放浪の王子 第20章 -3-

「あにうえ!」
 頭から血の気が引いていく。まさか、こんなことに——
「……くっ……アル……マ」
 許せなかった。こんな状況も、こんな状況を生んだ元凶のセダス公も、そして自分も。
「エリアス! セダス公を捕らえよ!」
「……はい」
「どんな方法でもいい。生かして捕らえてくれ」
 声がふるえていた。怒りと絶望に。
「わかりました」
 エリアスは青毛のほうをふりかえった。よくしつけられた馬は、乗り手の意をさっして自分から近づいてきた。その背にまたがると、エリアスは近衛の間をぬうようにしてセダス公に近づく。幾人かの傭兵があとに続いた。
「近衛たちは、そこから動くな! 動けば叛意ありとみなして斬る」
「で……殿下」
 小隊長のブリッドが戸惑う声をあげたが、この場ではほかに方法がなかった。
 近衛兵の誰が王に従うもので誰がセダス公に従うものかわからぬ以上、アルクマルトが信じるのはエリアスたちだけなのだ。
 アルクマルトは兄ローディオスに駆けよった。
「兄上……」
 ローディオスは馬上で意識を失いかけ、かろうじて馬の首筋にもたれて姿勢を保とうとしていた。手で押さえても傷からはとめどもなく血があふれている。
 彼は苦しげな表情でアルクマルトのほうを見て、かすかに苦笑のようなものをにじませた。
「……ア……ル……」
「なにもお話くださいますな。傷にさわります」
 アルクマルトは胸がしめつけられる思いだった。助けを求められても、自分にはどうすることも出来ない。それが悔しかった。
 ここは王宮ではない。すぐに侍医がかけつけてくる場所ではないのだ。
 サンジェリスとベレウスが騎馬のまま近寄ってきた。
「殿下、馬上から失礼いたします」
 ベレウスが来ていたことに驚きつつ、アルクマルトはうながされるままにローディオスの身体を彼らにあずけた。
「我々神官は、多少ではございますが、医術の心得がございますゆえ……」
「そうか、任せる」
 サンジェリスとベレウスが傭兵たちに指示してローディオスを馬からおろし、運ばれてきた板の上に彼を横たえた。それから数人の傭兵たちがローディオスを押さえつけ、矢を抜こうとしている。
 ローディオスの苦鳴がひびく。気を失っていればまだ楽だったかもしれないのに、下手に意識を保っていたのがあだになったのだ。
(申しわけありません、あにうえ——)
 苦しむ姿を直視するのは耐えがたかった。
 アルクマルトはセダス公のほうを見た。傭兵たちに囲まれてもなお抵抗をやめようとしない。どこまで往生際がわるいのだろう。
 だがついに傭兵たちはセダス公とオーズ、それに数人の近衛兵を捕らえた。
「殿下、ご命令にしたがいセダス公を捕らえました」
「ご苦労」
 エリアスの報告にうなずき、アルクマルトはゆっくりと歩き出す。セダス公のほうへと。
 とちゅう、落ちていた神剣を拾いあげた。人をふたりも貫いたのに、柄にも刃にもまったく血は残っていない。そしてアルクマルトが触れるといちだんとまぶしく青白く光った。
「叔父上。大逆罪に与えられる刑をご存じでしょうね?」
「……」
 もはや逃れるすべもないセダス公だったが、ふしぎにその表情は落ちついているように見えた。
「さあ? 私はなにもしていない。罪状を諮るなら王都に帰ってからにしてもらおうか」
 この後に及んで言い逃れをするつもりらしい。
「すべてはオーズが仕組んだ。儂は知らん」
「だまれ」
「近衛兵たちが勝手にしたことだ。儂は巻き込まれたのだよ」
「だまれと言っている」
 アルクマルトは神剣の切っ先をセダス公の顎の下にあて、彼を黙らせた。もうこれ以上この男の欺瞞を耳にすることがひどく腹立たしかった。
 すべてはこの男が元凶なのだ。父である先王亡きあと、王宮内でアルクマルトはローディオスと敵対する関係になってしまった。そしてザグデナスとイダの二人の腹違いの兄が殺され、アルクマルトの命も狙われた。
 王宮でローディオスに抱かれて心を病み、療養先の荘園から逃走した。流れの民として飢えて凍えながらさすらった日々が脳裏によみがえる。
 柄をにぎるアルクマルトの手に力がこもった。それに応えるように、神剣は蒼白い光を燃えあがらせた。周囲で見守っていた近衛たちが息を呑む。
 もはや誰も疑いはしないだろう。神剣を持つ者こそ王であるという言い伝えを。
 大逆罪は斬首——アルダーナの法ではそう決まっている。王に逆らいその命を狙った者に与えられるのは死刑しかあり得ない。
「……ローディオスは……助からんぞ。あの矢は……身体の内部に大きな傷を与える矢尻を使ってある」
「!」
「お前を殺せなかったのが……儂の……そしてローディオスのいちばんの失敗だった……」
「それ以上しゃべれないようにしてやる!」
 アルクマルトは怒りの表情で、神剣を大きく振りかぶった。
「殿下!」
 エリアスの声に、アルクマルトは我に返る。
「止めるな、エリアス」
 そう言ってエリアスのほうを見ると、エリアスはそっと首をふった。
「あなた様がお手を汚されることはございません。そのようなことは私が。……斬れと命じてください」
「……」
「殿下」
「ありがとう、エリアス。だが……」
 アルクマルトは剣をひかない。
「私の手はいくらでも汚れていい。……この男は私が斬る!」
 重い雲がたちこめる空から、耳をつんざくような雷鳴がとどろいた。
 血しぶきをあびても表情を変えず、頭部をうしなって痙攣する死体を見下ろす。
 空からはらはらと白いものが舞い降りてきた。今年はじめてふる雪だ。
「セダス公ラジェイオス=アルデアナは大逆の罪で斬首刑に処した。——そなたら近衛は輿を用意せよ。兄上——陛下を王都へお連れする」
「ははっ、承知いたしました」
 近くにいた小隊長ブリッドが答えた。

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