放浪の王子 第11章 -3-

「しかし、だ。もしセンティアットに軍が差しむけられれば……?」
 罪のない民衆を巻き添えにしてしまうかもしれない。いかにセダス公を止める決意したアルクマルトといえど、それだけは避けたかった。
 サンジェリスはかるくうなずいた。
「……殿下。自国の民に軍をむける指導者をどう思われますか?」
「……えっ?」
「正統な王を名乗った王子をかくまったからと町をひとつ滅ぼしにかかれば、それを見た民はどう思うか——です」
 誰もが王都の——王宮のすることに賛同するわけではないだろう。場合によっては国内でセンティアットを擁護する意見が高まり、それが政治への不安ひいては内乱につながっていくこともある。
 王宮側が賢明であれば、民の不信が高まるのがわかっていてそうそう簡単に武力で押さえつけようとはしないだろう、ということだった。
「狙いはそこか——」
「はい」
 艶然とほほえまれ、アルクマルトは感心なかばあきれた。
「意図することはわかる。だが、それでも軍を動かそうという重臣がいないとは限らぬ」
「……」
 アルクマルトはそこにいる全員を見わたした。
「まんがいち民に危害がおよぶような可能性が出てくれば、そのときは——」
 つよい意思を秘めた声音に、みながつぎの言葉を待った。
「私の身とひきかえに、街と民の保護を申し出ようと思う」
「……そんな!」
「殿下……」
 驚きの声は、マルスだった。自分を案じてくれる気持ちはありがたかった。彼のような神官の日々を護るためにも、こうしようと考えたのだ。
「私は捕らえられて、審議のために王都へ連れていかれるだろう。さすがにいきなり殺されはしない。兄上と叔父上に会う機会は作れる。——そういう手段もあるかと思う」
 命がけだが、アルクマルトはとりあえずローディオスとセダス公の二人をちょくせつこの目で見てみたかったのだ。人づてに聞くのではなく、自分自身で確かめたかった。王宮の現状を。
 死にたいわけではない。だが命を捨てることが必要ならばそれも仕方ないだろうと思う。王子として生まれたからには、そういう覚悟も必要なのだとわかったのだ。
 だまって聞いていたサンジェリスは、めずらしく困ったようなため息をついた。そしてつぶやくように言った。
「殿下——その策は無茶ではありますが、そういうあなた様のお心を、わたくしは大事にしたいと思います」
 われわれ——ではなく、わたくしと言った。神官長ではなく一人の人間として、アルクマルトの気持ちをくんでくれたのだ。
「ありがとう」
「ですが」
 なおもサンジェリスは言葉をつづけた。
「われわれは神官として持てるすべての力を使う所存でございます。——われわれと神剣があらんかぎりの力で、殿下の御身、おまもりいたします」
「……」
「信じて——いただけますか?」
 ミルラウス、そして同席した三人の神官も同様に、アルクマルトを見つめた。
 アルクマルトはうなずいた。
「信じよう、神官長サンジェリス殿。——あとはまえに進むだけだ」
「ありがとうございます、殿下」
 会議に列席していた者がみな、緊張をといたのがわかった。会議の内容が重いのはもちろんだが、アルクマルトの一挙一動を彼らは意識しているのだ。
 大義名分はあれど、国家という大きな壁に立ち向かうにはまず途方もない気力を必要とする。その大きな壁にすこしずつ亀裂がはいっていること、そしてその壁を打ち破るための切り札であるアルクマルト王子を擁していること、それらがいま彼らに途方もない気力を与えてくれるからだ。
 争いとは無縁のような神殿でのおだやかな日々を思えば、神官たちにはつらい重荷かもしれない。しかしその重荷を背負わねば自分たちの未来がおだやかなものではなくなっていくのだ。
「ミルラウス殿。冬越えの準備のなかでお手間をかけますが、旅に必要な物資の供給をおねがいいたします。——すこしばかり多めの路銀も必要になってきますので」
「おまかせくださいませ」
 どこかのんびりした雰囲気のある上級神官ミルラウスも、この会議の席においてはなかなかしっかりした印象だった。
「サウロス、地図を」
「はい」
 呼ばれて年輩の神官が円卓のうえに大きな地図を広げた。アルダーナの地図だ。だが見たことがないほど精緻に描きこまれたその地図に、アルクマルトは目を見開いた。
