放浪の王子 第14章 -3-

 湯殿係の神官たちはいずれも血まみれのふたりに少し怯えをみせたが、人手が足りないのにかかわらず、だまって湯浴みの準備をしてくれた。
 この神殿の湯浴み場には、泉水のような大きな浴槽がしつらえられていた。複数の者がともに湯浴みをするらしい。大きなかまどで沸かした湯が、管をとおして浴槽に注ぎ込まれるようになっていた。またこれだけの湯を沸かすための熱を、部屋の暖房にも使うという。神官の人数が多いゆえの工夫なのだろう。
 浴槽につかるまえに、アルクマルトはエリアスにすみずみまで丁寧に湯をかけられ、洗われた。アルクマルトの身体に傷がないか確かめているようだった。それから髪も血が残らないように念入りになんども洗い流された。
「も……もういいから」
 しつこいくらいに洗われて、アルクマルトはさすがにエリアスをとめた。
「しかし……」
「もう落ちている。それより、そなたも頭に血をかぶっただろうが」
「わたくしめは……」
「私が洗ってやるから……。さあ、頭をこちらにむけて」
 とんでもないと断るかと思いきや、エリアスはすなおに従った。
 手桶で湯をすくい、エリアスの頭にかけた。その髪にそっと指をいれて血を洗い流していく。寝台のうえでなんどもふれた淡い茶色の髪は、見た目よりずっとやわらかな感触である。
 ふいに何ともいえない愛おしさがこみ上げてきた。その髪に耳元に接吻を浴びせたいような気持ちだった。
(……なにを考えているんだろう、私は。こんなときに)
 短い髪はアルクマルトの髪ほど手間がかからない。すぐにエリアスの髪はきれいになった。
 ふたりでゆったりと湯につかる。やっと緊張がほぐれた気がした。
「エリアス……」
「はい?」
「ありがとう……。おかげで助かった」
「……殿下」
 アルクマルトはエリアスの胸元に頭をあずけるようにもたれかけた。
「そなたがいなければ……私は刺されていたな」
 あのときはもうダメだと思った。剣が肉をつらぬくにぶい音は、自分が斬られた音だと思ったのだ。
 だがエリアスは首をふった。
「いいえ、殿下」
「ん?」
「あの刺客はせいかくに殿下の胸を狙っていました。……ですが、なぜかそれたのです」
 わずかに肩を切られた。ごく浅い傷だったので、もう血は止まっている。
 胸を狙っていたはずだが、それが肩にそれたということなのだろうか。
「そなたに突き刺されたからではないのか?」
「いいえ……。あのとき、もうわたくしめの攻撃は間に合わないかと……そう思いました」
「えっ……」
「あなた様をまもったのは、不思議な青白い光でした。その光に阻まれて、刺客の剣はあなたを刺すことが出来なかった——ように見えました」
 エリアスがそっとアルクマルトの肩に腕をまわし、つよく抱きしめた。
「わたくしがお護りすべきなのに……それがすこし残念です。が……」
「……」
「あなたが無事で……よかった……」
「エリアス……」
 こうやって強く抱擁されているのが、たまらなく嬉しくそしてせつなかった。
 さきほど感じたなんともいえない愛おしさが、またこみあげてくる。この気持ちをどう伝えればいいのだろう。
 抱きすくめられたままエリアスの頬や首筋にそっと口づけ、頬ずりをした。
「でんか……?」
 不思議そうな眼差しで自分を見るエリアスに、なにか言わねばと思ったところで湯殿の出入り口のほうから声がした。
「……お湯のかげんはいかがでしょう? お着替えをこちらに用意してありますので……」
 係の神官だった。
「わかった。ありがとう」
 アルクマルトが答えた。タイミングを失い、心の中にあったものが形になれずに消えていく。
「殿下。……あまり長く入っているとのぼせてしまいます」
「……そうだな」
 ふたりは湯殿を出た。エリアスは旅のあいだとおなじように、アルクマルトの身体と髪からていねいに水分をぬぐってくれた。そういえばバルームに着いてから今まで、彼と身近に接する時間は旅のあいだよりはずっと減ってしまった。出会ってからふたりで旅をしているあいだ、エリアスは身のまわりの世話までぜんぶしてくれていたのだ。
 こうして触れあっている時間も、いつまでもあるわけではない。
 刺客に襲われたことで、アルクマルトも自分をめぐる不穏なものを実感していた。
 今回は助かったけれど、いつでもこうなるとは限らない。そしてそれはアルクマルトの護衛を任されるエリアスも、同じように危険と隣り合わせということでもあった。
(誰にも……手出しはさせたくない)
 神剣を腰に帯びると、アルクマルトの心に反応したようにそれはかすかに振動した。
 

 アルクマルトが滞在する部屋は、神官の棟にある別の客間に変更になった。万が一のこともあるし、なにより刺客がひそんでいた場所では過ごしづらいだろうという神殿側の配慮もあった。
 その刺客がどこから遣わされた者かは、神官長によって着ていた物から身体のすみずみまで検分されたが、わからずしまいだった。
 とはいうものの、おおよその見当はついていた。城門から早馬が発ってからの日にちを考えると、王都にいる者の命で動いたとしても不自然ではない。
 アルクマルト王子を殺したい人物は限られている。その中でも手練れの刺客、つまりそれなりの者を雇うことが可能な権力と財力を持つ者となれば、おのずと答えは見えてくる。

 ——その翌日。
 食堂でみなが朝食をとっているとき、若い神官がひとりあわてて駆けこんできた。
「ベレウス様! ただいま神殿の門のまえに、早馬がまいりました!」
 血相をかえたただならぬ様子に、みなが食事の手をとめる。
 上級神官ベレウスは、そっと席をたってその若い神官のまえに立った。
「……早馬だと? どこからの使者だ?」
「王都です! 王都ラグート——王宮からの使者にございます!」

15章-1-へ