放浪の王子 第21章 -3-

 謁見の間にいたのは、神官長サンジェリスとサウロスとゼルオス、マルスに上級神官ベレウス、そしてもうひとり年老いた神官だった。
「あなたは……」
 アルクマルトはその姿に見覚えがあった。
「トリティアス殿……!」
 アルクマルトに「稀な者」という名をつけた前神官長である。
 神官たちが床に膝をつこうとするのを、アルクマルトはあわてて止めた。
「正式な謁見ではないのだし、そのままでいい。……トリティアス殿に、いや皆に椅子を」
「これは……お心づかいありがとうございます」
 侍従が運んできた椅子に腰をおろしながら、老いた前神官長はゆったりとやわらかな笑みを浮かべた。
「驚いた。隠居したと聞いていたが」
 三年前にアルクマルトの逃亡に手を貸した疑いで神官長を引退させられたという。その時罪人とされた者たちはすべて赦された。女官長のシエレもいまは牢から出されて養生している。
「隠居したといいましてもな、若い者だけに任せるのは気がかりなこともございましたゆえ、じつは王都の神殿にこれまで通り暮らしておりました。まあ指導係としてでございますが」
 サンジェリスが申しわけなさそうな表情になった。
「トリティアス様がいらっしゃるから、わたくしもつい無茶なお願いをしてしまいました。ですが、セダス公に関してはこの方がいらっしゃったからこそ策も練れました」
「……そういえばそなた、ずっと王都にいることになっていたな?」
 はじめてバルームの街で会った時、サンジェリスは商人の格好をしていた。秘密裏に王都を抜け出してきたからだ。
「はい。わたくしめのかわりを努めてくださったのがトリティアス様です。おかげでわたくしの身代わりという少し……酷な役回りをさせてしまいました」
「ハッハッハッ。セダス公に絡まれたことか? そう気に病むでない。あれはあれで楽しかったぞ」
「申しわけございません」
 上級神官なら姿を変える秘術を使うことができる。それはアルクマルトも実際に体験して知っていた。ただ長い時間保つものではないので、王宮に出仕するサンジェリスの身代わりはなかなか厳しかったかと思われた。それを笑い飛ばすだけの胆力がトリティアスにはあるようだ。
「さて、陛下。我々がやってまいりましたのは、あなた様が王として迷っていらっしゃるのではないかと心配してのことではございますが……」
 トリティアスはじっとアルクマルトの顔を見ていたが、やがて破顔した。
「どうやら大丈夫ですな。……サンジェリスが気に病んでおりましたが、それほどのことはございません」
「そうですか?」
「はい。迷いはお持ちかもしれませんが、今は吹っ切れておられるご様子ですな」
「……あなたからそう見えたのなら、私も自信を持てます、トリティアス殿」
 エルフィード神殿としては全力でアルクマルトを王にするべく奔走したのだから、その行く末を案じてもいるだろう。
 今のアルクマルトは自分でも不思議なほど心が軽かった。エリアスに抱かれたことで、自分がひとりではないことを知ったからだ。
 誰しもひとりで生きるのは辛い。重責を負った者ならなおさらだ。だが支えてくれる者がいれば、その重責に立ち向かうことができる。
「陛下、我々は近いうちに王都よりおいとまいたします。お世話になりまして……」
 ベレウスだった。神殿にとって要所であるセンティアットを、いつまでも放ってはおけないのだろう。彼がいるからこそ、あの街の神殿はあれほどの規模であるにもかかわらず、ひとつにまとまっているのだ。
「ああ、そうか。道中気をつけてくれ。センティアットには世話になった」
「ありがとうございます。どうかセンティアットに行幸いただけますよう、ご検討くださいませ」
「わかった。必ず行く」
 センティアットは重要な産業の街でありながら、長いあいだ王の行幸もなくどこか忘れられた街でもあったが、いまやアルクマルトを助けた栄誉の街である。
 バルームの街の三人は、遠いがやはりバルームへもどるという。王都やセンティアットで暮らす選択肢もあったようだが、慣れた神殿のほうが暮らしやすいのだろう。
 アルクマルトは神官たちに持たせる衣類や食糧などの土産を侍従に指示した。バルームから旅立つときに手渡された神官たちの心づくしを思えば、王宮の物は味気ないかもしれない。
「では、陛下。我々はこれで……」
「わざわざありがとう。トリティアス殿、サンジェリス殿」
「なにか悩みごとなどございましたら、相談には乗りますから。おっしゃってくださいませ」
 サンジェリスはそう言うと、やわらかく微笑んだ。
 彼らが退出する際に、エリアスはアルクマルトの傍らでそっと頭を下げていた。
 神官たちはまた穏やかな暮らしにもどるのだろう。もちろん彼らには彼らなりの苦労がある。それでもあの自給自足の労働の日々がアルクマルトには羨ましくもあった。
 助けてくれた神官たちに恥じないように生きねばなるまい。王としてだけではなく、人として——

 王都は夕暮れ時をむかえていた。雪はやみ、重々しい空はすこしずつ晴れようとしていた。冬は厳しいが、命の芽吹く春への希望を胸に抱いて、人々は耐えていく。いつまでも終わらない冬はないのだ。

 

 

長い間のご愛読、ありがとうございました。この話を考えたのはもうン十年?も前なので、やっとこさこうやって形に出来て良かったです。書けなかったところ、書かなかったところ、いろいろあるんですが最後は流れ的にここでまとめておきます。番外編とかネタはあるので機会というかリクエストがあれば…。あの人この人どうなるの?などなど、皆様でいろいろ想像してみてくださいまし。

2015.12.11紫翠ほのか 拝