放浪の王子 第16章 -2-

 数日後、王都の神殿からの使者がセンティアットに到着した。神官それも上級神官のイルリウスという青年だった。王都のエルフィード神殿には、神官長の他に上級神官が三名いるというが、彼もそのひとりだった。
 彼を迎えるのに、ベレウスはわざわざ神殿の礼拝所を選んだ。街の住民や巡礼の者たちに、事の成り行きを見せるために。
 イルリウスは、国王がアルクマルト王子の引き渡しを望んでいること、従わねばそのときは王に逆らうとして神殿側を処罰する、ということをベレウスに伝えた。
 聞いていた民は王都の一方的なやりかたには不満をおぼえたらしく、口々に真の世継ぎはセンティアットにあり、王都はアルクマルト王子を世継ぎとして迎えるべきだ、と言い合っていた。
 民としては自分たちの街にかくまったアルクマルト王子が王になることで、すこしでもセンティアットの存在をもっと国家にとって重要なものにしたい、という思いがあるのだろう。
 その場ですぐ使者にどうするかと告げることは避けられた。すでに決まっていることとはいえ、みなで協議して決めるという体裁をとらねばならない。
 身内とはいえ使者であるイルリウスは客分あつかいで、神殿内の客間を与えられてひと晩逗留することになった。夕食後、神官長とベレウス、サウロスにマルスとゼルオスの三人、兵士エリアス、そしてアルクマルトがその客間に集まった。
「久しぶりですね、イルリウス殿」
 見習い神官の格好をしたサンジェリスに話しかけられ、イルリウスはすこし戸惑ったように一礼した。
「神官長さま……。ご健勝でいらっしゃいますか?」
「わたくしはこのとおり元気です。それより王都のみなにはかなり気苦労をかけてしまって、申し訳ありません」
「いえ、とんでもない……。それだけの信頼をいただけてわれわれは光栄です」
「場合によってはあなたがたに、われら神殿のゆくすえを任せねばなりません。……それができる者を、王都に残してきたつもりです」
「神官長さま……」
 サンジェリスの言葉は、万が一を覚悟していることを意味していた。もともとは王宮の意向に逆らうところから始まっているし、相手に武力兵力がある以上は神官などか弱い存在である。
「さて、殿下にここへお越しいただいたので、今後のことをお話いたします」
 一同が客間の大きな長いすふたつにそれぞれ別れて腰かけた。これだけの人数が集まるのには手狭な部屋だが、仕方ないのだろう。この顔ぶれでは蔵書室を使うわけにもいかないからだ。
「まず、エルフィード神殿は国王陛下のご意向にしたがい、アルクマルト王弟殿下を王都へお連れするということにします」
「……えっ」
 驚きの声はマルスだった。彼らは何も聞かされていなかったから無理もない。
「そのいっぽうで、セダス公と裏取引をします。王都に向かう途中、ユカラシルという町がありますが、そこで殿下をセダス公の配下に奪われた形でうまく引き渡す……という筋書きです」
 一同はただ黙って聞いていた。まさか神官長サンジェリスみずから、セダス公との取引に応じるとは思ってもみなかったことだろう。いちばんセダス公を排除したかったのは、エルフィード神殿側だったのだ。
「殿下はその後、セダス公の力の及ぶ地……おそらくはその領地のどこかへと移送されます。セダス公もそこへ足を向けるはず。……なぜならアルクマルト殿下が本物かどうか確かめる必要がありますから」
 アルクマルトはサンジェリスからあらかじめ知らされていたその内容を、とくになんの感慨もなく聞いていた。危険は百も承知、こちらの思惑どおりに事が運ぶとも限らない。それでもその方法をとることにためらいはなかった。
 近衛兵にまで自身の力を及ぼすほどになってしまったセダス公を、このまま放っておけばいずれ国は大きく乱れる。王ローディオスが殺されるか、あるいはセダス公が軍を味方につけて反乱を起こし国家を二分するか。どちらにしても他国につけいる隙を与えてしまうことになり、平和で穏やかな国が戦乱に巻き込まれる可能性も大いにある。
 そんなことになってはいけない——そう思うからこそ、引き受けたのだ。
「それで……殿下は……」
「落ちついてください、マルス。……殿下がセダス公に相見えたその時こそ、セダス公を討つ絶好の機会なのです」
 つまり、面と向かって会ったその時にアルクマルトみずからセダス公を殺せということだった。
「殿下おひとりで……?」
 エリアスが問う。
「殿下の引き渡しには世話係の神官を二名同行という希望を出します。そのうちのひとりはわたくしが務めます」
「神官長さま……!」
 こんどの声はゼルオスだった。
「いざという時にはわたくしが必要になるかと。……それくらいの自負は許されても良いかと思っております」
「それは……神官長さまの秘術の力はかなりのものと聞きしております。しかし……心配です」
 どこでなにが起こるかわからない。それゆえにゼルオスもマルスも心配するのだろう。
 サンジェリスは不安げな二人の神官の顔を見た。そしてふっとやわらかく微笑んだ。
「ありがとう。わたくしの心配をしてくださるのですか?」
「神官長さま……」
「いまのわたくしは、神殿に拾われたからこそあるのです。……ですから、せめてすこしでも役にたてれば良いと思っているだけのこと。それよりも、神官たちはみな協力して今後にそなえてください」
「……」
「わたくしのように、神殿に救われる者もたくさんいるのですから……」
「……」
 それはまるで別れの言葉のようだった。
「だいじょうぶですよ。殿下が神剣をお持ちであるいじょうは、われわれに神のご加護があるということ」
 そう言うと、神官長として毅然と顔をあげた。
「もうひとりの世話係には、サウロスを同行します」
 やや年輩の神官は、人の好さそうな笑顔でぺこりと頭をさげた。敵地に護衛もなしに乗り込むことになるのに、そんなふうに笑えることが不思議だった。
 アルクマルトはそんな神官たちの様子を見て、いろんな意味で胸が痛んだ。
 いま王宮にはこうまでしてくれる家臣がどれほどいるのだろうか。セダス公の顔色をうかがい、その懐をあてにする。そういう家臣ばかりでなければいいのだが。

