放浪の王子 第4章 -1-

 町に近づくにつれて、道は石の散らばるでこぼこした土の道から、敷石のある街道へと変わっていった。
 振動が変わったことに気づいて、アルクマルトが目を開ける。
「お目覚めですか?」
「ああ」
「まもなくトゥトです。……そろそろ城門かと」
 日はまだそんなに傾いていない。思ったよりはやくトゥトに着いたらしい。アルクマルトは体を起こした。
 トゥトはイディオル国で三番目くらいには大きな都市である。城壁に囲まれており、南のフィオリ国との農作物交易の拠点であった。
 荷馬車が止まった。馬をあやつっていた男の声がする。
「悪いがここでおりてくれるかい? もう城門前だ」
 城門があるということは、通行手形をあらためられる。街に出入りする者にあやしいところがないかどうか確認するためだ。
 人の行き来が多い街でには、国が禁じている品を運ぼうとする商人も多くやってくるので、とくに積み荷には厳しいという。
「ああ、わかった」
 エリアスが返事する。
「悪いねえ」
「いやいや、ありがとうよ」
 ふたりは馬車をおり、男に会釈して別れた。荷馬車はふたたびガタガタと先へ進んでいった。
 城門には通行のために何人かが列をつくっていた。
 そちらのほうへ向かいながら、エリアスが耳打ちしてきた。
「殿下の手形は……たしかフィオリ公国のものですよね?」
「ああ」
 アルクマルトの手形は女官長が神剣と路銀とともに持たせてくれたものだった。
 旅行に出るための通行手形の発行は、どの国でも公的な機関が担当している。
 エリアスの手形がアルダーナではなくフィオリ公国のものなら、エルフィード神殿はフィオリ公国に顔が利くか、もしくは偽造手形を手に入れるすべを持っているかだ。
 すくなくとも今まで城門で出自を疑われたことはなかった。顔をじろじろと見られたり、所持品の検査と称して体を撫でまわされたりはしたけれども。
 トゥトの門番の兵士による検閲はそんな手のこんだものではなかった。朝から夜までおおぜいの人間が行き来するためか、彼らも任務に倦んでいるようすだった。
「お役目ごくろうさまです」
 エリアスは慣れたふうに兵士に会釈する。
 四人ほどいる門番の男たちは、エリアスではなく後ろにいたアルクマルトを見た。
 二人の手形をあらためながら、彼らはジロジロと無遠慮な視線を浴びせてくるが、アルクマルトはそんな男たちににこりと微笑んでみせた。
 おどおどした態度でいるよりは、そのほうが兵士たちのウケが良いのだ。
「ひゃーキレイな男だね」
「おうおう。後ろのお連れさん、なにもんだい?」
 兵士たちは口々に好きなことを言うが、悪気はなさそうである。
「弟です。似てないってよく言われますけどね」
 エリアスはそう言うと、兵士たちは声をあげて笑った。
「兄弟ぃ? まさかねえ。似てないねえ、あんたら」
「おっかさんが違うか、おっかさんが間男したかじゃないか?」
 こんなふうに旅人をからかうのは、彼らなりの憂さ晴らしなのかもしれない。
 エリアスはふところから銀貨をとりだし、兵士に一枚ずつ握らせた。とたんに兵士たちの態度が変わる。
「通っていいぜー」
「ああ。弟をだいじにだいじに可愛がってやれよ」
 荷物もほとんどあらためられていないのにだ。
「ありがとうございます。……行くぞ、キリーク」
 エリアスがアルクマルトの肩を抱いてひきよせた。
 後ろから嘲笑ともとれる声があがったが、気にしても仕方ないことだった。
 そのまま城壁の中にはいると、目の前の広い街並みには大きな宿屋が建ち並んでいた。
 宿場のなかでも大きなこのトゥトは、旅人相手の商売が盛んなのだ。
 エリアスに肩にかるく手をまわされたまま、ひとびとの間をぬうように歩いていく。
「賄賂でどうにかなるとは……これでは他国の間諜もたやすく通してしまうな」
 それが正直な感想だった。エリアスも苦笑した。
「密売品もずいぶん出回っていますよ。……上からの締め付けがあまり強くないようで」
「……」
「ああ、馬をあつかってる店がありました」
 旅人相手に馬やロバなどをあつかう店は、宿屋がつらなる通りの裏手にあった。
 ふいにエリアスがアルクマルトの肩を抱き寄せ、耳打ちしてきた。
「わたくしめは店の周りをさりげなく見張っていますので、殿下の馬はご自分でお選びください」
「……私が?」
「ええ、殿下と相性のよい馬のほうが役に立つでしょう。馬が決まりましたら、お呼びください」
 アルクマルトがひとりで騎馬商の店に入っていく。ずらりと並んだ馬房につながれた馬は、それぞれ毛並みや体格も違っていて圧巻であった。
「これは……」
 馬房のまえを歩きながら一頭ずつ見ていく。が、王宮の騎馬とちがってここで売られている馬はわりと小柄なものが多い。
 小さいほうが値は安くなり、旅人が買いもとめやすいためだろうか。
 二頭買うといっても、足並みが揃わなければ意味がない。大柄なエリアスを乗せる馬と同じくらいでないとだめだろう。そう考えていると、店の男らしい者が声をかけてきた。
