放浪の王子 第15章 -4-

「……アルクマルト王子の顔を知らない人間のほうが、使者に向いていたかもしれぬな」
 セダス公がそうつぶやくように言うと、他の家臣たちから声があがった。
「たしかに。本人を目の前にして偽物だと言い切れぬようでは……」
「しかし、王宮内で殿下の顔をよく知らない者は……家臣にはおらぬではないか」
 伝令役の侍従が声をかけた。
「おそれながら、神官長サンジェリス様ご到着にございます」
 ローディオスが、
「通せ」
 と答えると、侍従は扉を開け放った。そこから若い神官を二人したがえた人物が玉座の間にあらわれた。
 質素な淡い灰色の衣服に身をつつみ、ひきずるほどの長い布をあたまに乗せそのうえに帽子をかぶった衣装——正装ではなく平時の上級神官の出で立ちである。
 神官長サンジェリスは端正な顔立ちに翠の瞳と、どこか神秘的な雰囲気をただよわせた人物である。足もとがおぼつかないのか、若い神官にときおり支えられながら歩いていた。そして玉座の正面の位置にくると、そっとひざまずいた。
「エルフィード神殿の神官長サンジェリス、参内いたしました。陛下に御意を得ますこと、光栄でございます。……病にふせっておりましたゆえ、介助の者を同席させますことをお許しいただけましょうか?」
「かまわぬ」
「ありがとうございます」
 若き神官長は顔をあげると、王ローディオスそして居並ぶ重臣たちをゆっくりと見わたした。
「神官長どの」
 宰相ソルダスに呼ばれ、神官長はそちらに視線をむけた。
「はい」
「ここに呼ばれた理由を、存じておろう?」
「はい」
「センティアットの神殿で王弟アルクマルト殿下をかくまっておるそうだな」
「さて……? われわれ王都の神官には監視がついておりますゆえに、センティアットのことも伝え聞く程度でございますので……」
 三年前のアルクマルト王子出奔のさい、神殿に安置されていた神剣もともに消えた。そこでエルフィード神殿は王子の逃亡の幇助の罪に問われたのだ。それからは王都の神殿には監視がつき、外部との接触のほとんどを禁止されることになった。上級神官に対しては外出すらいちいち許可を求め、神官長にいたっては神殿の敷地から出ることも禁じられた。
 しかし確たる証拠は出てこなかった。アルクマルト王子に神剣を手渡したという女官長シエレは、自らが神殿に剣を盗みに入ったとしか言わなかった。
「だが!」
 財務大臣ゾイが、太った丸い顔を赤くして声を荒げた。
「神官が神官長の指示なしに事を為すほど大胆ではあるまい? 裏で糸を引いておるのはそなたであろうが?」
「……」
 神官長サンジェリスはだまってゾイをじっと見つめた。そしてかわらず穏やかな口調で答えた。
「お言葉ながら、閣下。われわれ神殿の者は先王身罷られしとき、世継ぎはアルクマルト殿下と考えておりました。そのことはご承知いただいているかと存じます」
「む……」
 世継ぎをめぐる王宮内での紛糾は、財務大臣ゾイとて覚えているだろう。
 四年前、朝も夜もなく閣議はひらかれ、家臣たちはそれぞれが推す王子を世継ぎにとずっと言いあらそった。
「センティアットでも同じでございましょう。アルクマルト殿下が神殿に助けを求めて来られたのであれば、神官としては神剣をお持ちの殿下にお力をお貸しするのが筋でございます」
「……しかし、そのやりようは陛下に対して不敬であろうが」
「そんなつもりではございません」
 やりとりを聞いていたローディオスが、すっと立ちあがった。
「神官長どの」
「はい、陛下」
「そなたは私が王なのを認めぬと言うか?」
 濃い臙脂色の長衣を身につけ白いマントを羽織った王の姿は、その金髪ともあいまって華やかであった。
 神官長はローディオスの言葉に、かしこまって頭をさげた。
「……今はあなた様が王でございます、陛下」
「そうだ。私が王だと決まった。……決まったいじょうは否やは許さぬ」
「御意にございます」
「ならば、我が弟アルクマルトをかくまうのはやめて、ただちに引き渡すよう、センティアットに伝えよ」
「……」
「……どうした?」
 神官長は答えなかった。よこから財務大臣のゾイがまた声を荒げた。
「神官長どの、やはりそなた……!」
 ローディオスはかるく手をあげ、赤ら顔の大臣を制した。
「待てゾイ。私が神官長と話しておるのだ」
「はっ……申し訳ございません」