 明日の朝になればまず使者となったイルリウスが、センティアットの神殿側の返事をたずさえて王都へ向かって発つ。そのあいだに王都では留守居役の神官がセダス公と裏取引をすることになった。
 使者が王都に戻ればすぐ近衛兵がこちらに向かってくるだろう。
 まだ数日はここセンティアットで今までどおりの時間をすごせる。あとで自分がどうなるかわからなくても、アルクマルトはこれで良かったのだと思う気持ちが大きかった。
 飢えることが多く雨風にさらされながら歩いて旅をした三年にくらべれば、イディオルの町でエリアスと会ってからの時間はあっという間だった。めまぐるしく自分の周囲は動いていき、神剣という重荷を背負っていた自分の責務をやっと果たせることになった。
 部屋でぼうっとしていたが、夕食までまだ時間があるので、アルクマルトはそっと竪琴をとりだした。ゆるめたままの弦をピンと張るのは久しぶりだった。まだこの街に来てから唄ったことはない。
 かるく指で弦をなでているうちに、自然と口から詩がながれでた。
 懐かしいアルダーナの古詩をいくつか奏でていると、戸口に人の気配を感じた。
「……?」
 気配と言っても不穏なものではない。扉をあけると、廊下にはおおぜいの神官たちがいた。
「な……っ」
 鼻白んだアルクマルトに、ゼルオスが駆けよってきた。
「殿下、申しわけございません」
「……」
「みな、殿下の詩を聴きたがっておりますので、どうかお許しを……」
 唄っているのを聞かれるのは別に不快でもなく、もともとが人に聞かせるための詩なのだから気にはならない。だから許すも許さないもないのだが、廊下で立ち聞きされるのはどうも好きではなかった。
「ならば広いところで唄う」
「よろしいのですか?」
「いい思い出になるだろう」
「殿下……」
 生きた証を残せと言われても、いまの自分にできることはこれくらいしかない。せめて神官たちの思い出に残ればいいと思うのだ。
 大勢が集まれる場所といえば食堂がいちばん手頃だった。そこで一時間ほど、アルクマルトは古詩をいくつか唄った。センティアットではあまり神官たちとふれあう機会がすくなかったが、彼らはアルクマルトの唄を喜んでくれたようだった。

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