放浪の王子 第12章 -1-

 会議から四日後、一行は馬四頭をつらねてバルームの町を発った。目的地は予定どおりセンティアットである。
 サウロスとマルスは各地の神殿めぐりの巡礼をおこなう町人として、一時間ほど先に町を出ている。センティアットまでの道のりは頭に入っているだろうし、サウロスならいざというときにすこし秘術が使えるので、連絡手段はなんとかなるだろう。
 そしてこちら本隊は、サンジェリスは商家の主人レジナード、アルクマルトが詩人キリークで、若いゼルオスがサンジェリスの小姓、エリアスは護衛の傭兵ということになった。サンティアットの豪商の家に商談がてら詩人を届けにいく道中、ということになっている。
 アルクマルトは新しい衣服と厚手の毛織りのマント——はいいのだが、髪飾りに首飾りや耳飾りまでつけさせられ、マントを脱げばいささか派手な出で立ちになっていた。サンジェリス曰く、そのほうが詩人らしいからだという。
 すっかり元気を取り戻したサンジェリスは、道楽好きの商家の主人ということで、質のよい生地で仕立てた長衣と厚手の外套をはおっている。顔以外を覆ってしまう神官装束のときとはまたちがった優美さがあった。商家の主人にしてはいささか線が細いのだが、頭の回転や口の巧さはそれらしいだろう。
 エリアスはその商家に身辺警護のために雇われた傭兵である。鎖帷子を着て、長剣のほか馬に弓を備えていた。旅のあいだ乗っていた栗毛ではなく、ひとまわり頑丈そうな青毛の馬に乗りかえていた。
 若い神官ゼルオスはサンジェリスとおなじような質のよい長衣と外套を身につけている。年の頃からも、たしかに小姓らしい。
 アルクマルトは意気揚々とあゆむ鹿毛の背中で揺られながら、出発のときに若い神官たちから手渡された旅の荷物を思いだしていた。
 いっしょに作業して干した薬草や、塩漬けした肉からつくられたベーコンの塊などを、かれらは大事に包んでくれたのだった。
 さらには手縫いの新しい服だの、仕立てたばかりの肌着だのマントだのも手渡された。
 物見遊山ではないのだし、馬での旅だからそう不自由することはないのだが、神官たちの思いやりを無駄にしたくなかったので、アルクマルトは素直に受けとった。
 サンジェリスの回復ぶりは見事だった。あの時は食事をほとんど摂っていなかったらしいが、会議のあとは食堂にも姿を見せてみなとおなじに食事をとっていたし、神官たちが元気の出る薬草を煎じたりといろいろ世話していたようだ。
 こうやって馬に乗って旅をするのは、見た目以上に体力がいる。彼が回復せねば出発を遅らせることになっていただろう。
 アルクマルトは旅立ちまでのあいだ、エリアスとかなり激しい剣の稽古をしていた。いざとなれば兵士を相手に剣を抜いて斬り合わねばならない可能性もある。それだけにすこしでも鍛えておきたかったのだ。
 エリアスの手加減を許さなかったため、アルクマルトはあちこち青痣だらけになってしまった。二日前にひたいにうけた打撲のあとが、まだ馬の振動で痛むほどだ。
 剣の稽古のあいだはなぜか胸がおどった。あの感覚を楽しいというなら、きっと自分は楽しくて仕方がなかったのだ。
 だが——
 楽しい反面、心の奥にくすぶるものがあったのも確かだ。エリアスはまったく以前とおなじようにアルクマルトに接していた。あの夜のことはまるでなかったかのように。最初はそれでいいと思っていたアルクマルトだが、次第にどこかもどかしいものを感じはじめていた。
 二人きりになる機会はそれなりにある。身体を求められれば応えただろうが、エリアスはそんな素振りは見せない。かといってあの日のように大胆に自分から誘う勇気もだせず、ただ迷い悩むばかりだった。
 やさしい男だから、あのときは自分のわがままに応えてくれただけなのだと。そう思えばよけいに心が痛んだ。
「殿下……どこかお加減でも?」
 表情が暗かったのだろう。エリアスがいつものように心配げに声をかけてきた。
「いや、大丈夫だ。ただ……馬に揺られると、ちょっとひたいが痛くて」
「あっ……。それは……申しわけありません」
「そなたのせいではない。私が……避けきれなかっただけだ」
 手加減するなといってもエリアスは手加減せざるをえなかっただろう。だから打撲はまだ軽くすんだほうだと思う。ただかなり腫れあがったためにサンジェリスやミルラウス、ひいては神官たち全員に冷や汗をかかせたらしいのだ。
 そのためか、若い神官たちはアルクマルトが眠っているあいだ、徹夜でじゅんばんに腫れたひたいを冷やしに来てくれた。
 まえを進んでいたサンジェリスがふりかえった。
「殿下。あまりむちゃな鍛錬は、どうかおやめください」
「……」
「お身体もあちこち痣だらけだとか……。それでは逆に、いざという時に剣をふるうのにも支障が出てしまうかと」
