放浪の王子 第19章 -3-

 そのとき、城門のほうから鬨の声があがった。
「……なにごとだ」
 ゆっくりと振り返ったセダス公の目には、背中いちめんに矢を受けた兵士が駆けよってきて倒れるさまがうつった。
「……て……てき……しゅう…」
「なんだと! 相手は何者だ?」
 血を吐いて動かなくなった兵士から答えはなかった。その代わりにどこのものとも知れぬ騎馬隊が庭になだれ込んでくるのが見えた。
 青毛の馬をあやつる男を筆頭に、いずれも見た目でただ者ではないとわかる傭兵の一団だった。
「侵入者に矢を射かけよ!」
 オーズが後方に控える兵たちをふりかえった。
 射手はすばやく矢をつがえた。その矢がいっせいに騎馬隊に向かって放たれる。
「!」
 空を切った矢は、騎馬隊をつつむ青白い光に阻まれて誰一人傷つけることはかなわなかった。
 射手たちは信じられないものを見た驚愕に表情をこわばらせ、第二射をかまえることも忘れたように立ち尽くした。
「何をしておる! アルクマルトを殺せ!」
 セダス公がそう叫びながら、兵に付き添われて舘のうちに身を隠そうとしている。しかし現場は混乱しつつあった。兵たちは侵入者たちのほうへと向きなおっていた。
 アルクマルトを射るのはたやすいかもしれないが、そのあいだに近衛兵たち自身が襲われる危険があるからだ。
 二射めも騎馬隊を傷つけることは出来ず、馬に乗る集団はたちまち接近してきた。
(あれは……!)
 アルクマルトはすぐわかった。間違いない。エリアスらが到着したのだ。彼らをまもった青白い光は神官の秘術であることは、肌で感じてわかった。彼らの使う秘術は神剣とおなじ波動を持っているのだ。
「殿下、じっとしていてくださいませ」
 アルクマルトの背後にひかえていた神官長の声がした。縄の切れる音がして、縛られていた両手が自由になる。
 サンジェリスは気配を消す秘術を使っているのだろう。兵たちは彼の存在に気づいてはいない。
「サンジェリス、そなた……」
「わたくしは大丈夫です。殿下こそ、どうか御身をお大事になさってくださいませ」
「わかった」
 侵入してきた騎馬隊と控えていた近衛兵たちのあいだで、剣の打ち合いがはじまった。
 おもわず腰に手をやり、アルクマルトは剣を持っていないことを思いだした。さきほどオーズに手渡してしまったのだ。
 するどい金属のぶつかる音と肉を断つ音にまじって、苦鳴があたりにとびかう。そして血の臭いがたちこめた。
 青毛の馬に乗ったエリアスは、馬上からのするどい剣さばきで近衛兵たちを近づけない。過去に近衛にいたのだからその戦闘能力はひけを取らないだろう。
 丸腰なままでは落ちつかず、アルクマルトは周囲を見た。そして倒れた近衛兵の手から剣を奪うと、それを構えて屋敷の前に陣取る近衛たちに向かっていった。
 セダス公を討たねば、いまここで討っておかねばならない。
「……!」
 セダス公は幾人もの兵に囲まれ、扉の向こうに吸い込まれていくところだった。
「おじうえ!」
 アルクマルトは叫んだ。声に怒りがこもっているのが自分でもわかった。
 この怒りは叔父に対するものだけではない。過去の自分自身への怒りをもはらんでいた。
 そそくさと背を向ける金褐色の髪の男に届けよとばかりに、剣で自分の前方をなぎはらう。その切っ先が兵士によって受けながされる。
「邪魔をするな!」
 王都の近衛兵であろうと、王ではなくセダス公についた者だ。彼らをつよく睨めつけながら、アルクマルトは言いはなった。
「そなたら、これいじょうセダス公の身を護ろうとするなら、王の命に逆らう者として斬る!」
 兵たちはいっしゅん息をのんだように動きを止めた。
 だがセダス公の前にたちはだかるオーズが、
「ひるむな、愚か者! セダス公が王となられるのだぞ。そのような戯れ言にまどわされるな!」
