放浪の王子 第15章 -2-

「こ、このような戯言……許されると思うてか……」
 使者は上級神官べレウスのほうを睨めつけた。べレウスは平然とその視線をうけながす。
「戯言とは、異なことを申される。殿下がここにいらっしゃること、そして神剣をお持ちであること。それが……国にとっては戯言だと?」
 べレウスはそっとアルクマルトのほうを振り返った。アルクマルトは頷き、腰に帯びた神剣を抜いた。
「おお……」
「あれは!」
 居並ぶ人々が口々にさけぶ。
 その刃は青白い光を帯びていた。ただ光っているだけではない。まるで炎のようにゆらめくさまは、明らかに普通の剣ではなかった。
「神剣は人を斬るためのものではないと思う。だが、必要とあらば……」
 青白い炎がおおきくなった。
「私は私のだいじなもの――この国と人々を護るために、斬る」
「ひっ……うわあああっ」
 べリエストル卿はあわてたようすで馬の腹をけった。そのまま神殿のまえから逃げるように走り去っていく。
 しばらくして、静かだった人々がいっせいにざわざわと声をあげはじめた。
「王宮はこの街をつぶすつもりなのかい?」
「……神殿と王宮はケンカしようってか?」
「でも……空の神さまに逆らったら、どんなことになるか」
「そうだね……ごらんよあの剣……。燃えていなさるじゃないか……」
「……おそろしい」
 喧噪のなか、アルクマルトはしずかに神剣を鞘におさめた。鞘におさまってしまうと、青白い炎は見えなくなった。
 正装のベレウスが、仰々しくアルクマルトのまえにひざまずいた。
「殿下。わざわざのお運び、感謝いたします」
「礼にはおよばない。……私は私に出来ることをしたい。それだけだ」
「民へのお情け、まことにご立派な心がけにございます」
「……」
 そのままアルクマルト王子は神殿の奥へと戻っていく。ベレウスと数人の神官たちはその後ろ姿にしばらく頭を下げて敬意を表していた。

 食事が始まったばかりのときに使者到来の知らせを受けてあわただしく用意したため、食堂にもどると神殿の門前に出た者たちの食事はそのまま残されていた。
「あれで……良かったのか?」
 アルクマルトはベレウスをふりかえった。正装をといてふだんの神官装束にもどったベレウスは、にっこりと笑ってうなずいた。
「上出来でございます。さすがは……殿下」
 王宮から何か言ってきたときの対処は、だいたい打ち合わせしてあったので、そう慌てることもなく準備ができた。ああやって民衆のまえで、アルクマルト王子を擁する神殿の立ち位置というものをハッキリと宣言することで、予定どおりにことが運んだと言える。
「……まさかベリエストル卿が遣わされてくるとは思わなかった」
 センティアットにいるアルクマルト王子が本物か偽物か見きわめられる者、それでいてここにいる王子は偽物だと言い切ることのできる人物を選んだのだろう。
 それなりに機転がきく者でないと務まらない。当たり前だが王宮側も考えて行動しているのだ。
 ベリエストル卿とは何度か顔をあわせたことがある。だから三年経っていても、アルクマルトの顔はわかっただろう。
 目の前に事実を突きつけられてそれでもなお否定する役というのは、なかなかこなせるものではない。
「冷めてしまっておりますが温めなおさせましょう。……差し支えなければ朝食の続きを」
 ベレウスがうながすと、アルクマルトやサンジェリスも席についた。
 温めなおすためにスープの皿が下げられると、アルクマルトはサンジェリスに言った。
「べリエステル卿はかなり驚いていたが……さきほどのアレはやりすぎなのでは?」
 神官長はほんのりと微笑みながら、
「なにがですか?」
 と聞き返した。
「神剣を光らせたのは、そなただろう?」
 青白い炎のようにゆらめく光は、アルクマルトもはじめて見るものだった。センティアットにはじめて着いたときに城門前でサンジェリスがなにか唱えて剣を光らせたことがあった。さきほどのもそれだと思ったのだ。
 だが——
「わたくしは、なにもしておりません。殿下」
 そう答えられて、アルクマルトは首をかしげた。
「そんなはずは――あんなに光ったではないか?」
 見習い神官の格好のままアルクマルトに付き従ってきたのは、そのためでもあったのだろうと思った。
 しかしサンジェリスは首をふった。
「あれはわたくしではありません。……殿下、あなたさまのお力でございます」
「えっ?」
 自分でなにをしたつもりもなかったので、アルクマルトはただ目を丸くした。
「殿下の強い思いに、神剣は応えた……かと、わたくしは思います」
「……?」
「われわれ神官なら、古の言葉を唱えなければ剣を光らせることは出来ません。しかし殿下、神剣は持ち主であるあなたの心に反応するのですよ」
「……では、さきほどのは私が?」
「はい。わたくしだけでなく、ベレウス殿も他の神官も、誰もなにもしておりません」
「……」
 剣をあやつったのだとしても、アルクマルトは自分がどうやったのかまったくわからなかった。ただ強い思いを込めて剣を抜いたことだけは覚えている。
 このあいだ刺客に襲われてから、自分の周囲の人々まで危険な目に巻き込むことだけは避けたいと、その思いは日に日に強くなっていった。
 自分に力がなければ、大事なものを失ってしまうことになる。そして今の自分には、護りたいもの失いたくないものがあった。
「さあ、お待たせしました。朝食をやりなおしましょう」
 ベレウスがそう言うのにあわせて、温めなおされた豆のスープの皿がふたたび配られた。これとクルミを入れたライ麦パン、羊乳の硬いチーズを薄く切ったものが今朝の朝食だった。
 どうということはない普通の食事だが、こうやって三度の食事を用意できるのは神殿にそれなりの力があるからだ。自給自足でかなりのものをまかなっていたバルームの神殿とはちがい、ここは神官の人数も多くおなじように農作業をしても追いつかない。ましてや巡礼の民や食べるものに困った街の住民に炊き出しを行っているのだから、それなりの財源がないと難しいだろう。
 それらの財源は多くは住民の寄進である。アルダーナが全体に温暖肥沃な土地なのは、安定した気候のおかげでもある。そしてそれは神殿が神を祀っているからだと人々は信じていた。それゆえに民からの寄進はかなりのものになる。
 国家には義務として税をおさめるが、神殿にはみずからすすんで寄進する。その違いは大きい。そしてそこに期待するものも大きく違ってくるのだ。
 神殿が民の期待に応えるならば、信頼の大きさも国家にたいするもの以上になっていくだろう。
 王宮が——王がいったいどれほどの信頼を得られているものなのか、考えれば気が重かった。
 アルクマルトは兄ローディオスのことを思わずにはいられなかった。彼はいま、王として幸せなのかどうか。

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