放浪の王子 第10章 -2-
サンジェリスの表情はかわらずやわらかな印象だが、口調がやや引き締まった感じだった。
「王位の話はとりあえずおいておきましょう。陛下にはまだ世継ぎがお生まれではないので、王位継承権の第一位はいまだに殿下、あなたですから」
「……」
まだアルクマルトに王位継承権があると言われたのは意外だった。だがよく考えてみれば王弟なのだし、ローディオスに子供がいないのならそうなる。
妃を迎えてもう五年になるローディオスにまだ子供がいないというのでは、周囲はやきもきしていることだろう。
「すこし風が冷たいですね」
サンジェリスはふわりと立ち上がった。そしてひらかれた窓にちかづくと、そっと閉めた。
「ですが——殿下のつぎに王位継承権を持ち、しかも王宮でかなりの権力をにぎりつつある方がおひとりいらっしゃいます。いまアルダーナの情勢を不穏にさせているのは、陛下ではなくその方なのです」
ローディオスが異母弟を殺すか追いだしたため、先王ムートの王子はアルクマルト以外には残っていない。他に王位継承権を持っている王族となると——
「——叔父上か!」
アルクマルトの叔父、セダス公だけである。
「はい」
セダス公——ラジェイオス=アルデアナは先王ムートの異母弟である。
先王ムート即位の際、異母弟たちはそれぞれ荘園を下賜されて貴族の端くれとして王宮を退いたのだが、ラジェイオスだけは臣下として王宮に残る道をえらんだ。
王弟が臣下として王に仕える道をえらんだ場合、政治的に重い地位は与えられないことが多い。それはもちろんよけいな権力争いの種になることを避けようとしてのことだ。
だがセダス公には外務大臣という国にとって重要な役割が与えられた。これは先王ムートの特別なはからいによるものだという。
アルクマルトが知るセダス公は、父親であるムートよりずっと若くそれでいてかなりの覇気のある人物であった。ただあまりアルクマルトのことをよく思っていないらしく、いつも冷たい目で見下ろされていた思い出しかない。それはアルクマルトが神剣を抜いてからいっそう顕著になった。
「隣国との戦争を考えているのも、それを理由に税を増やそうとしているのも、セダス公の考えなのです」
「……兄上ではなかったのか」
アルクマルトが酒場などで聞いた人々の言葉には、戦争を起こそうとしている王ローディオスへの恐れしかなかった。そもそもが兄弟を殺して王位についた狂王というレッテルがあり、そういった悪い噂はそのレッテルゆえに広まりやすかったのかもしれない。
「民にとっては、セダス公の考えもまた王の決定のひとつなのですよ……。臣下のなすことの最終的な責任はすべて国王にあるのですから」
それは王として臣下を統べることがいかに難しいかを物語る言葉だった。臣下は王の代弁者であり、彼らの不品行はそのまま王への批判にもなるということだ。
「しかし叔父上がなぜそのような……? 兄上はかしこい人だったはず」
ローディオスは勉学が得意でかなり頭が切れる人物だった。セダス公の権力拡大に気づかないはずはない。
神官長サンジェリスは椅子には腰かけず、そのままゆったりと部屋のなかを歩いていた。
「セダス公は——まだ王太子であったころの陛下に、かなり取り入っていたようです」
「兄上に?」
「はい。そして陛下もまた以前からセダス公を頼りにしておいででした」
「——なにゆえに?」
「王になるための後ろ盾として——でしょう」
「!」
王宮内の権力争いからはなれた場所にいたアルクマルトには、当時のことはほとんど見えていなかった。
王になるために後ろ盾が必要だということは、それまで知りもしなかったのだ。ただ王太子に決まったらなんの問題もなく王になれるものだと思っていた。
もっとも、四年前にすんなりと王が決まらなかった最大の原因は、父親の遺言にあるのだが。
神官長はゆっくりと話しつづけた。
「王はひとりではなれぬものです。王の子であっても、自分が王なのだと声をあげても、臣下が認めねば王にはなれません」
「……」
「だれも認めないまま王になったとしても、それで国を治めることなどできませんしね」
たしかにそのとおりだ。王が王であることがあたりまえにように見えているけれども、それは臣下がこの人物ならばと認めているからだ。
王というひとつの権力のちかくには、さまざまな思惑をもった人間たちがあつまり、また別の権力をつくりあげている。それが王宮のほんとうの姿なのだ。
「遺言という大きな影響力をにぎりつぶして即位するためには、かなり強力な味方が必要だったかと思われます。……じっさいのところ、最初はあなた様を世継ぎに推す意見もかなりあったようですから」
「……そういう……ことか」
「はい」
セダス公はローディオスに取り入り、やがて強大な後ろ盾になっていったのだ。ローディオスもその力を頼ったいじょうは、そうそう蔑ろにもできなかっただろう。
そしてその後ろ盾はやがて、王であるローディオス以上の権力をも持ちかねないほどに大きくなってしまった。
アルクマルトはゾッとした。セダス公はただ力を手にしただけで満足するのだろうか。目の前に王位があってそれに手が届くのなら、手段をえらばないこともあるのではないだろうか。
ローディオスが即位すれば自分は臣下になって彼を助けるだけの話だと——そうのんびりと構えていた自分が愚かだった。王を中心にした権力争いは、そんな生やさしいものではなかったのだ。
おもわず重い息を吐き出す。
なぜあのときの自分には、状況をもっと見る目がそなわっていなかったのか。悔いてもはじまらないが、考えずにすませるには状況が重すぎた。
もしかしてもっと自分が賢ければ、ローディオスとの関係もまた違ったものになっていたかもしれないのだ。
ゆったりと歩んでいた足をとめ、サンジェリスはアルクマルトのまえで膝をおった。
「殿下」
「なんだ?」
「セダス公を倒すために、殿下のお力をお貸しください」
いつもおだやかなはずのその声には、しずかだがつよい力がこもっていた。
「……!」
「このままでは下手をすれば王位簒奪、そうならないまでも王宮の勢力は二分され、国が政治が大きく乱れます。——それを止めるために、あなた様のお力が必要なのです」
サンジェリスの言い分はもっともだが、自分にそれだけの力があるかと言われれば正直なところ自信は持てなかった。
「私にはそれほどの力は……」
「いいえ!」
いつになく真剣な表情の神官長に、アルクマルトはいっしゅん気圧された。
「殿下、神剣と——あなた様自身が力そのものなのです。どうか——」
「……サンジェリス殿」
「——エルフィード神殿の神官すべての代表として、お願いいたします」
「われわれに……お力を」
アルクマルトは神官長の本気をはじめて見た気がした。
——いや、神官長はもとから本気なのだ。逃亡して行方もしれない王子を探しだして担ぎ出そうということなど、本気でなければ出来はしないだろう。
王はひとりでなるのではない。それでも王になるには血筋という、民を納得させる資格が必要だった。
その血筋のうえに神剣の主人でもあるアルクマルトだから、本気になるだけの価値があると判断した。そういうことだ。
アルクマルトは神官長の緑の瞳を見かえした。
「わかった——」
「殿下!」
サンジェリスにはサンジェリスなりの責任があり、彼はそのために力を必要としている。
お互いが相手とその力を必要としているのだから、ここでこばむ理由はなかった。
「私は叔父上をとめたい。だがひとりでは何もできぬ」
「……」
「力を借りねばならないのは私のほうだ」
「ご厚情、感謝いたします……!」
サンジェリスは頭をさげた。まるでその背に負う思いと責任を噛みしめるかのように、ふかく。
「できる限りのお手伝いはさせていただきます。われわれの持てる力を、殿下——あなた様のために」