放浪の王子 第2章 -3-

 わずかな逡巡ののち、アルクマルトはうなずいた。
「わかった。……アルダーナに戻ろう」
「殿下!」
「……かならずしも王位をのぞむわけではないが、私のために命をかけてくれた者たちの気持ちを無碍にしたくない」
「……はい」
「どうするかは、国に帰って神官に会ってから考える。……それで、いいのか?」
「はい、承知のうえです。……どうか神殿までお越しになり、神官にお会いくださいませ。わたくしめが仰せつかっているのは、あなたさまを無事にアルダーナまでお送りすることです」
「では……そなたに任せよう、エリアス」
「ありがとうございます!」
 エリアスはあらためて頭を下げた。
 彼自身はアルクマルト王子が見つかるかどうかは賭けのようなものだと思っていた。
 王子の生死も逃亡先も不明なまま、その容貌のみを手がかりに探すことなど、まるで無謀ではないか。
 こうしてめぐり会えたことは僥倖だと思う。ならばそれを無駄にしてはならないのだ。命をかけても彼を護り、故国へ送りとどけねばと思う。
 夜はさらに更けて、周囲の部屋から漏れ聞こえる生々しい声も静かになりつつあった。
「……すっかり遅くなってしまいましたね、申し訳ございません。どうか今日のところはおやすみくださいませ。これからのことは明日にでも……」
「ああ……そうだな」
 歩いて街道を移動し、しかも歌を唄っていたアルクマルトはかなり疲れているだろう。
「そういえば……お食事は……?」
「この町にはいるまえに、携帯用の食料を少し食べたから大丈夫だ」
「わたくしめも少しは食料を持っておりますし、おいりようなら宿に言って……」
「ありがとう、エリアス。もともと唄う時は食事が取れないから前もって食べるようにしていた。慣れているから」
「はあ……」
「さ、寝ようか」
 そう言われてはエリアスは引き下がるしかなかった。アルクマルト王子の身体は細い。もともと細身の体つきであったというが、食事もじゅうぶんに取れない放浪生活でさらに痩せたのだろう。
「寝台は殿下がお使いください」
 この部屋には寝台はひとつしかない。男女ふたりが眠るためのもので大きめに作ってはあったが、さすがに王子といっしょに寝ることなど、エリアスには考えられなかった。
「そなたは……どうする?」
 アルクマルト王子は怪訝な顔をした。
「わたくしめは床でも眠れますので」
「ばかな……体を冷やすだろう? そなたもここで寝るといい」
 寝台で一緒に寝ろと言われて、エリアスは戸惑った。
「し……しかし……」
「かまわぬ。床は冷えるしあちこち痛くなる。さいわいこの寝台は大きい」
「そのような……」
 押し問答のすえ、エリアスはアルクマルトに従ってとなりに眠りことになった。
「心配するな、すこしばかり寝相が悪くてもお互いさまだろう? 私の寝相はそう悪くないと思うぞ」
 アルクマルトがそう冗談を言ってくれたのが救いではあった。
 ふたりでひとつの寝具をからだにかけて横になる。寝台をなるべく広く使えるよう背中合わせになると、おたがいの体温であたたかかった。
 アルクマルトがひっそりとつぶやくように
「……エリアス」
 と言った。
「はい?」
「アルダーナは……王都ラグートは変わりないのか?」
「……」
 エリアスはとっさには答えられなかった。王子の問いにいちばん良い答えを探さねばならなかった。
「豊かな国であることには……変わりありません」
「……」
 おそらく外から見た王都の光景は、アルクマルトが知っているものとそう違わないだろう。
「ですが……」
「?」
「兵を……軍を増強するには国庫に負担がかかります。自衛のための兵は以前からおりましたが、他国と戦うためとなるとかなりのものになりますゆえ……」
「……」
「近々いくつかの税が引き上げられるでしょう……。そうなれば国民のあいだに不満もでるかと」
「それは……」
「……商人たちのなかには戦争のうわさを聞いて、財産を国外に持ち出すものも出てきたとか……」
「そうなのか……」
 ローディオス本人の希望はともかくも、彼を後押ししたセダス公が他国の侵略には積極的であるとのうわさもある。
「むろん、戦争すれば富むものもおりましょう。ですがかならず勝てるわけではありません。北から軍事国家で名高いギリエルドが乗り出してくれば、大きな戦乱になるかもしれません」
「……そうなってほしくはないな」
「ええ……」
 それきり会話は途絶えた。
 エリアスは背中越しにしずかな寝息が聞こえてきたのを確認し、自分もそっと目を閉じた。

3章-1-へ