放浪の王子 第15章 -1-

 人々で混み合っている神殿の門の前、馬に乗った騎士が一人待っていた。
 立派な甲冑と王家の旗を持つその姿を見れば、誰もがそれを王宮からの使者だと認めて疑わないだろう。
 上級神官べレウスが、数名の神官たちを引き連れて門のところまでやってきた。その中には見習い神官にやつした神官長サンジェリスの姿もあった。
「使者どの、王都ラグートよりはるばるお越しいただき、誠に恐縮にございます」
 金銀の縫い取りのある帽子と、その下に飾り帯をあしらった長い布をひきずるように垂らした衣装で、べレウスは使者にたいして膝を折った。ふだん神殿のなかで身につけているのとはまた違った、上級神官の正装である。
「わたくしがこの神殿の司、べレウスにございます」
 騎士はその姿を馬上から見下ろし、ひとつ咳払いをした。やや細長い顔に口ひげが印象的だった。
 使者は馬上の荷から細い筒をとりだし、そこから紙を取り出した。どうやら神殿のなかではなく、民衆の前で上意を伝えようということらしい。
「センティアットのエルフィード神殿に告ぐ。そのほうらは、偽物のアルクマルト王子を真の世継ぎと偽って擁立し、徒に人心を惑わしめた。その罪状は明らかである」
 周囲の民衆たちがざわめいた。
「王弟アルクマルト殿下は、王宮にてご健在である! 偽物を世継ぎであると吹聴するなら、そのほうらは王宮への叛意ありとみなす」
「お待ちください、使者どの」
 べレウスは立ち上がった。
「我が神殿にご滞在いただいておりますのが、まことのアルクマルト殿下でございます。なにゆえに偽物であると、王宮はご判断されたのでございましょう?」
 使者はやや気圧されたように、
「王弟殿下は、現国王陛下とともに王宮にてお暮らしである」
「お暮らし?」
 その言葉尻をとらえるように、べレウスはたたみかけた。
「そのお姿をここ三年間、目にした民はおりませぬが」
「……殿下はお体があまり丈夫でない。人前にはお顔をお出しにはならぬ」
「先王が崩御なされたおり、遺言にてアルクマルト殿下が世継ぎにと指名されたことは、我らが神官長もその場に立ち会われたゆえ、事実にございます。ですがアルクマルト殿下は、反対派によって王宮内に幽閉されておいでだった」
「……戯言を申すな」
 ふたたび民衆のあいだからざわめきが起こった。
「殿下は三年前に王宮を逃れられ、ようやく我らのもとにお越しいただけました。はて? 王宮にお住まいだというおかたこそが偽物かと存じますが」
 人々が口々になにかを言い合っている。王位をめぐる王宮内のゴタゴタは、国民のあいだにもそれなりに噂となって知られてはいた。遺言の話も伝わっている。
 アルクマルト王子がどんなふうに幽閉されていたかという点だけは、王宮内のきびしい箝口令もあって、侍従や近衛など一部の人間だけしか知らない。
 使者は言葉に詰まっていた。しかし王家の旗をふりかざすと、威圧的に神官たちを見下ろして叫んだ。
「陛下のご判断だ。真の世継ぎがセンティアットにありと申すなら、王家への叛意とみなし、処罰する! 沙汰はおって下されよう」
「お待ちください!」
「これいじょう、そのほうらの戯言を聞く耳は持たぬ」
 べレウスは使者を強く見返し、力強く言った。
「アルクマルト殿下は、天空神ザイデスの加護のしるしとなる神剣をお持ちです。……神がお怒りになればそのときは……われわれもお鎮めするすべはございませんぞ」
「……!」
「その証拠を、ここで使者殿のお目にかけましょう。……殿下、こちらへお越しくださいませ」
「なんじゃと!」
 使者にかまわず、べレウスがうしろをふりかえる。つられて人々の視線がうごいた先に、ひとりの人物が立っていた。
 人々もそして馬上の使者も、おもわずじっと見入ってしまう。
 端麗な顔立ちとすらりとした体躯、怖じけることなく使者を見据えるその人物を、王子でないと疑うものなどいないだろう。
「あ……」
 使者の顔色が明らかに青ざめていった。
「べリエストル卿、久しぶりだな」
 アルクマルト王子は、使者をひたと見すえた。
「あ……あ……」
「義母上はご健勝でいらっしゃるか?」
「……王太后さまなら……あ、いや……」
 べリエストル卿というのは、現国王ローディオスの生母ヴィジェリンの甥にあたる人物である。ヴィジェリンはもとは織物商の娘だが、王太子を生んだことで生家の者も何人か王宮にとりたてられたのだ。
 愛妾ヴィジェリンはアルクマルトの生母セイライン亡きあと、王宮内では事実上の王妃として扱われていた。それゆえに今では王太后と呼ばれていた。
 問われて思わず王太后と答えてしまったことで、べリエストル卿はこの人物をアルクマルト本人だと認めていることになる。
「ぐぬ……」
 おのれの過ちに気づいて歯噛みすれど、時すでに遅し。
 アルクマルト王子はかすかに微笑むと、
「べリエストル卿、王都へもどって王宮に伝えるがいい。アルダーナはたくさんの民のちからで繁栄した。国は……王は民のためにある。それを忘れてはならぬ、と」
 そう言った。静かだが力強い言葉だった。
「……」
「私が言いたいのはそれだけだ」
「……」
 王都からの沙汰を伝えに来たはずの使者が、逆にその相手から言伝をされるとは思ってもみなかっただろう。
 神殿側は、叛意ありとみなされることはもとより承知で、アルクマルト王子ここにありとそう世間に広めた。だから最初からおとなしく使者から伝えられる言葉だけを待っていたわけではないのだ。

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