放浪の王子 第13章 -3-

 ひとりでは手持ちぶさたなアルクマルトは、世話係の神官をつかまえて神殿のなかを案内させていた。おそらくあらためて案内される機会があったはずだとは思うが、それだけ退屈だったのだ。もちろん神殿にたいする好奇心もあった。
「殿下、こちらは蔵書室です」
「間口を見るかぎり、かなり広そうだな。王宮よりもずっと——」
 バルームの神殿の蔵書室もそこそこ立派なものだったが、この神殿のものはもっとずっと広そうだった。外からその間口を見るだけでも、中の広さがうかがえる。
 そもそも神殿の歴史は、いまのアルダーナの王家のそれよりも古い。それだけの歴史と重みに比例した規模の書物を所持していてもおかしくないのだ。
 アルクマルトはふと、腰に帯びた神剣に手をやった。
(共鳴している——?)
 神剣を腰におびたまま建物のなかを歩いていると、ふとしたひょうしに神剣がかすかに振動しているのを感じるのだ。それはいまこの蔵書室のまえにきたとき、とくに強くなったように感じた。
 なかに踏みこもうとしたとき、
「殿下」
 なじみのある声に呼びとめられた。ふりかえると若い神官の身なりをした神官長サンジェリスが立っていた。
「神官長さま——!」 
 案内していた世話係の神官は、驚きのあまりその場に固まってしまったようだ。
「おや、わたくしは神官長さまではありません。……見習いの神官ジェリスと申します」
「……あ、あの」
「ベレウス様から、殿下の案内役を仰せつかっております。ここはわたくしめにお任せください」
「は、はい……」
 顔を真っ赤にすると、見習い神官はていねいにお辞儀をして立ち去っていった。
 アルクマルトはサンジェリスのほうへ向きなおった。
「もしかして、私は来てはいけない場所に来てしまったのか——?」
 おそらく神殿にはいくつかの禁忌がある。見習い神官はそれを知らずあるいは拒めずアルクマルトを連れてきてしまったのではないだろうか。そうしてサンジェリスはそれを止めにきたのかもしれない、そう思ったのだ。
「いいえ、殿下」
 アルクマルトが言わんとすることを察したのか、サンジェリスはほんのりと微笑み、首をふった。
「今わたくしが参りましたのは、あの者——見習いの者をここへ近づけないためでございます」
「えっ?」
 同じ神官であれば問題はないのかと思いきや、そうではないらしい。
「見習いの者が近寄って良い場所ではありません。ほんらいは禁じているのですが、あなた様に頼まれたので来てしまったのでしょう」
「私が近づくことより、神官見習いの彼のほうが近寄ってはいけないと?」
「ええ」
 そこで神官長サンジェリスはあらためてアルクマルトをうながした。
「さあ、殿下。こちらが蔵書室でございます。お入りくださいませ」
「か……かまわないのか?」
「わたくしが良いと申しております。誰も止めには参りません」
 たしかにその通りだった。神殿の最高位にある神官長のすることを止める者はここにはいないだろう。
 室内に一歩足を踏み入れれば、そこは不思議な力に満ちた空間だった。ハッキリと理解できるわけではない。ただ自分の感覚が、なにかを伝えてくる。
「……」
 蔵書室というからには、ここにあるのは本のはずだ。
「なにか……お感じになりますか?」
「……鳥肌がたつ」
 アルクマルトはおもわず自分の腕に手をやった。肌がちりちりとして、ふつうではない感じがする。だがそれが何なのかは、自分ではわからなかった。
 ゆったりと書架のあいだを歩きながら、サンジェリスはおさめられている書物にふれていった。そうして意外なことを口にした。
「あなた様は神剣の主人。神剣の主人には秘術の素質があると伝えられております……」
「?」
 いくつかの書架を通り抜けたところに、すこし広い場所があり、机と椅子が置かれていた。サンジェリスは手近な本を一冊抜き取ると、その机のうえにひろげた。
 大きくて古めかしい本は羊皮紙を綴じたものである。羊皮紙は材料や加工の手間のために高価なものだが、牧羊の盛んなこのセンティアットの特産品でもあった。
 中に書かれた文字——らしきものは、アルクマルトの知らないものだった。
「ここには——もちろん普通の書物もございますが、おもに古の秘術について書かれたものをたくさん所蔵しております」
「この本も?」
「はい」
 知らない文字なのはそのせいか。羊皮紙の表面に触れようとすると、なにか手がしびれるような感覚があった。不用意に触れてはいけない——本がそう言っているようだった。
 自分の手を不思議そうに見るアルクマルトを見て、サンジェリスは微笑んだ。
「古の秘術は、ずっと古い時代に天空神より伝えられたものだと言われております。これらの書物は、それらをただ書きつけただけではありません。場合によっては本それ自体が秘術を体現することもあるのですよ」
「……」
「われわれ神官は、秘術の素質を持ったものから選ばれております。——ですが、かならずしも皆がみな一人前に秘術を使えるようにもなれません」
「そう……なのか?」
「はい。見た目以上に難しいものです。——見習いの者が近寄ってはいけないのは、中途半端に知識を得ているがために余計に危険だからです」
「不用意にここにある本にふれてしまうことが?」
「そのとおりです」
 アルクマルトはエリアスに聞いた話を思いだしていた。神殿の孤児院育ちのエリアスは、素質がなかったので兵士になる道を選んだという。つまり素質のある孤児は長じて神官になることが多いのだ。
 神官長サンジェリスはひらいた本を元通り書架にもどすと、アルクマルトのほうへ向きなおった。
「天空神ザイデスより授かった神剣も、神の御技——古の秘術によって鍛えられたと、そう神殿には伝わっております。その持ち主となる者には、秘術の素質が必要だとも」
「――私に素質があると?」
「はい、お持ちです。おそらくは、その中でもひじょうにまれな素質です」
「? 素質にもいろいろあるのか?」
 自分に素質があると言われても、アルクマルトにはよくわからなかった。
「——たんに秘術の素質というのであれば、神官はみな神剣の主ということになってしまいます」
「ああ……そうだな」
「どういった素質が影響するのかは、ハッキリとはわかっておりません。ですが——」
 ひと呼吸おいて、神官長は続けた。
「王になるべき素質というのも、この世にはございます」
「? 王の素質?」
「生まれながらにして王である——そういうことです」
「……」
 言っていることが抽象的ですぐには理解しがたく、アルクマルトはおもわず考え込んでしまった。

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