 王は頭を下げたままの神官長サンジェリスをじっと見た。
「面をあげよ」
「……」
 神官長はゆっくりと顔をあげた。王のまえにあっても、彼は怖じけるようすもなく、毅然としている。
「返答次第では、容赦はせぬ」
 かつてアルクマルト逃亡の報を聞いた王ローディオスは、前神官長ですら斬り殺しかねないほどの怒りようだったという。
「……アルクマルト殿下をどうなさるおつもりですか?」
「どうもせぬ。あれは私のだいじな弟だ」
「……」
 居並ぶ重臣たちに、わずかな緊張の色が見えた。彼らは王がアルクマルト王子をどう扱ったかよく知っていた。だからこそ、王と神官長のやりとりの行方が気になるのだ。場合によっては王は腰に帯びた剣を抜くかもしれない。
「アルクマルトを引き渡すか、そうでなければ……」
「おそれながら、陛下」
「なんだ?」
「ひとつ、提案がございます」
「……サンジェリスどの、陛下にたいして無礼であろう」
 王の問いにこたえずに提案といいだした神官長に、宰相ソルダスも眉をしかめた。エルフィード神殿はそれなりに民衆の信心をあつめているとはいえ、国家としてみればいちばん上にたつのは国王である。
「よい、ソルダス。……サンジェリス、申してみよ」
「ありがとうございます。……アルクマルト王弟殿下を、王太子として王宮にお迎えされるというのはいかがでございましょうか?」
「!」
 これには王だけでなく、かたわらに立つセダス公も表情を変えた。
 王妃であるアティラトが輿入れして五年になるが、いまだに王には子供がいない。王妃がだめならと他にも愛妾をと家臣たちが苦心したが、王が彼女たちに入れ込むことはなかった。
 王弟が王太子となる例は過去にもある。王に子が出来なかった時はもちろんだが、年老いた王の男子が幼くてまだ即位は無理だと判断された場合などだ。
「……なるほど。それなら、アルクマルトを王にというそなたら神殿側の思うとおりにはなるな」
「はい」
「だが、私に子供ができたらどうする? 争いの種が増えるだけだぞ」
「それはその時になってみないとわかりません。アルクマルト殿下のあとのお世継ぎとなさるという方法もございます」
「ふむ……」
 神官長の提言にやや考え込むようすの王に、数人の重臣が王を止めようとしてか慌てたふうに声をあげた。
「陛下!」
 世継ぎの話を王単独で決められては困るのだ。いちおう王家にかかわることは典範があり、例外があっても重臣たちとの協議のもとで決められることであった。
 そんな家臣たちの様子を察してか、王は静かに言った。
「だがこればかりは、いますぐ決めるわけには行かぬな。国のことゆえ。……だが面白い」
「どうか、ご一考くださいますよう……。それからセンティアットに使者を出すことをお許しいただけますか?」
「アルクマルトの引き渡しに応じるか?」
「それは殿下のご意志しだいでございます。……アルクマルト殿下が王宮に戻らぬと仰せならば、われわれはその意思を尊重いたします」
「それは私の意にさからうということだな?」
「——めっそうもございません。ただ、殿下が拒まれればわれわれにはどうすることも出来ませんゆえ」
「……」
 ローディオスの表情がけわしくなる。もとがととのった顔立ちだけに、迫力があった。玉座の置かれた、いちだん高くなっているそこから神官長を睨みつけるように見下ろした。
 対して神官長サンジェリスは平然として表情をくずさない。まだ年若い彼が神官長になったのは、他の上級神官の推挙がいちばん多かったからだという。その理由は王宮の人間には伝わっていない。
「よかろう。使者をたてるといい。——だが滅多なことは考えぬことだな」
「御意のままに」
「さがれ」
「はっ……」
 神官長サンジェリスは付き添いの若い神官に支えられて立ちあがると、ゆっくりと部屋から出ていった。
 最後まではっきりとは王に逆らうと言わなかった。だがその意思があることは、居ならぶ家臣たちにはよく伝わったことだろう。
 なにより複雑な表情で神官長を見送ったのは、王ローディオスその人だった。
 その王の心中を知ってか知らずか、セダス公は、
「陛下、神官長どのが心配です。輿でも用意させてまいりましょう」
 そういうと玉座の間から去っていった。

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