放浪の王子 第1章 -1-
イディオル国の辺境の小さな町マグニスは、とりたてて特徴のない町であった。民家が五十ほどと農地からなり、町と言うよりは規模の大きな農村である。
日々の食料になる作物以外には、これといった特産物もない。隊商の行き交う交易の街道からも少しそれているため、珍しい工芸品を目にすることも少なかった。
そんな町でありながら、酒場が五軒もありいずれもなかなかの賑わいを見せていた。酒場の客は、金回りこそ悪くはないものの、どこか無骨な男ばかりであった。
男たちはこの町のはずれにある砦の兵士たちだ。砦と言っても詰めている兵士は百名ほどで、規模としてはそう大きくはないのだが、隣国アルダーナとの国境に近いこの町では、砦が食料を買い取ることで得られる町の収入と、兵士たちが酒場に落とす金とは、決して少ない額ではなかった。
兵士たちは厳しい職務の合間に酒場で酒を飲んで憂さを晴らした。国境を護るという職務での緊張の度合いは大きく、彼らはそれだけ羽目を外したがったから、喧嘩などの騒動もしょっちゅうだった。
それらを上手くあしらいながら、酒場の主人たちは独自色を出してより多くの兵士を顧客とするために知恵を絞る。
料理と酒の美味さが売りの店、外国産の珍しい酒を扱う店などといった酒場本来の特色はもちろんのこと、いかに魅力的な踊り子を数多く置くかというセンスも問われるのだ。
酒場というのはほとんどが宿屋を兼ねており、それも旅人を泊めると言うよりは売春宿としての使われかたのほうが圧倒的に多かった。
踊り子と呼ばれる女性たちは、酒場では客をさばきまた酒を注いだり話し相手になるだけでなく、時には流行りの踊りを見せて場を盛り上げ、夜も更けた頃にはベッドの上で男の相手もするのである。
地元の女よりは流れの女が多かったが、誰をどう雇うかは店主の選択となる。重要なのは見た目だけではなく、男好みの性格や性技に長けていることなども大事なのだ。
また客と踊り子の仲介をする代わりに店が手数料を取るやりかたが一般的なので、人気の踊り子を置けば店の収入も段違いとなる。店主の努力の成果として田舎の町にしては珍しく質の良い踊り子がそこそこいる酒場から、兵士たちもそれなりに楽しんで帰っていった。
のどかな田園とこじんまりとした町、夜は一部だけが賑やかなここマグニスの町が、ここのところ少し変わりつつあった。
砦に正規の兵士だけでなく傭兵たちが増え、酒場を訪れる客も増えていったのだ。
その訪問者が町を訪れたのは夕刻も近い頃だった。
すでに穀類の収穫は終わっていた。秋の終わり、冬をむかえる前の最後の地の恵み、芋類の収穫もようやく一段落しようかという日であった。
作物の収穫をひととおり無事に終えた祝いに、町の人間たちはちょっとした酒宴を開こうと、準備に追われていた。
広場には長い木のテーブルが運ばれ、簡素なつくりの椅子が並べられていく。
力仕事を任される男たちと、料理や酒を準備する女たち。そこに子供たちの声もまじって賑やかな雰囲気である。
その男はひっそりと町にあらわれ、様子を伺うようにゆっくりと広場に向かって歩いてきた。
黒く長い髪を隠すかのように頭には布を幾重かに巻き付け、背に負う荷袋からは、布で巻いた細長い棒状のものに、どうやら竪琴らしいものが見えていた。
辺境の町とはいえ砦もあることから、訪れる旅人はけっして珍しくはなかった。だが村人たちが目をつけたのは、その背の荷のほうであった。
「おや、竪琴を持ってる旅人さんだよ」
「本当だわ。詩人じゃないの」
料理を運んでいた女たちがまず最初に気づいた。
「詩人が来るのは久しぶりじゃないかえ?」
みながいっせいにその男を目で追った。男はそのまま広場を横切っていこうとしている。
「……ちらっと見えたけど、えらくきれいな男だね」
「え、なになに? 良く見てなかったよ」
「あたしも見たよ。ありゃあ若い」
恰幅の良い中年の主婦たちは、持ち寄った自慢の手料理を木のテーブルに並べながら、口々に言いあった。
町から町へと流れながら詩を歌う者はそこそこいるのだが、祭りでもないのにやってくるなら、目当ては繁盛している酒場だろう。
珍しいうえに若い男ということで、主婦たちはたちまち色めき立った。
「珍しいねえ。酒場にいくつもりかねえ?」
「せっかくだし、ここでも歌ってくれないものかね」
「声をかけてみなよ」
「じゃ、あたしがかけあってみるよ」