 そう叱咤するや、ふたたび自らの役目を思いだしたようにアルクマルトに斬りかかってきた。
「殺せ! アルクマルトを殺した者には特別な褒美をやる!」
 そう叫ぶやセダス公は重い扉のむこうに消えていった。
「おじうえ……!」
 気を取られ、アルクマルトの手から剣がはじきとばされた。
「っ……」
「あぶない!」
 剣を振りかぶった兵とアルクマルトのあいだに青毛の馬がわってはいり、エリアスが兵の腕を切りおとした。
「ぎぃああ……!」
 叫ぶ兵に目もくれずにエリアスは馬からおり、アルクマルトを背にかばうように兵士たちのほうに向きなおった。
 騎馬隊の活躍はかなりのもので、残った近衛兵は十名もいるかどうか。ただ、オーズはじめかなりの手練れであることは間違いない。
 矢による攻撃が不思議な力に阻まれて効かないためか、近衛たちは全員が抜き身の剣を手にしていた。
 アルクマルトはエリアスの背の広さにどこか安堵を覚えながらも、この状況に血がたぎるのを感じていた。
「エリアス……」
「はい、殿下」
 エリアスの腰帯には剣二本がさげられていた。一本は今手にあるから鞘のみ、もう一本あるのは激しい戦いを見越した予備であろうか。
「預けたもの、返してもらうぞ」
 アルクマルトはそのもう一本を鞘ごとはずして自分の腰帯にはさみ、柄に手をかけするりと抜いた。
 その瞬間——
 黒く立ちこめた重い雲が、鋭い稲光を発した。
「あ……あれは……っ」
「……そんな」
 アルクマルトが手にした剣が、青白くゆらめく炎をまとったのである。
 さきほど見せたものとは比べものにならないほど、鮮やかで大きな炎だった。
「神剣……そんなバカな」
 オーズは自分の腰帯にはさんだ神剣に目をやった。アルクマルト王子から渡された剣はたしかにそこにある。
「これは偽物か……いやしかし、たしかに光ったはず」
 アルクマルト王子が手にすると、青白く燃えるように光ったのを見た。それをさきほど自分の目で確かめたはずだと、オーズは腰の剣とアルクマルトの手にある剣を見比べた。
 目の前にあるその剣は同じ形をしている。なのにこれほどまでの威容を感じるとは。
「本物か偽物かは、この際どうでもよいことだ。斬れさえすれば、それでいい」
 そう言うや、アルクマルトは剣を手にオーズに斬りかかった。刃が空を切るだけで、重い雲から雷鳴がとどろく。
 かなりの近衛兵たちが戦意を失っていく。
 神剣ハーラトゥールは天空神より授かったもの——と言い伝えにはある。ただ、言い伝えだけでは誰も実感することはないだろう。
 こうやって空の異変を目の当たりにして初めて、それが神剣と呼ばれている本当の意味を知るのだ。
 刃がまとう青白い炎のようなその光は、天空を切り裂く雷光を思わせた。
 柄をにぎる手に力をこめるたび、神剣から反応がかえってくる。アルクマルトはそれを感じていた。まぎれもなくこの剣の主は自分であり、その威力を決めるのも自分次第と言うことがわかった。
 これこそがおそらく、サンジェリスの言う素質なのだろう。神剣を扱えるということの。
「ひっ……」
「……お、おお」
 逃げ腰になった兵たちには目もくれず、アルクマルトはまっすぐに舘の扉のほうへと向かった。エリアスが剣を構えた警戒の姿勢ですぐ後ろに付いて歩く。
 そのとき、騎馬とおぼしき集団が舘に近づいてくる気配がした。数多くの蹄の響きが、街の石畳を駆け抜けてくるのだ。
「……まだ他に傭兵たちがいるのか?」
「いえ、殿下。我々はこれで全員でございます」
「では……セダス公の伏兵?」
「……」
 周囲への警戒を怠るまいと、振り返らずにアルクマルトは尋ねた。扉の前にたちはだかるオーズを斬って中に押し入ろうというときに、新たな敵が現れたとなるとこちらも体勢を立てなおさねばならない。
 いや、場合によっては窮地に陥る。

19章-4-