放浪の王子 第13章 -1-

「キリーク殿、ゆうべはよく眠れましたかな?」
 宿のおもてに出て、厩のものが馬を用意するのを待つあいだ、サンジェリスは商家の主人らしく話しかけてきた。
「はい、それはもう。良い宿をありがとうございます……」
「けっこう。では出発しますぞ」
 そう答えたものの、よく眠れたかというとそうでもなかった。なんどか目覚めて、となりにエリアスがまだいるのを確かめて、また眠りに落ちる。そういうことを繰り返していた気がする。エリアスのことだから、はやい時間に起き出してまた自分の寝台に戻ってしまうのではないか。そう考えていたからだ。
 結局、アルクマルトはぎゃくに寝過ごしてしまい、エリアスに揺り起こされることになってしまったのだが。
 サンジェリスに言われていたので、今日は派手な装飾品のたぐいを身につけず、頭巾を頭からかぶるようにして顔をなるべく隠していた。そしてマントのしたには神剣を帯びている。
 アルクマルトを見て、連れてこられた鹿毛が元気にいなないた。
「おまえはいつも元気だな……」
 そっと鼻面を撫でてやり、あぶみに足をかけていつものように鞍にまたがる。
 エリアスとゼルオスはすでにもう馬に乗って待っていた。
「さ、センティアットへ向けて出立しますよ」
 サンジェリスが声をかけ、一同が馬の腹を蹴った。いよいよ今日の午後にはセンティアットに到着する。
 もともと秋は雨もすくない気候だが、道中ほとんど雨に降られることもなく順調だった。今日もさわやかな秋晴れである。
 天空神の加護があるから——そうサンジェリスが言っていたが、それが本当なのかどうかはアルクマルトにはわからなかった。

