放浪の王子 第18章 -1-

「王宮からの使者である。開門せよ!」
 その声は早朝からセンティアットの城壁に響いた。
 不寝番の兵士に呼ばれて寝ぼけまなこで門の前に出てきた検問所の責任者は、現れた一行を見て目をむいた。
 立派な鎖帷子と深紅の鎧下を身につけ、これも立派な馬具をつけた騎馬に乗った兵士の一行だった。その数は二十名にもおよんでいた。
 軍の中でも精鋭をあつめた近衛兵——王宮直属の兵士たちである。

 金糸を織り込んだ豪華な長衣を身につけたアルクマルトは、いつもと違う空気に身が引きしまった。ここから先は、戦いなのだ。
「殿下、どうかお身体にお気をつけられますよう……。あなた様のご無事をわれわれ一同、祈っております」
 正装した上級神官ベレウスは、神殿の大扉を開けるまえにそっとアルクマルトに声をかけた。
「ありがとう。そなたらもどうか達者で」
「殿下に、天空神ザイデスのご加護あらんことを」
「私ひとりのことはいい。どうか……この街と神殿をまもってやってくれ」
「そのお心遣い、けっして忘れませぬ」
 それからベレウスは複雑な表情で神官長サンジェリスのほうを見た。
「神官長聖下——どうかご無事で」
「そのような堅苦しい挨拶はよいのですよ、ベレウス殿。物事はなるようにしかなりません……。どうか、みなを導いてやってください。王都に残してきた上級神官たちとともに……」
「……」
「任せましたよ、ベレウス」
「は……どうかあなた様に天空神のご加護あらんことを」
 そしてベレウスはもう一人の世話係、サウロスに声をかけた。
「こたびは危険な道行きに名乗り出てくれて感謝する……。そなたは神官の鑑よ。——どうか無事で」
 サウロスはやや面長の顔をほころばせ、ベレウスに頭をさげた。
「過分なお言葉、まことにもったいなきことです。神官は、神殿と秘術を護るためにおりますから、わたくしめも全力を尽くします」
「——天空神のご加護あらんことを」
 そうしてすべての名残をふりきるようにベレウスは顔をあげて、扉の両側にひかえる神官たちに指示した。
「扉をあけよ!」
 重々しい軋みとともに、神殿正面の扉がひらかれた。
 そこからまっすぐ先の門のまえに、アルクマルト王子を待ち構える近衛兵の一団が見えた。そして門のそばに集まって事の成りゆきを見守る住民たちも。
 ながい衣装を引きずりながら、ベレウスが先導する。そのあとをアルクマルトと同行する世話係の神官ふたりが歩いていく。
 世話係の神官は、年輩の神官サウロスと地味な見習い神官の格好に扮した神官長サンジェリスである。
 神殿の門がひらかれた。王都から来た近衛の一行と、ベレウスをはじめとする神殿の一行が対峙するかたちになった。それを門のちかくにおおぜい集まったセンティアットの民が、おそるおそる見守っている。
「王宮からの御使者につつしんで申しあげる」
 ベレウスは頭をさげて礼をとった。相手は王家の使者である。
「アルクマルト王弟殿下はこの街が騒乱に巻き込まれぬようご配慮され、自ら王都へ戻られるとご決断された」
 民衆からどよめきがわきおこる。
「……よって、御使者には殿下をお預けいたす」
 そこでベレウスは後ろにたっていたアルクマルトに向かって膝を折った。
 同時に、それまで静かで動きのなかった近衛兵たちがいっせいに馬をおりて、同じように膝を折って敬意をあらわす姿勢をとった。
 先頭にいる近衛兵が顔をあげる。
「神殿の司、ベレウス殿。しかとアルクマルト殿下の御身、お預かりする。ここから王都までは我らが殿下の警護をつかまつる」
 その近衛兵はつぎにアルクマルトを見上げた。エリアスと同じくらいの年のころだろうか。無骨な顔立ちだが、真面目そうな雰囲気には好感が持てた。
「殿下、我が名はナシジと申します。これより王都までの道中、御身の守護の責任者にございます」
「ナシジか、よろしく頼む」
「ははっ」
 四頭の馬が連れてこられた。うち一頭は荷をはこぶためのもので、あとの三頭はアルクマルトとサウロス、サンジェリスが乗るためだ。
「そなたが頼りだぞ」
 アルクマルトがそっと声をかけると、鹿毛はうれしそうに首をふった。あぶみに足をかけると、鹿毛の背にまたがる。それを見届けてからナシジも馬にまたがり、馬につけていた王家の旗を振るや、
「では、出立する!」
 と号令をかけた。
 近衛兵たちはいっせいに馬に乗り、進みはじめる。アルクマルト王子を取り囲むように。
 護衛でもあるが、逃亡阻止のための兵でもある。彼らはそういう役割なのだ。
 騎馬隊がすすむ道の両側に、人だかりがさっと分かれていく。かれらは馬上の王子を見上げながら、なにやら複雑な表情で見送っていた。
 一行が見えなくなると、エルフィード神殿はふたたび門をとざした。

