放浪の王子 第13章 -2-

 正面玄関のところで一行が馬をおりると、若い神官が手綱をうけとって馬を連れていった。
 先導の神官たちがいっせいにその場にひざまずくなか、アルクマルトは開かれている扉の中へと案内される。
「これは……」
 壮麗な建物であった。古めかしさは王宮なみか下手をすればそれいじょうなのだが、そのつくりはやはり立派である。
 入り口をはいってすぐは神をたたえるための礼拝所のようなもので、だれもが出入りできるようになっていた。そのために扉はつねに開けられているらしい。
 そこから奥へ、神官たちの居住する棟へと移動する。いくつか連なる棟の多さから推しても、かなりの神官がここに暮らしているのは明らかだ。
 客を迎える広間にとおされ、アルクマルトとサンジェリスはすすめられるまま椅子に腰かけた。うしろからついてきたエリアスとゼルオスもおなじように席につく。
 城門の外まで迎えに来ていたさきほどの上級神官が、あらためてアルクマルトのまえでひざまずき、敬意をあらわす姿勢をとった。
「殿下、道中ご無事でなによりにございます。わたくしめはこの神殿の司、ベレウスと申します」
 ミルラウスよりは若い上級神官である。眉の色から察するに、彼は赤毛なのだろう。
「ベレウス殿、わざわざ城門のそとまでの出迎え——感謝する」
「とんでもございません。あなた様をお迎えすることがわれわれの悲願でございますれば……」
 当番らしき若い神官によって茶が運ばれてきた。
「長旅でお疲れのところ、申しわけございません。まずは茶でもお召し上がりになっておくつろぎくださいませ」
 それからベレウスは、サンジェリスのほうへ向きなおった。
「神官長聖下もご無事でなにより」
 サンジェリスはいつものように優美な所作で茶器を手にすると、「ベレウス殿、わたくしがここにいることは内緒です。神官長さまは王都の神殿にいらっしゃることになってますので」
 と言って笑った。
「やや、そうでした。しかしまあ、この神殿の中でなら良いのではありませんか?」
「……神官たちを疑うわけではありませんが、巡礼の民が会話を聞かないとも限りません。わたくしのことは、いないものとして扱ってください」
「それは困ります。殿下だけでなく神官長さまをお迎えできるというので、若い神官たちが色めきたっておりまして」
 ふだん会う機会もあまりない神官長という存在は、神官たちにとっては憧れのようなものだろうか。
「では、特別扱いはしないでください。……わたくしには若い神官と同じ衣装を用意していただけますか、ベレウス殿?」
「承知いたしました」
 アルクマルトは茶を味わいながらふたりのやりとりを聞いていた。
 サンジェリスは神官長という神殿でいちばん上の地位にいるわけだが、彼はそこにこだわりはあまりないようだった。他の上級神官よりもかくだんに若いが、どういういきさつで神官長に選ばれたのだろう。
 一行が茶を飲み終えると、アルクマルトはベレウスに先導されて客間に案内された。
 やはり自分だけ客間なのか——と思ったが、こればかりは仕方のないことでもあった。
「こちらでございます。殿下のお気に召しますかどうか……」
「こ、これは……」
 その客間は、それこそ貴族の邸宅の一室のようだった。
 そう広くはないものの、居間と寝室の二部屋つづきになっている。調度品などもかなり立派なものが置かれていた。
 寝室には王宮なみの寝台があった。四隅に柱があって紗が垂らされており、やわらかな寝具には金糸銀糸の縫い取りがほどこされていた。
 もうひとつの居間にのほうには、分厚い絨毯が敷かれており、ゆったりとした長椅子にこれも金糸銀糸の縫い取りのあるクッションがいくつも置かれていた。
 ここはバルームほどの田舎町ではない。センティアットという街の規模がそのまま神殿の経済力をも支えているのだ。
 部屋は申しぶんないのだが、アルクマルトはやはり自分だけここでひとり過ごすことに抵抗があった。
「ベレウス殿——」
 ふりかえると、上級神官ベレウスと目があった。
「お気に召しませんでしょうか?」
 ベレウスはにっこりと笑った。
「私ひとりがここで過ごすのは、いささか堅苦しいように思う。普通の——神官たちと同じ部屋でもかまわないのだが」
「殿下がここにいらっしゃることは、すぐにも街中——いえ国中に広まっていくでしょう。あなた様を神官と同じ房にお泊めしてそれが民に知られれば、神殿としては外聞が悪うございまして」
 彼はミルラウスとちがって、言いにくいことをわりとハッキリ言うタイプのようだった。
「……そうか」
「堅苦しいことはお詫び申しあげます」
「……」
「ご用がございましたら、こちらの鈴を振っていただけますか? 若い神官がまいります」
「……」
「お食事はみなと同じに食堂まで来ていただくことになります」
「ああ、それはそのほうが助かる」
「本日は旅のお疲れもあると存じます。どうかごゆっくりとお過ごしくださいませ。明日の朝食後、神官長さまとともにお話をさせていただきとうございます」
「わかった。いろいろと気遣いかたじけない」
 ベレウスは退出し、部屋にはアルクマルトだけ残された。
 まだ昼をすこし回ったくらいの時間である。夕食には時間があるし、そのころには若い神官か誰かが迎えに来るのだろう。
 やわらかな寝台は、ためいきをつきながら腰をおろしたアルクマルトをやさしく受けとめてくれた。