一人の女性が進み出た。大柄でどっしりとした、迫力のある体格である。
「粉屋のおかみさん?」
「任せときなって」
彼女が大股に歩き出すと、ゆったりした歩みの詩人にはすぐに追いついた。
「ねえ、詩人さーん」
大きな手で旅人のバンバンと肩をたたき、呼び止める。
「はい?」
振り向いた男は青い瞳をしていた。
粉屋のおかみは一瞬、息をのんだ。
その旅人が、おどろくほどに整った顔立ちをしていたからだ。
「……な、流れの詩人さんだね?」
「はい、さようでございます」
答える声は穏やかで澄んでいる。
「よ……良かったらこのあたりで一、二曲歌っておくれよ。ちょうど収穫の祭りの前祝いをやるんでね」
「私でよろしければ」
やわらかく答えて微笑む顔は、その日暮らしをする旅人には似合わぬ優美さを持っていた。
「頼むよ。あんたみたいな男前なら、みな喜ぶよ」
日に焼けて艶のある丸顔をやや赤らめながら、粉屋のおかみは得意顔で、料理の準備をする女性の中に戻ってきた。
詩人もゆったりと後につづく。
「男衆もそろそろ揃う頃だ。もうちょっと待っておくれよ」
「近頃はどんな流行り歌があるのかね」
朗らかな女たちは、親切にも詩人に椅子をすすめた。詩人は優雅に礼を述べて腰掛ける。
その物腰がどこか高貴なものを感じさせて、女たちは喜んだ。
「この人、まるで王都にでもいそうな感じだねえ」
「こんな綺麗な顔なら、雇ってくれるお金持ちもいそうだし」
周囲で勝手にいろいろと話し始める女たちをよそに、詩人は背の荷をおろすと竪琴を取り出し、おちついて弦を調えはじめた。 指先で弦をはじいて音を確かめると、指ならしとばかりに軽くいくつかの簡単な旋律を奏でている。
話を聞きつけて、人々が広間に集まってきた。
「……え、流れの詩人が来てるって?」
「久しぶりに見るね」
「綺麗な音色だねえ」
そうこうするうちに、酒宴の準備がだいたい整ってきた。男たちには杯がまわされ、子供や年寄りは椅子に腰掛けた。
「よし、じゃあ乾杯といくぞよ」
まとめ役らしい初老の男が音頭をとり、皆がいっせいに酒をあおって酒宴は始まった。
「うめえな! 今年は豊作だし、酒がいちだんとうめえよ」
「よし詩人よ、唄えうたえ!」
うながされ、歌人は竪琴を奏で始めた。収穫の祝いにふさわしい、明るい曲である。
「景気のいいやつ、やっとくれ!」
「おー、そうだそうだ。ぱーっとな」
流行りの曲は、しっとりと歌を聴かせるものではない。あくまでも軽くノリの良い旋律がメインであり、こういった場を盛り上げるためのものである。
それでも詩人の歌声は落ち着いていて透明感があり、町の人間たちがそれまで聞いたことのない響きだった。
酒と料理に舌鼓をうつもの、歌にあわせて踊り出すもの、それぞれが労働の疲れを忘れていっときの時間を楽しんでいた。
陽が落ちてあたりが暗くなる。かがり火に照らされて歌う詩人の声に、賑やかな町人たちの声がまじり、広場での酒宴はかなりの盛り上がりを見せていた。
「いやあ、綺麗な声だったね」
「ありがとう。おかげで良い宴になったわい」
「……少ないけどとっといて」
夜も更けて酒宴がお開きになると、村人たちは口々に礼を言いながら詩人に心ばかりの小銭を握らせた。
「こちらこそ、ありがとうございました」
大金と言うほどではないものの、集まった小銭はそこそこの金額になった。
みな酒で気が大きくなっていたこともあってか、中には銀貨もまじっている。それを丁寧に革袋にしまいながら、詩人は身支度をととのえた。
「よかったらまた来ておくれよ」
「こんな町だけど、たまにはアンタみたいなのが来てくれると嬉しいねえ」
賞賛の声は女性に多い。
「……この町で酒場はどこにありますか?」
ふたたび荷を背負い、歌人はかたわらの男性に尋ねた。
「酒場っていやあ……この先をまっすぐ行って、右に曲がったところに固まってるさね」
「ありがとうございます」
「……あんたはああいうところで唄うのが本業だろうけど、ここの酒場は砦の兵士が多いので、客層はよくねえ。気をつけな」
白髪まじりの男は、親切に教えてくれた。
もともと酒場という場所は決して柄の良い場所ではない。大きな都市での高級な酒場でもないかぎり、飲めば騒ぎも起こるし下卑た話の出所にもなるものだ。
「ご親切にどうも」
歌人はそれでも迷わずに歩を進めた。酒場で稼ぐかどうかは別にして、今夜の宿をとらねばならない。どちらにしてもお世話になる場所なのだ。