「……そう……だな」
 たしかに痛みを感じるほどの打ち身を残してしまっては、全力を出せないことも出てくるだろう。
 体を万全の状態にしておくのも鍛錬のうちだと、むかし教わったことを思いだした。
「あまり痛むようでしたら、湿布をいたしましょうか?」
 自分の責任を感じているのか、エリアスは気にしているようだ。王宮で剣の稽古をしたときでも、近衛兵たち相手に痣をつくることは珍しくなかったし、そのことで彼らに咎めがあったことはない。だからアルクマルトは慣れていたので、とくになんとも思ってはいない。
「あとで……休憩のときでいい」
「わかりました」
 だが、心配されるとすこし嬉しかった。
「殿下のお顔に傷でもついたらと思うと、わたくしは腰が抜けましたがね」
 サンジェリスはそう言うと、エリアスを横目でチラッと見た。
「申しわけありません……」
 この流れでは、エリアスは謝るしかないだろう。木を削っただけのものとはいえ、剣を模したその鋭いほうが当たれば大怪我になっていたかもしれない。
 とはいえその瞬間、アルクマルトが避けきれないと読んでとっさにエリアスは向きを平たいほうが当たるように変えたのだから、褒められてもいいはずなのだが。
「エリアスを責めないでやってくれ。そもそも稽古を頼んだのは私だ」
「……ほんとうに殿下はおやさしいんですね」
 やりとりと聞いていたゼルオスが、くすくすと笑いながら言った。
「べ、べつに……やさしいとか関係ないだろう? 手加減するなと言ったのだから、ケガは覚悟のうえ。だからエリアスが悪いのではないということだ」
 やさしいと言われてすこし気持ちがあせった。あまりそんなことを言われたことはなかったのだ。
「はい、それはわかっております。でも……いつもエリアス殿から、殿下はおやさしいと聞いておりましたので、納得いたしました」
「ええっ?」
 アルクマルトは、おもわずエリアスの顔を見た。当のエリアスも名前を出されて驚いたらしい。そんな顔をしている。
「それは……神官たちから、殿下はどんなお方かとかあれこれ聞かれるものですから」
「……」
「ですが、おやさしいのは本当です」
 その一瞬、まるで心の奥を射るようなまなざしで、エリアスがアルクマルトを見た。
(……!)
 ほんとうに一瞬だった。おそらくアルクマルトにだけわかるように。
 サンジェリスはほんのりと微笑みながら、
「そなたも殿下に気に入っていただけるように、頑張りなさい。……人は好きな相手にはやさしくするものです」
 そうゼルオスに語りかけた。
「は、はい、神官長様! 頑張ります」
 どうやらゼルオスはアルクマルトにやさしくしてもらいたいらしかった。意識して人にやさしくした覚えがないので、アルクマルトはこの会話の流れにとまどっていた。
「それはそうと」
 巻き毛のうえに乗せてある小さめの帽子の位置を片手でととのえながら、サンジェリスは言った。
「……そろそろ、おたがいの呼び名に慣れてください。わたくしは商家の主人レジナード。殿下が詩人キリークですから。田舎の街道沿いとはいえ、どこに目や鼻や耳があるやしれません。そとでは殿下とか神官長とかは禁句です」
「は、はい。承知いたしました、旦那さま」
「よろしい」
 ゼルオスは素直な性格のようで、サンジェリスがいったことをすぐに実践してみせて微笑ましかった。
 アルクマルトも長いあいだ客商売をやった経験があるので、相手をたてるものの言い方は心得ている。
 名の知れたあるいは気に入りの詩人を、他の人間に献上することはままあることで、こういう道中はそう珍しいものでもない。詩人が気に入られれば献上したほうにも利があり、言ってみれば美女や宝物を差し出すのと同じようなものだった。
 男の詩人が見目のよい者であれば、相手に身体も差し出すという前提で献上されることが多い。
 男を抱く男がそれなりにいることを、アルクマルトは放浪してはじめて知った。男娼と言われることも多かったし、酒場でからまれて身体をさわられたりすることが頻繁にあったので、否応なしに知らされたのだ。
「キリーク殿、もうすぐ小さな集落があります。……すこし馬を休憩させるので、ひたいの手当はそこでしましょう」
「ありがとうございます、旦那さま」
 センティアットまではまだ何日もかかる。それまではあまり先のことを気に病まずに、気楽に旅をしようとサンジェリスは出立前に言った。商家の一行らしくふるまえばそれでいいと。
 目の前に十数軒の農家があつまった集落が見えてきた。アルクマルトはさきほどのエリアスのまなざしを思いだしながら、知らず知らずひたいに手をあてていた。

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