放浪の王子 第1章 -3-

「じゃあ、部屋へあがろうか。……おい、ご亭主。部屋開いてるだろうな?」
 エリアスは銀貨を五枚、亭主がいるカウンターに置いた。
「へっ……こりゃあ、ありがとうございます。階段あがって一番奥の右側の部屋がまだ空いてございますので」
「ありがとうよ」
 主人が差し出した手燭を持ち、大柄な傭兵は詩人を連れて酒場の奥の階段をあがっていく。銀貨五枚とは破格だが、男娼嫌いの宿の主人を黙らせるためのものだろう。
 歩くだけで軋む廊下をすすんでいくと、両脇の部屋からは男女の営みの声が生々しく漏れてくる。
「ここかな」
 言われたとおりの部屋を開けると、質素な寝台や小卓、椅子があるだけのごく普通の部屋だった。
 エリアスは小卓の上に置かれている草の芯の粗末な蝋燭に、手燭から火をうつした。
 詩人キリークは、背に負った長い棒のような荷の入った革袋と竪琴を部屋の隅にそっと置いた。
 それをエリアスは立ったままじっと見ていた。
 そうして振り返ったキリークの白い頬をもう一度そっと撫でる。
 キリークの表情はややこわばっていた。
「エリアスどの……」
「綺麗な耳飾りだな」
 小さいものとはいえ粗末な装束には不似合いな、金色の耳飾りが揺れていた。
「黄金じゃないのか?」
「いえ、めっそうもない。安物にございます」
「ほう……キレイに光ってるから金かと」
「まさか、そんな高価な品物など……」
 エリアスは頬をなでていた手をおろし、さきほどキリークが床に置いた荷物のほうを見やった。
「あの荷物は……あの長いやつ。あれは、剣か?」
「!!」
 キリークの視線がとっさに、その細長いものと目の前の男とを見比べた。
「あの大きさは、剣だろう……?」
 詩人の表情が変わった。
「……そなた、何者だ?」
 細いからだが身構えた。おっとりした風情の詩人では考えられない身のこなしだった。まるで人が変わったかのように。
「何者だと聞いている!」
 キリークは、腰に帯びた小刀の柄に手をかけた。護身用にニセモノの小刀を腰に下げて歩くものもいるが、これは本物らしかった。
 だが次の瞬間、傭兵エリアスはその場に膝を折り、頭を下げたのである。
 ひざまづくその姿勢は、貴人に対する敬意をあらわすものだった。
「なっ……」
 キリークは何が起こったかわからず、ただその場に立ち尽くしていた。
 エリアスは頭をさげたまま、
「申しわけありません」
 と言った。言葉遣いまで変わっている。まるで目の前のみすぼらしい詩人を敬うように。
「なに……?」
 詩人は膝を折る男を見つめた。
「お探し申しあげておりました。……アルクマルト殿下」
「なっ……!」
 青い瞳が驚愕に見開かれた。
 なおもエリアスは言葉を続ける。
「間違いはございません。殿下は黒い髪に青い瞳だとお聞きしております」
「……さほど珍しいものでは、ないだろう?」
「歌がお得意だとか……しかも宮廷詩人にちょくせつ学ばれたとのこと」
「師匠が……むかし宮廷詩人だった、ということ……だ」
 答える声が震えている。
 エリアスは顔をあげた。
「その金の耳飾りはアルダーナ王家の血筋を表すものです」
「……やすものだと……言っただろう」
「では、殿下」
 エリアスの視線がちらりと先ほどの荷物のほうを見た。
「剣を持っていらっしゃいますね……」
 その荷をほどけば剣かどうかわかると、真面目そうな淡い灰色の目が訴えていた。
「……人違いだ」
 じっと見つめられ、詩人はおもわず視線をそらせた。
「いいえ。あなたは確かにアルダーナ国の王弟、アルクマルト殿下でいらっしゃいます」
「違う! そのような大それた生まれではない。……私は」
 アルクマルトと呼ばれた詩人は首をふって否定しようとする。だが、見た目はどのように言えても、剣のことは中身を見ればわかってしまうことだった。
「……」
 おもいため息をつくや、あきらめたように寝台に腰を下ろすと、呆然とした表情でエリアスを見た。
「こんな田舎町まで……追っ手が……。私がうかつだった……」
 その様子を見てエリアスは、
「ご安心くださいませ。わたくしめは陛下の手の者ではございません」
 そう言いながらおだやかに微笑みかけた。
 青い目がまた驚きに見開かれる。
「なんだって……。兄上では……ないのか……」
「驚かせて申し訳ございません。……私めはもとは王宮の近衛隊の者でございます」
「近衛の……」
「はい。……近衛隊におりましたが、一年ほど前にエルフィード神殿の命を受けて、ひそかにあなた様をおさがしするべく各国を放浪しておりました」
「そうか、神殿か」
 詩人いやアルクマルトはやや肩の力を抜いたが、それでもまだ表情はどこかかたい。
「殿下、どうかアルダーナにお戻りくださいませ」
 形のよい眉がぴくりと動いた。
「戻って……私にどうしろと?」
「本来の王はあなたさまです、殿下。王位をお継ぎください」
「王位……だと?」
 そこでアルクマルトはなんとも言えない皮肉っぽい表情を浮かべてエリアスを見た。
「そなた、近衛兵だったのなら、知っているだろう?」
「……」
「私が……私が王宮で兄上になにをされたのか……」
 エリアスはわずかに目を伏せた。
「知っているなら……わかっておろうが。私にそんな資格も価値もないことを」
「殿下……」
「……私はもう、王子でも王弟でもない。たのむから……殿下と呼ばないでくれ」
「……」
 エリアスはかける言葉を失ってアルクマルトをじっと見上げていた。
「ううっ……」
 アルクマルトの細い体が震えた。
「私はな……王宮で……兄上の慰みものに……されたのだ」
「おやめください、アルクマルト殿下」
 なおも身体の震えは止まらなかった。
 エリアスは身体を起こして、自分がまとっていた毛織りのマントをアルクマルトにそっとかけた。
「兄の慰みものになった私に……敬意をはらわれる資格などない。そう思わぬのか、エリアス?」
「殿下、おゆるしを……」
 エリアスはそのままアルクマルトの身体をつつみこむように、抱きしめた。
「……」
「どうか落ち着いてくださいませ……。あなた様は確かに先王のお子ですし、遺言で王にと望まれたかたなのです」
「……」
 アルクマルトの身体の震えがとまっていた。
「天空神ザイデスを祀るエルフィード神殿は、殿下の味方です。殿下こそが神剣の主人なのですから」
「……」
「私めが申し上げられるのはこのくらいです。どうか気を強くお持ちください」
「エリアス……」
「三年も……ご苦労をおかけして申し訳ありませんでした」
「……」
 そう、三年のあいだ彼は流れの詩人に身をやつして放浪していたのだ。
 そのまえにはたしかにアルダーナの王宮で暮らしていた。それは間違いなかった。
 エリアスはアルクマルトが落ちつくまで、しばらくそうして王子をマントにくるんで抱きしめていた。

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