放浪の王子 第18章 -2-

 セダス公の所領は王都の北西にあるセブリヤという街である。さほど大きい街ではなく、王都とは馬で二日ほどの距離になる。
 王以外の王子に与えられる所領というのはその程度のものだった。街からの税収で貴族としての生活はできるけれども、私財を増やしていたずらに兵や武器を蓄えることのないような範囲におさえられている。自治権は領主であるセダス公のものだが、民に厳しい税を課してむやみに贅沢をしないよう、国家の法にもとづく自治権である。
 問題はセダス公が外務大臣という重要な地位についていることだった。
 諸外国との折衝は交易にかかわる商人らにとっては大事なことで、仲が悪くつねに緊迫した関係の国とは交易もしづらくなる。そこをうまく取りはからうのが外務大臣の仕事なのだ。それでセダス公のもとには、交易にたずさわる商家から多額の賄賂が集まってくるようになった。
 もちろん国家は賄賂を禁止している。だがどこまでが賄賂でそうでないのかの線引きも難しく、また取り締まればこんどはもっと巧妙な手口での贈賄が行われるというのが現実だった。
 人の欲にきりはない。富と栄誉を手に入れた者は、さらにその上を望むようになる。
 王太子に選ばれなかった王子が王位をみずから手にしようと企てることなど、歴史上にはいくらでも例がある。それくらい目の前の王位というのは魅力的なものなのだ。
 近衛兵にまもられて馬をすすめるなか、アルクマルトはぼんやりと考えていた。
 王位を得るために兄ローディオスは重臣を味方につけ、弟たちまでも手にかけた。母親がそれぞれ違うとはいえ、おなじ王宮で育った間柄である。
(あにうえ……)
 自分を後宮に幽閉して毎夜のようにこの身体を蹂躙したローディオスに、その意味を問うても答えはなかった。
 父の遺言がなく、ローディオスがそのまま王として即位していたなら、自分が兄を助ける臣下としてセダス公の代わりに王宮にいただろう。そうすればこんな辛いことにはならなかった——
 過去のできごとを嘆いたところで現実は変えられないが、それでもアルクマルトは重い息を吐き出さずにはいられなかった。
「殿下、ご気分でもお悪うございますか?」
 横に馬を並べていたサンジェリスが、心配そうにたずねてきた。
 ただ静かに進んでいくだけの道中は、たまにサンジェリスかサウロスと雑談するくらいで、おおむね退屈だった。もう三日目である。そろそろユカラシルという街に着くころだった。
 その街で一行はセダス公の配下の兵に襲われて、アルクマルトは所領セブリヤに連れていかれるという筋書きになっている。自分の命どうこうではないはずだが、やはりどこか緊張はするものだ。サンジェリスはそんなアルクマルトの気分を感じたのかもしれない。
「いや……大丈夫だ」
「……それならようございます。まもなくユカラシルの町が見えてまいります」
「そうか……」
 その街道は森のなかを通っていた。生い茂る木々はすでに葉を落としているが、それでも森の外が見えないほどに深く、周囲は暗い。
 アルクマルトを乗せていつものように元気に歩む鹿毛が、ふと耳を動かして首をふった。なにかを感じたらしい。敏感な馬だからアルクマルトもおもわず声をかける。
「……どうした? なにか聞こえるのか?」
 サンジェリスが声をひそめて耳打ちするように言った。
「殿下、お気をつけください」
「……!」
 周囲を取り囲んでいた近衛兵たちが、馬をとめた。前方からおなじく馬に乗った集団が、ちかづいてくる気配があった。
「一同、静かに」
 この隊をあずかるナシジが指示を出す。街道では馬を連ねて旅をする隊商ともすれ違うが、前方の集団はそういう気配ではなかった。
 しずかな中にかすかに金属の音がする。鎖帷子や剣を身につけているのだ。彼らは次第に近づいてくる。
「おお?」
 その姿がはっきりと見えてくるにつれて、近衛たちが動揺している気配が伝わってきた。
 それもそのはず、こちらに向かってくる集団もまた、アルダーナ国王直属の近衛兵の装束をしていたのだ。その数はいまアルクマルトの周囲にいる兵とほぼ同じくらいだろうか。
 近衛の装束をしているのは、偽装の必要がないからか。すなわち彼らは王都から堂々とここまでやって来た。それが王命ではないのに、だ。