 エリアスには神官の棟の部屋が用意されていた。先行していたサウロスとマルス、そしてゼルオスも同じように逗留用の部屋を与えられていた。
 センティアットは華やかではないが豊かな街である。民から神殿への寄進も多く、その財源をもとに神殿は孤児院や救護院をひらいていた。バルームの町とは違い、巡礼の信者をもてなしたりすることも神官の仕事になっている。
 ここも神官の部屋は個室だった。鎖帷子をぬいで荷物をとくと、エリアスは肩の力を抜いた。
 商家の一行という穏やかな道中ではあったが、それでもどこにどんな危険がひそんでいるかわからない。裕福な商人は追いはぎや夜盗に狙われやすく、旅にはそれなりの危険をともなう。
 王子だけでなく神官長もいただけに、エリアスは道中ずっと気を張っていたのだ。
(ようやく……殿下をここまでお連れすることができた)
 王子はいまごろ、いちばん良い客間にとおされて困っているのではないだろうか。なんとなくその様子が想像できてしまう。
 ふと、ゆうべのことを思いだした。毛布のしたでゆっくりとアルクマルト王子を愛したことを。
 初めて彼と交わった夜からもう十日ほど経っていただろうか。王子が寂しがっているのは、なんとなく感じていた。
 若くそして——淫らな身体だ。エリアスとてあの夜を忘れられるはずがない。寂しがっているならそれを慰めたいとも思った。
 だが自分はただの兵士である。ましてあのとき、アルクマルト王子はなにか精神的な衝撃をうけて平常心を失っていた。それで身近な自分を誘惑したのだ。
 それゆえに二度目はないのだと、自分に言い聞かせていた。これまでのように、剣の稽古でもなんでも王子の身近にいられればそれで充分なのだと思っていた。
 手など出せるはずがない。触れたいと思ったところで、自分ではどうしようもなかった。
 だが、ゆうべまた王子のほうから誘ってきた。そしてあの身体をひとときだけ自分のものにしてしまったのだ。
 王子は誘っておきながら照れて恥ずかしがっていた。それが意外というか驚きだった。
 彼は初めての時、どんな姿勢もためらうことなく貪欲に快楽をむさぼったのだ。みずから足を開いたり腰をあげてエリアスのものを受けいれていた。あまりに慣れていて、それを教えた相手への嫉妬心をエリアスに抱かせたほどだった。
 そもそも彼は裸になることすら抵抗を感じていない。侍従たちに世話されて成長したためか、自分の裸体を見せることに戸惑いを見せなかった。
 湯浴みの時に神官たちがその体を横目で見ていたことに気づいてはいないだろう。年頃でしかも男ばかりの神殿で暮らす神官たちには、アルクマルト王子はある意味目の毒だった。
 そんな王子がゆうべ見せたあの頬をそめた顔を思いだすと、しらず身体が熱くなってしまう。
 交わることすら恥ずかしがらないくせに、自分で誘っておきながらあんなに恥ずかしがったのはなぜだろう。あれではまるで——
 そこまで考えて、エリアスはため息をついて自分の考えをふりはらった。
 とりあえずは自分の任務は終わったのだ。王子の護衛という大任は果たした。まだ神官長からの命はあるかもしれないが、王子を見つけだしてアルダーナに連れもどること、そして神殿へ連れてくること、という役目はもう終わっていた。
 これから先の情勢が、どうなるかはわからない。ただ神殿が王都に真っ向から対立するいじょう、平和なまま解決することはないだろう。かならず何らかの争いごとは勃発するはずだ。
 状況によっては、このセンティアットで王子と別れることになるだろう。そして別れてしまえば、二度と会うことが叶わないかもしれない。それならばもう、忘れてしまったほうがいいのだ。
 どれほど恋い焦がれても、自分のものにはならない。身体を繋いでみたところで、その心までは手が届かない。
 ひとときだけ彼を癒やせる存在であればそれでいいと、そう思いながらも本心はやはり欲しいのだ。なんという高望みだろうか。
(……殿下)
 事を終えたあとの口づけのときに見せる、甘えたような表情が脳裏によみがえってつらかった。あんな表情を見せられたら、誰だって勘違いしてしまうではないか。
 ——王子は、自分のことを好きなのだと。

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