放浪の王子 第7章 -2-

 それを見送りながらさきに肩の力をぬいて息をついたのはアルクマルトだった。去っていく男たちを見送りながら、ほうと重い息をつく。
 様子をうかがっていたエリアスは、剣を鞘にもどすなり馬からおりて駆けよってきた。
「殿下……!」
「……ああ」
「ご無事で……ようございました」
「わあっ!」
 アルクマルトはエリアスに抱きしめられていた。
「ご無礼は承知しておりますが——どうかおゆるしを」
「エリアス……?」
 ちからづよい腕にこうやって抱かれることは、じつをいうととても安心できた。自分でもなぜかはわからないが、つい身をまかせてしまうのだ。
 しばらくそうしていたエリアスが、腕をほどいて身体をはなした。
「申しわけございません……。ですが、あなた様になにかあったらと思うと、生きた心地がしませんでした」
「……」
「お怪我は……? 馬から落ちたときにどこか……」
「ああ、かなり打ちつけたけれど……まあ歩くのは問題ない」
 引っぱられ、なかば鹿毛の首にすがりつきながら落ちたので、それほど勢いよく落ちたわけではない。とはいうものの、よく頭から落ちなかったものだ。
「打ち身以外には……?」
「大丈夫だ。すり傷程度だから」
「骨に異常があってはいけませんので」
 それでけっきょく道ばたの木に馬をつないで、アルクマルトはエリアスに身体を検分されることになった。
 引きずられたときに服が何ヶ所かやぶれていた。そこがすり傷になっているのだ。服をぬぐときにもすこしやっかいだった。
 腕や足にあるその傷を、エリアスは水筒の水でていねいに洗った。
「……いっ……たた……」
「これはすこし……痕がのこりそうですね……」
 いきおいよく地面にこすられた傷は、かるい火傷のようになっていた。着ていた長衣がそう質のよくない毛織物だったのだが、かえって生地が厚手でたすかったというところだろう。
「いまは洗うだけしかできませんので……つぎのリジンの町でちゃんと手当をしましょう」
「そ……そこまでの傷ではないだろう?」
「いいえ、いけません。——つぎは打ち身ですが」
 腕や足、それに腰や背中も慎重にまげのばしして、異常がないかたしかめる。強く打ったから痛みはあるが、動かせないということはなかった。
「骨に異常はないようですが……もしとちゅうで痛みがでたり腫れたりするようなら、おっしゃってください」
「……わかった」
 荷物のなかにあった予備の服をとりだし、すこしぎこちない動きで着る。木の枝に繋いでいた鹿毛が、心配そうにのぞきこんできた。
「大丈夫だ。……おまえが勇敢だから助かったよ」
 そう言って首をなでてやると、鹿毛はよろこんで目をほそめた。よこでエリアスが笑っている。
 打ち身のせいかすこし馬に乗るのはつらいのだが、泣き言をいってもはじまらない。
 アルクマルトはエリアスとともにふたたび西に向かった。鹿毛は気づかってかなるべく揺れないように歩いてくれているようだった。
 ふとエリアスが話しかけてきた。
「——殿下、あの」
「ん?」
「さきほどの……縄を切ったのは神剣でしたね?」
「そうだ」
 ずっと荷物袋に入れたままだったから、抜いたところを見るのはエリアスも見るのははじめてだっただろう。
「驚きました。——ふつうの剣ではないというのは本当だったんですね」
「……ああ」
 ふつうの剣でないというのは確かだろう。だがアルクマルト自身も神剣のことはあまりよく知らないのだ。成人の儀式で抜いたときに美しく光ったこと、アルクマルトだけが物を切ることができたこと、それくらいだった。
 王宮にいるあいだ、神剣は神殿に安置されていてアルクマルトの手元にはなかった。だから自分のものだという実感もあまりない。
 手元にきてからも抜いたのは近衛兵をまいた時だけだった。それも近衛兵はアルクマルトに刃物を向けてこなかったので、投網を切ったくらいなのだ。あのとき頑丈に作られていた投網をすんなり切ってしまったので、さっきの縄くらいは切れるだろうという確信めいたものはあった。
 放浪のあいだ、もし野宿で夜盗に襲われるようなことがあれば抜いたかもしれないが、さいわいにもそういうことは無くすんでいた。
「切れ味がよすぎて、かえって悪目立ちするかもしれぬな……」
「そうですね。たとえば今回のことが間諜の耳に入れば、殿下のことを感づかれてしまうでしょう」
「……ああ。この先もできるだけ抜かずにすんでほしい」
 道なりにしばらく進むと、山越えのための北へ向かう道とベナスへむかう西向きの道とに別れていた。
 西へ向かう小さな街道もレベトの町とおなじく高地にあるため、サトウカエデのあいだを抜けていくようになっていた。赤く染まった木々は、しばしふたりの目を楽しませた。

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