放浪の王子 第21章 -1-

 空からはつぎつぎと雪が舞い降りて、王都を白く染めあげていく。
 王都はまるで死んでいるかのような静けさに包まれていた。
 セブリヤから王都まで輿で運ばれること二日、瀕死の王ローディオスは近衛兵を率いた王弟アルクマルト王子とともに帰還した。
 道中も宿場町ごとに医術者や薬師による治療を受けていたものの、身体を貫いた矢傷はどうすることもできなかった。
 即死はまぬがれたのだが、矢尻が特殊な形をしていて臓腑をえぐっていた。表面だけの傷なら縫い合わせるという治療法もあるが、臓腑の損傷では手の施しようもなかったのである。
 王宮に着くとローディオスはただちに侍医をはじめとする数多くの医術者によって治療を受けたが、結果は同じことだった。今はただ死期を引き延ばしているだけにすぎなかった。
 王都の住民たちも何があったか詳しくは知らない。王が自ら指揮して少人数の近衛兵とともに出立し、まもなく瀕死の重傷で帰還したことから、ただおそるおそる成りゆきを見まもっていた。

 侍従たちに用意された衣装に着替え、アルクマルトはエリアスをしたがえて王の居室へと向かう。
 懐かしい王宮のなかは、あいかわらず古めかしくて重厚だった。広い内部だがアルクマルトは部屋の配置を忘れてはいない。幼いころにローディオスのあとをついて歩いた光景が思いだされた。
 向こうから華やかな女性の一団があらわれた。先頭を歩いてくるのは、美しい女性である。濃い金の髪は優雅な巻き毛で、身につけた華やかな装身具はその身分が破格であることを表していた。
 王妃アティラト——現王ローディオスの正妻である。愛妾と違って王妃は後宮の部屋だけでなく表にも居間などが与えられており、出入りは自由であった。
 アルクマルトを見て、なにやらひそひそと話しながら歩いていたアティラト付きの女官たちがいっせいに沈黙した。
「義姉上——お久しゅうございます」
 アルクマルトは一礼した。王宮を逃げた言い訳も詫びも今さらだったし、なにより険しい表情のアティラトを見てそれ以上なにも言えなかったのだ。
「——よくも、陛下をあのようはお姿にしやったな!」
「!」
 鋭い音がして、アルクマルトは平手で打たれていた。
「義姉上」
「けがらわしい! そなたの顔など見とうない!」
「……」
 アティラトとお付きの者たちはアルクマルトの横を通り抜けて去っていった。女官たちの誰も、気位の高い王妃の行動を止める勇気は無かったようだ。
「殿下……」
 エリアスがそっとアルクマルトのほほに手をふれた。
「大丈夫だ」
 仕方ないだろう。アティラトが自分に敵意を向ける理由をアルクマルトはわかっている。
「それより早く兄上のところへ」
「はい」
 王の居室の周辺では、バタバタと多くの侍従や女官が動き回っていた。
 状態は思わしくない。付きっきりでいたいところだが、アティラトの手前もあってアルクマルトはできるだけ我慢していた。だいたい夜に付き添うことが多く、それすらも体調を損ねてはいけないからと、侍従たちに短い時間に制限されることが多かった。
 時間を追うごとに弱っていく兄を見るのは辛い。助かる見込みがないとわかっていて苦しみを長引かせているという後ろめたさもあった。
 部屋の前にくると、宰相ソルダスをはじめ重臣たちがそろってアルクマルトを待ちかまえていた。神官長サンジェリスも軽装ではあったが宰相のとなりに立っていた。
「殿下、お待ちしておりました」
「……なにごとだ」
「陛下が皆を集めよと仰せになられまして……さあ、どうぞ中へお入りくださいませ」
「……」
 不安におしつぶされそうな気持ちを押しかくし、アルクマルトは王の居室へと入った。
 後宮ではなく表立って王が暮らす部屋である。豪奢な居間や寝室などが連なるその空間は、幼いころに父親のもとをおとずれた記憶そのままだった。
「……あにうえ」
 蒼白い肌のまま寝台によこたわるローディオスは、ほとんど表情もなく弱々しげな視線だけ投げてよこした。そんな姿を見れば、アルクマルトはしぜんと表情がくもってしまう。
「……アル……マ……泣くな」
「……」
「……ソルダス」
「ははっ」
 ローディオスに呼ばれて、宰相は手もとにある羊皮紙の巻物をひろげた。
「では失礼して。これより、陛下のご遺言を……みなさまにお伝えいたします」
「……」
 驚くことではなかった。アルクマルトは知っているのだ。四年前、父であるムートが亡くなるまえにもこうやって遺言は読み上げられたのだから。