 馬車ではなく騎馬での旅を望むと申し出た条件を、王宮側は承諾した。だが馬車とちがって馬は自分の意思で操れる乗り物であるから、用心のために近衛兵が周囲を取り囲むというのは当たり前といえば当たり前である。
 このようなものものしい道中では、いやでも人目をひく。街道を進んでいくと、すれちがう者にはかならず訝しげに見られた。彼らは王家の旗に気づいて顔色を変え、その場にひざを折って一行が通り過ぎるのを待った。
「殿下」
 先頭をすすむナシジがふりかえって声をかけてきた。
「なんだ?」
「まことに申しわけございませんが、神剣を預からせていただきます」
「……神剣を?」
 アルクマルトは思わず腰に手をやった。腰に帯びているのに馴染んできて、最近ではずっとそうしているのが当たり前のように感じていたのだ。
 神剣をアルクマルトから離したい理由はわかっていた。三年前に荘園から逃亡したとき、剣ではたやすく切れぬはずの投網を切ったからだ。
「……わかった」
 この人数の兵士に囲まれていて、それを拒めばどうなるか。自分だけならまだしも、同行しているサンジェリスとサウロスに危害がおよんではいけない。アルクマルトは仕方なく腰帯から剣をはずした。
 ナシジは馬をアルクマルトの横につけてきた。
「そなたに預ける。——ただし、国の宝ゆえに粗末に扱うな」
「もちろんでございます」
 そう言うと、ナシジはうやうやしく剣を受けとった。
 国の宝——というのは、素直に剣を渡すのは面白くなかったのでとりあえず言ってみたのだ。大事な剣であることくらいは近衛兵なら心得ているだろう。
 神剣が持ち去られたことは長く秘密とされてきたのだろうが、公になってしまうとその神剣を取り戻すためにアルクマルトの身柄を確保するという大義名分もできる。
 言葉もすくない騎馬の一行は、そのまま街道を王都に向かって進んでいた。立派な鎖帷子と馬具は、それだけでじゅうぶんに威圧的だろう。
 なにもなければ王都まで五日か六日の道のりである。

 王都からの近衛兵たちがセンティアットから立ち去って間もなく、ある一団が同じようにセンティアットから出立した。
 十人ほどからなるその男ばかりの団体は、たくましい体格の持ち主がほとんどであった。腕や足の筋肉の太さは、かなり鍛えられていないとこうはならない。
 その中にひとりだけ、ふつうの体格の者がまじっていた。
「良いのですか、ベレウス様? あなた様は本来なら神殿を預かる身……。この計画には他の神官に協力していただくはずでした」
 青毛の馬に乗ってその男を振り返ったのはエリアスである。視線の先にいるのは神官装束ではなくふつうの町民の格好をした赤毛の男——上級神官ベレウスであった。
「センティアットは古い街で、神殿に残る古の書物も多い。エルフィード神殿としては、じつは王都より重要な場所でな。公にはなっていないが、私の他に上級神官がふたりおるでな。あとのことは任せてきた」
「……」
「街の長イヴェライと協力して腕の立つ傭兵をかき集めはしたが、それだけではいざという時に不安が残る。私の秘術が必要になることもあろうかと」
「——はい」
 エリアスはほんのりと微笑んだ。
 自分がアルクマルト王子のために別動隊でセダス公の所領に向かうと決まったとき、ベレウスがこっそりと自分を隊に加えるように頼んできた。
 彼が神官長サンジェリスを助けたいのだということはわかった。その理由ははっきりとはわからないが、誰かが誰かを助けたいと思う気持ちは、なにか特別なもののような気がした。
「では、われわれも出立する!」
「承知した」
「了解」
 エリアスが号令をかけると、傭兵たちは馬を進めはじめた。
 エリアスにとっては命をかけての道行きであるけれども、ふしぎに心は落ち着き満たされていた。なにより自分はアルクマルト王子の信頼を——あのかたの心を預けられたのだ。あとはそれに恥じぬ行動をするだけであった。

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