 街と街をつなぐ街道はもちろん、かなり細かな田舎道まで描きこまれていた。城壁どころか名前もないようなちいさな集落までも網羅してあるし、川にかかった橋の位置と種類まで記されている。
 怖ろしいほどに調べあげられた地図だった。これは軍事用のものだ。
「まずわたくしと殿下は数日中にセンティアットへ向けて発ちます。護衛はエリアス。それから小姓の役でゼルオスも同行してもらいます」
 名を呼ばれて年若い神官が頭をさげた。濃い金髪とそばかすが印象的な彼は、マルスと同じくらいの年齢だろうか。
「サウロスとマルスには緊急時の伝令もかね、無関係の旅人をよそおい、離れて同行してもらいます」
 年輩の神官サウロスと若い神官マルスのふたりは、サンジェリスに名をよばれて緊張した面持ちで顔をあげた。
 センティアットまでのひととおりの道のりを地図で確認したあと、サンジェリスは神官たちの顔を順番にじっと見た。
「いいですね。言うまでもありませんが、道中けっして神官だと悟られぬように。エルフィード神殿に不穏な動きありと知られてはなりません」
「承知いたしました」
 つぎにサンジェリスはかたわらのミルラウスに、
「ミルラウス殿。われわれが発ったのちは各都市の神殿をまとめる上級神官たちに連絡をお願いします。……状況によってはセンティアット行きを変更することもありますし、なにかあれば道中手助けを必要とするでしょうから」
 と言った。
「承知いたしました、神官長様」
 そっと目をとじてなにかを考えるふうだったサンジェリスは、一同をゆっくりと見渡してかるく会釈した。
「会議はこれまでといたします。道中のこまごましたことについては都度うちあわせましょう。すみやかに旅の準備を行ってください。——殿下」
「……?」
「旅に必要なものがあればそろえさせますので、おっしゃってくださいませ」
「あ……ああ」
「申しわけありませんが……お先に退出させていただきます。——エリアス、頼みます」
「承知しました」
 呼ばれてエリアスが席をたち、そっとサンジェリスを抱きあげた。
 細身とはいえ男の神官長ひとりをものともせず運んでいくその後ろ姿を、アルクマルトはふしぎな気持ちで見送った。
「大丈夫です、殿下。神官長さまはまだお若い。旅立ちの準備がととのうまでには良くなられます」
 ミルラウスも心配そうにふたりを見送っていたが、アルクマルトの表情に気づいたらしく、気をまわしてそう言ってくれた。
「……そう……だな」
「われわれも忙しくなります。どうか殿下には、みなの作業の手伝いよりも旅の準備のほうを優先していただきとうございます」
「ああ、ありがとう。ミルラウス殿」
 アルクマルトも退出し、とりあえずいちど自分が与えられた部屋へともどった。
 しかし旅の準備といっても、自分にはあらためてととのえることもないような気がした。神剣と竪琴、それに衣類などがあればこと足りてしまう。
「……」
 三年のあいだ放浪してきて、ようやくたどりついたのがここだ。
 王宮から——ローディオスから逃げ出した時から、もうもとには戻れないことはわかっていた。
 いや、ローディオスに無理矢理犯されたときから、無邪気な子供だったアルクマルトはもういないのだ。なんの裏表もなくただ兄上とよんで慕っていたころを思えば、とてもせつない。
 あの頃の——子供のままの気持ちでいたなら、ローディオスを助けるという純粋な気持ちで行動できただろうに。
 兄を斃したいわけではない。いま目の前で斬れといわれても、アルクマルトにはできないだろう。
 ローディオスの王位も危ぶまれると聞いて、おもわず叔父のセダス公をとめねばと考えてしまったのは、彼への思いがつよく残っているからなのだ。
(あにうえ……)
 アルクマルトは部屋に置いてあった神剣を手にとった。神剣の主人とならなければ、あの日々は壊れなかったのだろうか。
 だがこの剣のおかげで、こうやって今の自分の居場所を見つけられたのも確かだった。長い放浪生活のすえに、ここで自分を必要とする人たちを知ってしまった。
(もう……わたしは……)
 王宮にいたころの自分ではない。
 そっと鞘から剣をすこし抜いてみる。いつものようにきらりと青白く刃は光った。その刃に、自分の顔がうつっていた。

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