放浪の王子 第11章 -1-
翌日の朝、食事を終えるとアルクマルトはミルラウスから会議を行うと呼びだされ、指定された部屋へ向かった。
蔵書室のなかにある、いわば会議室のような部屋だった。大きめの円卓のまわりに椅子が十人ぶんほど並べられており、周囲はいくつもの書棚にさえぎられて部屋の外まで声は届かない。
中へ入ったアルクマルトは、すでに席についていた人物を見わたした。
ここバルームの神殿の司であるミルラウス、若手の神官がふたり——ひとりはマルスである——と、年輩の神官がひとりだった。
「殿下、ささどうぞこちらへ」
ミルラウスにうながされてアルクマルトも席につくが、かんじんの神官長サンジェリスはまだのようだった。彼はけっきょく今朝も食堂に姿をあらわしていない。
「サンジェリス殿は……?」
問われてミルラウスはやや困惑した表情で、
「いまエリアスが迎えに行っております」
と答えた。
「迎えに……?」
と聞き返したところで、部屋の扉が開いた。
若い神官があけた扉から、サンジェリスがエリアスに抱きあげられて姿をあらわした。
「……お待たせして申しわけありません」
自分では歩けないのだろうか。声にもあまり力がはいっていない。エリアスが椅子にそっとサンジェリスを降ろし、そのまま様子を見ている。
「神官長さま……」
マルスが心配そうに声をかけた。
「心配は無用です。すこし……秘術を使いすぎただけですから、休めば治ります」
昨日アルクマルトと話をしてから、ずっと部屋にこもっていたのは秘術を使うためなのだろう。しかし、秘術がそれほど疲れるものだったとは。
心配げに見る視線に気づいたのか、サンジェリスはそっとアルクマルトに微笑んだ。
「わたくしなら大丈夫です、殿下」
「……いや、顔色がよくない」
「すこしばかり……疲れているだけですから」
よこからミルラウスが口をはさんだ。
「殿下、秘術というのは……使うたびに体力を使うものなのです。すこしくらいは問題ないのですが、日になんども使えばそれだけ疲れてしまうものでして……」
「そんなものなのか……?」
見た目でいえばサンジェリスは細身だしそれほど体力も無さそうである。神官長という立場から無理をしたのかもしれないが、神官長という立場を考えれば無理をしてほしくないという複雑なところではあった。
サンジェリスのあとから、これも若い神官がふたり、大きめの容れ物と杯をもって部屋に入ってきた。
「お茶に蜂蜜を加えたものです。お部屋が冷えますので……」
そう言いながら各自に茶を注いでまわる。
サンジェリスは毅然と顔をあげ、かたわらにひざまずいているエリアスに言った。
「エリアス、そなたも席につきなさい。……もう大丈夫です」
「はい——しかし、具合が悪いときはおっしゃってください」
しぶしぶといったふうにエリアスは下手の自分の席についた。とてもていねいな気づかいぶりである。もともと彼はそういう性格なのだろう。アルクマルトは自分に対するいろいろな気づかいも、特別なものではなく彼ほんらいのものなのかと納得した。なぜかすこし胸が痛んだ。
茶を配る神官たちが部屋を出ていったあと、サンジェリスはゆっくりと一同を見わたした。
「アルクマルト殿下、ご列席いただきまして感謝いたします。——では、始めます」
いつもほど声に強さはないものの、さすがに場の空気がひきしまる。
「すでにご存じのように王宮の施策は、いまやエルフィード神殿の力を弱めようという動きが主になっています。——しかし我ら神官は古来より王政とはべつにこの国の守護をつかさどってきました。天空神ザイデスのご加護がこの国にあるのも神殿の力であると自負しております」
アルクマルトが王宮にいたときには見えなかったことが、ここにもある。
信仰をあつめる神殿は、王や王政とはまたちがった存在意義を持っているのだ。そして民衆の心をとらえているいじょうは、それなりの力を持っている。
王子である自分には、王宮から見た世界しかなかった。だがこうやって王宮を離れてみれば、まったくちがう世界や価値観がそこにはある。
「われら神殿への圧力の筆頭はセダス公と財務大臣ゾイです。——彼らが王宮にいて政治にかかわるかぎり、その圧力は強まるいっぽうでしょう」
誰もがみなその言葉にじっと聞き入っていた。
「昨日、王都ラグートに残してきた留守居役の上級神官から聞きましたが、どうやらセダス公は民から神殿への寄進に五割もの税をかけると言い出したようです」
「!」
それには一同——あまり喜怒哀楽を表に出さないミルラウスまでもが、顔色を変えた。
「周知のように、寄進はなにも神官が贅沢をするために使っているのではありません。救護院や孤児院などにかかる費用をそこからまかなっているのです。多額の税をかけられれば、いままでのように困った人々にさしのべる手が——」
そう言いかけて、サンジェリスは言葉をつまらせた。にぎりしめた手がわずかにふるえているのを、アルクマルトは見てしまった。
しかしつぎの瞬間にはなにごともなかったかのように、いつもの彼にもどって話し続ける。
「本来なら神殿は中庸の立場をとるべきなのでしょうが、これいじょうは知らぬ顔をしていられないと判断しました。——よって、いまより我らはセダス公を排することに全力をあげます。これは神殿の司である上級神官五十二名の多数決で決定しました」
みなが息をつめてその言葉を聞いていた。
争いごととはおよそ無縁なここでの日々を思うと、これはよほどのことだと思う。それとも若い神官たちが知らない世界が神殿の上層部にはあるのだろうか。
「——しかしながら、われわれは軍隊ではありません。ですから、自分たちのできる方法で闘いたいと思います」
その言葉をうけ、ミルラウスが話しはじめた。
「上級神官による決議は、神官長聖下が各神殿と連絡をとって行われ、わたくしめが立ちあいましてございます。——賛成反対どちらの意見であったとしても、すべての上級神官は決定にしたがう所存にございます」
エルフィード神殿という組織はサンジェリスという神官長のもとでひとつにまとまっていることを、それは物語っていた。
対して王宮はどうだろう——王であるローディオスと臣下であるセダス公がそもそもひとつではない。だとすればその周囲をとりまく人々もそれぞれの思惑でより有利な権力のもとへ身を寄せようとして揺れ動いているはずだ。
そう考えればアルクマルトは暗い気持ちになった。国を治めるはずの王宮の内部がそんなことではいけないのに。
「決議とあわせて、各地の上級神官から協力の申し出もたくさんいただいております。それは神官長聖下に対するものと、アルクマルト殿下——あなた様へのもの、両方でございます」
そうミルラウスに告げられ、アルクマルトはすこしばかり驚いた。
「私に?」
「さようでございます」
昨日サンジェリスが言ったように、神殿側はアルクマルトに対する全面的な協力を約束するということだった。
「……」
すこし戸惑うアルクマルトに、神官長サンジェリスはやや冴えぬ顔色でそっと微笑んだ。
「殿下、あなた様がいるからわれわれ神殿の者もひとつにまとまることが出来るのですよ。昨日申しあげたとおり、あなた様自身が力なのです」