放浪の王子 第12章 -3-

 明日にはセンティアットに着くという日の夜、サンジェリスとゼルオスは別の宿に泊まっている先行組の二人やセンティアットの上級神官ベレウスと連絡を取るからと、またアルクマルトとエリアスは同じ部屋にされてしまった。
 バルームの町に着くまでとちがって、アルクマルトはどうしても身構えてしまう。求められれば許してもいい——と考えていたのはどこへやら、いまは求められることが怖かった。抱かれることが——ではない。どう応えて良いかわからなくなってしまったのだ。
 だがエリアスにとって自分は目上の人間で、彼が自分からアルクマルトを求めることはまずあり得ないことでもあった。
 夕食の時間になり、ふたりは食卓についていた。
 道中どの宿屋でも、食事は人目につきにくいように部屋に運ばせていた。食堂で他の旅人といっしょに食事をとれば、いやおうなく目立つ一行である。そもそも、路銀に余裕のあるものは部屋で食べることが多い。
 大きな川に近い町なので、食事は魚がメインだった。この時期によく獲れるという味の良い川魚に香草とバターでじっくり火を通したものなどは、なかなかの味だった。
「これは……美味い」
 ふたりで食べる食事も、黙ったままではかえって気まずい。それでアルクマルトはふつうに会話はするように心がけていた。いぜんは意識しなくても出来たことなのに、いまは意識せねばできないのだ。ともすればアルクマルトは緊張で黙り込んでしまうし、エリアスも用がなければそう話しかけてはこない。
「そうですね。腕のいい料理人がいるのでしょう。……こちらのシチューもなかなか」
 根菜や茸と豚肉のシチューも、かなり時間をかけて煮込んであるらしく、うま味がよく出ていた。
「エリアス……」
「はい」
「そなた、酒でも飲まないか?」
「えっ……」
 唐突に言われて驚いたエリアスが、じっとアルクマルトの顔を見た。
「明日にはもうセンティアットに着くのだし、すこしくらい良いではないか」
 食事の際にはいつもごく軽い麦酒や蜂蜜酒が出るのだが、アルクマルトが言うのはもちろん葡萄酒などの本格的な酒のことだ。
「殿下。お気持ちはありがたいのですが、どこになにがあるか解りませんので、遠慮させていただきます……」
 予想通りの答えだった。その真面目さゆえにアルクマルトの捜索に選ばれたのだから、仕方のないところではある。
「では、私が飲みたい。相伴するように」
「殿下?」
 そういえばアルクマルトはエリアスとの旅のあいだ、酒らしい酒はほとんど口にしたことがなかった。もちろん贅沢品だから飲もうとは思わなかったのだが。
「たくさん飲みたいわけではない。ただ……すこし酔いたい」
「……」
「そなた、酒に強いだろう? すこしくらい飲んでも大丈夫なはずだ」
「……」
「酔わないと……眠れないのだ」
「!」
 なぜそんなことを言ってしまったのか。しまったと思ったときにはすでに遅かった。
「……では、酒を頼んできます」
 エリアスはどう思っただろうか。表情を変えないからわからない。
「……」
 部屋を出ていったエリアスは、ほどなくして戻ってきた。手にした盆には杯がふたつ乗っていて、ほんのりと湯気をあげていた。
「あたためた葡萄酒です。……なんでもこの季節は風邪をひいている旅人が多いからと厨房ですすめられまして」
「……」
「寝酒にも良いそうですよ」
「……」
 手に取った杯からは、ほんのりと異国の香辛料の香りもした。こういうものが潤沢にあるアルダーナならではだろう。
 すこし口に含んでみると、蜂蜜を入れてあるらしく、甘かった。
「なかなか良いな……」
「……殿下はお酒は強いのですか?」
「いや……そこまで強くない。……母上が弱かったそうだしな」
 十五にもなれば、王子は王宮の晩餐会で家臣とともに食事をとるようになる。そうなればどうしても酒を飲まねばならず、いやでも強くなると聞いていた。
 アルクマルトにはその機会がないままだった。ローディオスにも酒は飲まされたけれど、それよりも酒場で商売するうちに客に飲まされて慣れたのが大きいだろう。
「そういうところも、亡き王妃様に似ておいでなのですか?」
「……そうらしい。でも私は母上ほどか弱くはない……はずだ。母上は私を産んでからは、体調を崩されることが多かったらしい。私はどちらかというとあまり寝込んだりは……」
 なぜこんなことを話しながら、葡萄酒を飲んでいるのだろう。だがふしぎに落ちついた気分だった。
「そなたの親は……」
 そう言いかけて、アルクマルトはエリアスが神殿の孤児院育ちだということを思いだした。
「あ、いや……もうしわけない……。そなたは孤児だったのだな」
 エリアスはすこし困ったような笑みをうかべて、おなじようにあたたかい葡萄酒に口をつけた。
「いいえ、お気になさらず。……親がいなくても、親代わりの神官がいましたから」
 神官になる者は孤児や身寄りのない若者が多いという話を思いだした。マルスか誰かに聞いた気がする。
「……神官には……その、なろうと思わなかったのか?」
「わたくしが、ですか?」
 めずらしく驚きに目を見開いた表情で、エリアスがアルクマルトを見た。
「……ああ」
 なにか変なことを言っただろうか。
「殿下……わたくしに神官が似合いますでしょうか?」
 ぎゃくに聞き返され、アルクマルトは返答に困った。
「う……似合うとか似合わないとか、そういう問題ではないだろう?」
 神官の衣装のことを言っているなら、エリアスには似合わないだろう。だが衣装で決めることではない。
「若い神官たちは、そういう話を殿下にはしませんでしたか?」
「……? なんの話だ?」
 エリアスはゆったりと葡萄酒を飲み干し、杯をおいた。
「神官にはある程度の素質がいるのです」
「素質?」
「……秘術を使うための、です」
「……」
 アルクマルトも杯を干した。もともとあまり勢いよく飲むほうではないが、飲みやすかったのでわりと早く飲みきってしまった。
「わたくしには素質があまりないようでした。……ですから身体を鍛えて兵士になろうと思ったのです」
「そういうことなのか……」
「はい。神殿はそういう組織です。……もっと詳しいことは、神官長さまにお尋ねください。殿下なら……大丈夫でしょう」
 神殿に関することを他人に話すのは、おそらく禁忌なのだろう。ミルラウスが、秘術のことは本来王家の人間にも秘密なのだと言っていたことを思いだした。
「そうか……。だが誰にでも向き不向きはある。そなたは兵としてはかなり優秀だと思うぞ」
「……」
「平和なときは出番のない近衛などと違って、国境警備は危険が多い仕事だったと思うが」
「……はい。さいわい大きな負傷はしていませんが、軽い傷はたくさんありますから」
「そういえばそなたの身体には傷跡がたくさん……」
 言ってしまってから、アルクマルトは自分の口に手を当てた。つい思いだしてしまうのだ。エリアスの身体を。意識するまいと思えば思うほど、顔が熱くなる。

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