まったわけでもないのに、アルクマルトに対して訴えたいことがある民は多いようだった。礼拝所に押しかけた民を神殿側はていねいにあつかった。
 アルクマルトもサンジェリスやベレウスに請われて、ときどき彼らのまえに姿を見せることになった。
 間に格子をはさんでいたとはいえ、人々は口々に思うところをアルクマルトに訴えた。
 とくにセダス公による増税や課役への不満、王都からの行幸がセンティアットにないことなど、政治への不満を述べる者が多かった。
 羊毛と毛織物の特産地であるセンティアットは、交易で栄えた王都ラグートなどと違って、あまり華やかな街ではない。たしかに扱う荷と動く金子は多かったけれど、それを支えているのは産業に従事する多くの平民たちである。
 もうずっと長いあいだ王都から王族の行幸もなく、多額の税をおさめながらも国家から大事にされていないという意識が人々のあいだに大きかったのだ。それが不満につながっていた。
 ひとりひとりの意見をゆっくり聞くわけにはいかなかったが、アルクマルトには彼らの不満がかなり大きいことがよくかわかった。
 城門警備の兵士たちが王都へ早馬を出していたというので、アルクマルトがセンティアットにいることが王宮に知られるのもすぐの話だろう。サンジェリスとベレウスはあくまで向こうの出方を見るとして今は静観のかまえを見せていた。

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