 あれから四年、たった四年かもう四年なのか——アルクマルトの脳裏にさまざまな記憶が浮かんでいた。
「王弟アルクマルト=アルデアナを、アルダーナの世継ぎとする」
 遺言はただそれだけであった。
 その内容に意義をとなえる者はいなかった。そもそも今は他に世継ぎがいない。
「私は——」
 神官として生きようと思っている——その言葉をアルクマルトはのみこんだ。その生き方はもう許されないのだ。自分だけの穏やかな日々を思い描いていたはずだが、いまや自分だけのために生きることは出来ない。国には王が必要だった。
「大丈夫です、あなた様なら」
 まっさきにひざまずいたのは神官長サンジェリスであった。矢傷はまだ治りきってはいないようだが、なんとか動くことはできるようだ。
 四年前も同じように、自分が世継ぎだと遺言で告げられた。だがそのとき感じた重みと今感じる重みはまるで違う。国を治め王として生きることが、どれほどの重責かを今のアルクマルトは理解していた。
「……ソル……ダス」
「ははっ」
 弱々しい王の声に応え、宰相ソルダスは王の寝台のかたわらに置かれていた王冠を手にした。
 侍従たちに支えられ、王ローディオスは身体を起こした。傷の痛みはいまは芥子からとった薬で麻痺させているから、それほど感じないだろう。ただ目に見えて体力が衰えているのだけはそのぎこちなさからもわかった。
「……あにうえ」
「ひざまずけ……アルマ……。そなたが……膝を折るのはこれ……が……さいしょでさいご……だ」
 言われたからではなく、立ったままその姿を見ているのがつらくて、アルクマルトは寝台のふちにひざまずいた。
 ローディオスはソルダスからその王冠をうけとると、震える手でしずかにアルクマルトの頭に載せた。
 自分の頭にその王冠の重みを感じながら、アルクマルトはあふれる涙をこらえきれなかった。
 泣きながら立ちあがると、今度は部屋にいた者がアルクマルトに向かってつぎつぎとひざまずいた。
 いまこの瞬間から、アルクマルトがアルダーナ国王になったのだ。
「……泣くな……アルマ……。わたしが……見たいのは……そなたの泣き顔では……ない……」
「あ……あにうえ……」
「いや……そなたを……くるしめたのは……わたしだ……。だからこれは……罰なのだな」
「ちがいます……! 罰なんかじゃない」
 なんとかして笑顔を見せようとしたが、涙がこぼれるばかりで笑えるはずもなかった。
 アルクマルトは王冠を戴いたまま、寝台にふたたび横たえられたローディオスに追いすがるように、その顔をのぞきこんだ。
「国のこと……たのんだ……ぞ」
「あにうえ……」
「……アル……マ」
「!」
「……あいし……て……る」
「あにうえ!」
 こんなはずではなかった。会えたらもっといろいろ話をして、ローディオスの本当の気持ちを知りたいと思っていた。自分が憎いからあんな仕打ちをしたのではないと、それがわかってからは余計に会いたかった。会って気持ちを伝えよう、自分が悪かったことは謝ろう、そう思っていたのに——
 自分を助けるためにローディオス自ら近衛兵を指揮してセブリヤの街までやってきてくれた。私情に走って立場をかえりみなかったことは王としては失格かもしれないが、自分の身をそれほど案じてくれたことがアルクマルトには嬉しかった。
 後宮に連れこまれて蹂躙されたとき、おさない頃からの仲の良さは幻想だったのかと思うくらい、アルクマルトは強い衝撃を感じた。ローディオスは自分に苦痛を与えて喜んでいるのかと。だからこそ反応する身体と反応したくない心との間の軋轢が、心を蝕んだのだ。
 その誤解がとけたところで、こんなことになろうとは——

 王都ラグートにはめずらしく、雪はそれから数日ふりつづいた。
 すべてが白く染まった雪の中、先王ローディオスの葬儀が行われ、王都は喪に服すため静まりかえっていた。
 アルクマルトは新たな王としてすべてを執り行った。格式のある立派な葬儀であり、アルクマルトの堂々とした立ち居振る舞いもそれに見劣りしないものだった。参列する諸侯貴族にも強い印象を与えたことだろう。
 四年前に先王の葬儀をしたばかりなのにと王都の民も最初は不安げな様子だったが、新しい王がすんなりと決まったことから、さほど気に病んではいないようだった。

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