「いらっしゃいませ。馬をおさがしで?」
「……ええ」
「どちらまで行かれるおつもりで?」
 アルクマルトはいっしゅん考え、あえてちがう方角で答えた。
「北に……とりあえずバステール海に面した港へ出たいと思ってます」
「かなり距離がありますねえ……でしたら……」
 いくつかの馬をすすめられたが、ピンとくるものがなかった。どれも値は安いのだが、そのぶんあまり体力が無さそうだった。
 ある馬房のまえを通りかかったとき、中にいた馬がアルクマルトが頭に巻いてる布をくわえて引っぱった。
「わっ……なにす……」
 長い黒髪がばらりとあらわになった。馬はなおもその黒髪をかじろうとする。
「こ、こら。お客さまになにするんだ!」
 店の男はあわてて馬を押さえようとするが、アルクマルトはその馬を見てあぜんとした。
 三年前荘園から逃亡するときに乗っていた馬によく似ていたのだ。
 逃亡のさいに目立たないように選んだありふれた鹿毛であるが、たてがみに隠れた額にだけ白い点があったはずだ。
「あの、ちょっとさわっても良いですか?」
「……え、ああ、どうぞ」
 鼻面をなでてやると、馬はうれしそうに首を寄せてきた。ひたいにかかるたてがみをかきわけると、確かに白点がある。
「こいつあ驚いた……。その馬は人になつかないのかと思ったんだが」
「……人になつかない?」
 まさかそんな馬ではなかったと聞き返すと、男は苦笑しながら答えた。
「どうやらお貴族様の馬だったらしく、体格も良いし買い手には不自由しなかったようで。……ですが乗り手の思うようになかなか走らないとか。こいつ、面食いなのかね」
「……」
 馬に乗っていれば目立つのと、飼い葉や宿代がそのぶんかさんでしまうため、アルクマルトは逃亡してそうそうに売り払ってしまったのだ。
 買われた先で役にたたないとまた売り払われ、こんなところまで流れてきたのだろう。
「私と来てくれるか?」
 そう話しかけると、馬はうれしそうにいなないた。
 呼ばれて店の中に入ってきたエリアスは、その馬を見て感心したようだった。
「……これは良い馬だな。賢そうだ」
「さすがだんな様、お目が高い」
 店の主人らしき男が出てきた。まだ若いアルクマルトよりはエリアスのほうを商売相手と見たようだ。
「もう一頭欲しいんだがね、この馬と同じくらいの……」
「でしたら、このあたりなどいかがでしょう?」
 エリアスは主人と馬房を行き来して、栗毛の馬を一頭選んだ。見る目はたしかなようで、アルクマルトが見てもなかなかいい馬だった。
 二人が値段の交渉をしているのを横で見守りながら、アルクマルトはそっと馬のくびすじを撫でてやる。
「悪かったな……おまえをずっと連れて行ってやれなくて」
 アルクマルトは幽閉生活の最後のほうで、心身ともに衰弱して静養を余儀なくされていた。王都近くの小さな村ヒースの荘園に送りこまれ、しばらくそこで暮らしたのだ。
 自然豊かなその荘園では、下働きの者たちといっしょになって、畑や果樹の手入れに羊や馬の世話をして過ごしていた。
 厩には馬が五頭ほどいたけれど、どれもアルクマルトが体を洗ってやったりブラシをかけたりして可愛がった。体調がもとのように戻ってからは、近衛兵付きで遠乗りにも出かけた。
 逃亡のさいに選んだのは、いちばんありふれた毛並みのこの馬だった。もしかしたら死なせてしまうかもしれないと、申し訳ない気持ちで鞍を置いたときを思いだし、せつない気持ちがこみあげてくる。
 エリアスが馬具もふくめて代金を払い、ふたりはそれぞれ馬の手綱をひいて店をでた。
「泊まる宿は裏通りの天馬亭がいいでしょう」
「天馬亭……?」
 どんな場合にどこの宿に泊まればいいか、もしやあらゆる宿場町のことを調べてあるというのだろうか。
「騎士や傭兵がよく利用する宿です。……馬のあつかいも丁寧ですし、客の情報をあまりそとに漏らしません」
「なるほど、訳ありの者にはうってつけの宿だな」
「お察しのとおりです」
 たいしたものだ、とアルクマルトは感心した。
 エリアスの間諜なみの情報力、とっさの判断力など、近衛であったなら間違いなく王直属の部下として働けるほどだ。
 天馬亭は二階建てで、古いながらもそこそこ立派なつくりであった。馬番に小金を渡して馬をあずけるさいに、アルクマルトの馬は離れがたそうに鼻を鳴らした。
「……だいじょうぶ。明日の朝にまた会えるから」
 なだめられておとなしくなる馬を見て、老爺は感心したようだった。
「こらあ、よく懐いているねえ、驚いた」
「お爺さん、よく世話してやってください」
「……ああ、こういう馬なら世話のしがいがあるってもんよ」
 老爺は馬好きで厩を任されているらしかった。なるほど、こういう宿ならたしかに馬に乗って旅をする者は助かるだろう。

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