 センティアットに近づくにつれ、すこし離れた山肌にもたくさんの放牧地が見えるようになってきた。
 また街道には、羊の群れをつれた羊飼いがしばしば姿を見せた。
 高地や山岳地に隣接したこの地域は、むかしから農業はあまり盛んではない。平地がすくないことや気候がやや寒冷であるために、他の地域ほど実入りは豊かではないからだ。
 その代わりに発展したのが牧羊だった。羊毛をはじめとして羊の肉や羊の乳の加工品などを大量に産出し、他の地域との交易で富を得てきた。
 温暖なアルダーナ国といえど、冬は雪も降りそれなりに寒くなる。とくに北の海に面した地域ではかなり寒さは厳しいという。あたたかな羊毛が重宝されるのは当然だろう。
 国産のものであるために価は安く、それゆえに庶民には人気があった。センティアットでは羊毛の加工、なかでも毛織物に力を入れており、糸から織物まで全過程を町の中だけでこなせるほどの技術組織をつくっていた。
「いよいよセンティアットか……」
 アルクマルトがそうつぶやいたとき、城門が見えてきた。かなり立派な造りである。さすがはアルダーナ第三の都市といったところか。
 城門の前に、白っぽい衣装を身につけた団体がいた。おおよそ二十人ほどいる。よく見ればそれは間違いなく、エルフィード神殿の神官装束だった。
「あれは……」
 おもわずサンジェリスを見る。サンジェリスは艶然とほほえみ、うなずいた。
「神官たちが迎えにきてくれたようです」
「し、しかし、こんな城門のまえで堂々と……?」
「それで良いのです。さあ殿下、頭巾をおとりください」
「えっ」
 なんのことかわからないが、言われて頭にかぶっていたものを取った。秋の風がさっと吹き抜け、結んでいない長い黒髪がふわりと揺れる。
 神官たちが一行を見て駆けよってきた。周囲を行き交う者たちも、なにごとかと注目している。
 先頭にいる神官は、帽子の下に長い布をヴェールのように被った上級神官の出で立ちであった。彼が神殿の司であるベレウスなのだろう。
 アルクマルトの目の前にくると、彼らは次々と膝を折り頭をさげた。
 鹿毛をはじめ、四頭の馬は歩みをとめる。
「ようこそおいでくださいました、アルクマルト王弟殿下」
 上級神官が顔をあげて口上をのべる。
「われわれエルフィード神殿は、神剣に選ばれしあなた様こそがアルダーナの真の世継ぎであると信じております」
「……」
 周りで見ていた人々が、いっせいにアルクマルトに注目する。
「幽閉されていた王宮から逃れられた殿下を、この街にお迎えできる光栄を与えてくださったこと、天空神ザイデスに感謝いたします」
 雰囲気に気圧されているアルクマルトに、サンジェリスがよこから囁いた。
「殿下、神剣を抜いて彼らを祝福し、てきとうにねぎらいの言葉をおかけください」
「な……?」
 なにごとかよくわからなかったが、とりあえず言われたとおり神剣の束に手をかけ、するりと抜いた。
「我が名はアルクマルト。先王ムートの第四王子である。わざわざの出迎え、大儀であった」
 そう言ったとき、サンジェリスがよこで何かを唱えたのが聞こえた。
 次の瞬間——
 神剣の刃が青白い光を帯びて輝いた。
 陽の光を反射したとかそういう類いのものではない。内側から燐光のように輝いたのだ。ふつうの剣でないことは見たものにはすぐわかっただろう。
「おおっ……あれは」
「神の……剣だ……」
「……あ、ありがてえ」
 目にした人々が口々にそう言うが、持っているアルクマルト本人もまた、これほど輝く神剣を見るのは初めてだった。
「むさ苦しいところではございますが、どうか殿下におかれましては、我らが神殿にご逗留いただきたくお迎えに参上いたしました次第でございます」
「かたじけない」
 アルクマルトは元通りに神剣を鞘におさめた。
 サンジェリスが神官たちに声をかける。
「これよりアルクマルト王弟殿下をエルフィード神殿にお連れする! そなたらは先導をつとめるように」
「ははっ」
 そのまま一行は神官たちとともに城門に到着した。検問の兵士たちもさきほどの光景は見えていたようで、アルクマルトたちを止めようとはせず、そのまま通した。
「……検問せぬのか?」
 アルクマルトが兵に問うと、
「め、めっそうもございません。……殿下が……殿下がいらっしゃるなど」
「ひえー、どうかその神剣で我々をお斬りになるのだけは、ごかんべんを」
 すっかりおびえたようすの答えがかえってきた。
「……」
 城門をあとにすると、アルクマルトは不満げにもらした。
「職務怠慢だな。……私が本物かどうかも確かめもせずに通すとは」
 それを聞いてサンジェリスはおかしそうに笑った。
「さきほどの神剣を見て、怖じけないほうが不思議です」
「そ、そうか?」
 アルクマルトがはじめてこの剣をぬいたとき、たしかそのときも青白く光った。この神剣はそういうものなのだと、アルクマルトはなぜか納得していた。
「殿下は神剣の主人だから、さほど恐ろしく感じられないのですよ」
「……」
 この神剣は、他人から見れば、おそろしいものなのだ——
 センティアットのエルフィード神殿は、城門からさほど離れていない場所にあった。町の大通りに面していて、想像していたとおりバルームの町のそれよりはずっと大きい。
 正門のところにも神官たちがずらりと並んで一行を待ち構えていた。神官の数も多い。
 神官たちが、いっせいに声をあげた。
「アルクマルト王弟殿下、ようこそお越しくださいました」
「……!」
 気圧されているアルクマルトの代わりに、サンジェリスが彼らに答えた。
「出迎えご苦労。……殿下をご案内してさしあげるように」
「ははっ」
 このやりとりを、多くの民がなにごとかと遠巻きに見ていた。神官に先導された一行は、その視線のなかを神殿へと入っていく。
 神殿の敷地内でも、巡礼の旅の者などたくさんの人々がいきかっていた。

13章-2-へ