放浪の王子 第6章 -1-

 重い。なにか重いものが自分を押さえ込んでいる。動いて逃げよとしても、体を動かすことすら出来ない。
 体が熱い。とても熱くて、熱くて、まるで……。
(あにうえ……だめです……もう……)
(……まだ駄目だ……ほら……ここが……こんなに……)
 なぜだ、ここは王宮ではないのに。なぜローディオスがここにいるんだろう?
(ああ……だめ……ゆるし……)
(……かなり慣れてきたのだろう……? そんなにいやがるな)
(……こんな……こんなこと……慣れ……)
 慣れたかったわけじゃないのに、比較的はやい段階で身体は抱かれることに慣れてしまった。
(ほら……こうすれば……そなたのここが喜んでいるのが……わかる)
(ああっ……あっ……)
 慣れただけではない。その行為に快感をおぼえて自分から求めるようになった。焦らされれば早くと、足りなければもっと欲しいと乞うようになった。
 おそろしいほど乱れてさまざまな痴態を見せた。それを喜んだローディオスはさらにアルクマルトをせめたてた。
 快楽をほしがる自分は、自分ではないような気がした。ふだんの自分と寝台のうえの自分は別の生き物ではないのか。
 いつしか自分を幽閉したはずの兄が訪れるのを待ちのぞんでいた。そのことに気づいてしまったときから、アルクマルトは自分を許せなくなった。そうしてしだいに心を弱らせ、気力を失っていった。食べることさえ自分ではできなくなり、身体は衰弱していったのだ。
(……殿下!)
 誰かが自分を呼ぶ声がきこえた。侍従たちの声ではない。そもそも自分はもう王宮にはいないのだ。
 静養のために送りこまれていた荘園から逃亡し、流れの詩人として放浪の生活をしていたはず。そしてたしか誰かに出会って——。

 アルクマルトは目を開けた。
「……殿下!」
 自分を呼ぶ声のほうに顔を向けて、ようやく夢を見ていたことをわかった。そう、ここは王宮ではない。心配そうな顔でこちらをのぞきこんでいるのは——
「エリアス……」
「お気がつかれましたか……良かった」
 とても寝心地のいいやわらかな寝台に寝かされていた。こんなふかふかしたところで眠るのは、久しくなかった気がする。
「ここ——は?」
 額のうえには冷たいものが置かれている。そして全身が痛くて熱い。
「レベトの町です」
「……レベトの。では戻ってきたのか」
 体を起こそうとし、ひどい目まいを感じてアルクマルトはふたたび寝台に横になった。
「ご無理はいけません、まだ熱がさがりきっていないのです」
「ねつ……?」
「はい。——殿下は山小屋で倒れられたのですよ」
「やまごや……」
 そうだった。山小屋でひどいだるさと寒気をおぼえて横になったのだ。それからはずっと寝込んでいたのだろう。
「……どうやって……ここまで……」
 意識のない自分を連れて山を下りるのは、そうとう骨が折れたはずだ。
 寝台のすぐそばに腰かけて自分を見下ろしているエリアスは、やや顔色が悪いようだった。
「わたくしめが……殿下を背負ってまいりました」
「……」
「さいわい、鹿毛のほうが……がんばって乗せてくれましたので——」
 力持ちの馬といえど、山道を大人ふたり乗せて行くのはかなり大変だったと思う。ましてエリアスは大柄だから負担は大きかっただろう。
 鹿毛の得意げなようすが脳裏に浮かぶようで、アルクマルトはほんのりと笑った。
「——そうか」
「あの馬はよほど殿下が好きなのでしょう」
「……すまない、また迷惑をかけたな」
 まさか肝心なときに体調をくずしてしまうとは。放浪生活のあいだでもないわけではなかったが、意識がないほどの高熱ははじめてだった。
 ひとりでなくて良かった。もしひとりで旅している時だったら、死んでいたかもしれない。
「いいえ、殿下……」
 エリアスは首をふり、わずかにしぶい表情をした。
「わたくしめが無理をさせてしまったのです……。かなり疲れをためていると医師に言われました……申しわけございません」
「私がか……?」
「はい……。かなりお体が無理をしていたということで……」
「……」
 それほど無理をしていた自覚はなかったが、剣の稽古や馬での移動など、それまでと違うことを一気にはじめたせいだろうか。それとも、ひとり旅でなくなったために気がゆるんでいたのだろうか。
「私は……どれくらい寝ていたのだ……?」
「レベトに戻ってまる一日になります」
 山道をおりそしてふもとの町についてさらに一日、アルクマルトは高熱で寝込んでいたことになる。
「ここは?」
「金の楓亭という……レベトの町でいちばん良い宿です」
 通りかかったとき、なかなかに立派なかまえの建物だったのを覚えている。かなり裕福な商人などが利用しているらしく、華やかな印象であった。山越え前のアルクマルトとエリアスのふたりは、もっと質素な宿に泊まったのだが。
「……そんなところに……」
 そう言いかけた声がかすれた。のどがからからだった。
「ああ、もうしわけありません。水を……お飲みください」
 エリアスはアルクマルトの額の布をとって体の下に腕をさしいれ、ゆっくりと抱き起こした。
 大きな木の椀に水をそそぎ、それをアルクマルトの口元に近づけてくれるので、アルクマルトは力のはいらない手でその椀をささえて飲んだ。
 ほんのりと香りのある水だった。解熱に使う薬草の味がした。水にすこし混ぜてあるらしい。
 のどを鳴らして飲み干した様子を見てか、エリアスはもう一杯椀に水をそそいだ。
 アルクマルトはそれも飲み干し、ふたたびそっと寝台に横たえられた。エリアスが数枚かさねた毛布を上にかけた。
「……暑いではないか」
「いいえ、暑いくらいでないと。……汗をかかないと熱がさがりませんので」
 子供のころよく熱を出して寝込んだ。そのとき侍医には汗をかいて熱をさげるようにと、厚着させられたことを思い出した。
 エリアスの口調が侍従を思い出させ、おもわず笑みがもれた。
「……わかった。はやく治すためなら……しかたないな……」
「はい」
「ありがとう……」
「殿下……」
 そしてまたアルクマルトは眠りに落ちていった。

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