「お役目ご苦労、ナシジ殿」
 集団の先頭にいた兵士が声をかけた。それに反応して、ナシジは緊張した面持ちになった。
「……オーズ隊長」
「!」
 アルクマルトはおもわず前方を見据えた。
 そこにいたのは初老の近衛隊長オーズだった。四年前に王宮から逃亡しようとしたアルクマルトを捕らえてローディオスのまえに突きだしたのが彼だ。
「これより先は、われわれがアルクマルト殿下の護衛をいたす。そなたらの役目は終わりだ」
「なんですと! そのような話は聞いておりませぬ、オーズ隊長どの」
 ナシジはアルクマルト王子をセンティアットから王都へと護送する任務のために出向いたはずだ。そんなことをいきなり言われても戸惑うしかないだろう。
「私の言葉を疑うのか?」
 オーズはじろりとナシジを睨みつけた。
「は……しかしながら、隊長どのは殿下をどちらへ護衛されるのです? 王都ならわれわれが陛下より申しつかった任務ゆえ……」
「では、ここで死ぬがいい」
「!」
 そのひとことで、オーズ率いる一隊はためらうことなく腰に帯びた剣を抜いた。
 アルクマルトの護衛をしていたナシジ率いる一行は、あきらかにひるんだ。同じように訓練され同じように王都の警護をしていた彼らにとって、こんな状況は想定していなかっただろう。
「……殿下をお守りせよ!」
 ナシジはうしろをふり返り、他の兵士たちにアルクマルトの周囲に集まるよう手振りで指示した。剣を抜いた相手にも怖じけることなく、みずからも抜き身の剣を手にした。
「オーズ殿、どういうおつもりか! 我らは王命を以て殿下の護衛にあたっております。あらたな王命あらば従いますが、こうして剣を向けられる謂われはございませんぞ」
「……」
「まさか……噂に聞いたことが……。あなたはセダス公の……」
「そこまでだ。……余計なことを言わぬうちに死ぬがいい」
 そういうや、オーズとその部下たちは剣を振りかざした。
 今にも馬の腹を蹴って突進しようとしたその時——
「待て!」
 アルクマルトが叫んだ。
「……!」
 近衛隊長のオーズだけでなく、従う兵士たちはみないっせいにその場で動きをとめた。まるで金縛りにあったかのように。
「おなじく王に仕える近衛でありながら斬りあうなど、あってはならぬことだ。……それともオーズ、そなたの主は王ではないと言うのか?」
 もともと解っていた。ここでセダス公の配下がアルクマルトを奪っていく筋書きなのだから。だからといって、自分を護衛するために王都から来た近衛兵たちを見殺しにしたくはなかった。
 王とその身内を護ることが主な職務だが、ひいては王都の守護も任されているのが近衛兵だ。軍ぜんたいから選り抜きの兵を集めただけに、兵の損失は王都の安寧をおびやかしかねない。
 いやそれ以前に——王ローディオスを護るための兵が、こんな形で失われることがあり得ないことだった。厳しい訓練を受けて王に忠誠を誓う彼らをこうして敵味方に分断してしまったセダス公のことが頭をよぎる。
「殿下、口ははさまないでいただきたい。あなた様と世話係の者には傷をつけぬと約束いたしましょう。ですが、この先われわれがあなたをお連れする場所は、極秘でございましてな」
「オーズ……」
 襲撃にユカラシルの町の中ではなく森の中をいく街道を選んだのも、人目につかないためだ。
「かまわぬ、やれ!」
 そう声があがるとともに、兵士たちはいっせいに向かってきた。アルクマルトも腰に手をやり、神剣をナシジに預けたことを思いだした。
「……くっ」
「殿下、どうか……」
 サンジェリスとサウロスのふたりが、アルクマルトをかばうように馬を寄せてきた。そしてサンジェリスはそっと首をふる。
「今ここで逆らうのは得策ではありませぬ。どうか堪えていただけますよう……」
 鎖帷子を着ていても、剣の切っ先はそのすき間を狙ってくり出される。まして多人数が入り乱れるこんな場所では、傷を負うなというほうが無理な話だった。
 アルクマルトは兵士たちが戦う姿から、目をそらせなかった。戦場では、気の迷いがあるほうに分が悪い。明らかに劣勢なナシジとその部下たちを前に、ただじっとその成りゆきを見守ることしかできなかった。

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