放浪の王子 第4章 -2-

 天馬亭の亭主は、黒い口ひげが印象的なややいかめつい顔をした男だった。勘定台の向こうからこちらをジロリと見たのでアルクマルトは少なからずギョッとした。宿屋の亭主といえば愛想がいいのが決まりだったからだ。
 気にしたふうもないエリアスが、
「二人部屋だ。寝台はべつで」
 と言うや、愛想笑いもなく黙って部屋の鍵を手渡した。
「馬のぶんも入れて、ひと晩五フェリダ。食事は別だよ」
「ああ、わかった」
 ふところから取り出した革のきんちゃくから、銀貨が四枚、亭主に渡される。
 国によって貨幣はちがうのだが、いちいち両替しているわけにもいかないので、宿屋や商店などではあるていどの融通をきかせていた。
 エリアスが渡したのはアルダーナの銀貨であった。イディオルの通貨よりは大きくて価値が高いため、銀貨五枚のところを四枚で通用するようになっている。
「……本物だな。夕方になったら、手燭を取りにくるといい」
「ありがとう」
 階段をあがって二階が客室になっていた。
「ここか」
 エリアスが鍵についている番号札を見て、同じ番号の部屋を開ける。
「広い……」
 アルクマルトは驚いた。こんな広い宿には泊まったことがなかったのだ。マグニスの町で泊まった部屋の三倍くらいはあるだろうか。
 寝台も大きめでちゃんと二台、左右の壁に離して置かれていた。窓も大きく風が良く通るので、部屋の中はさわやかであった。
 アルクマルトは背中の荷物をおろし、マントをぬいで寝台に腰かける。
 だがエリアスは荷物を置くや、窓の脇から街のようすを伺うようにしている。
「どうした……?」
 馬を選んでいるときも外を見張っていると言っていた。
「……気のせいだといいのですが」
「?」
「街中で……アルダーナの近衛兵の顔を見たような気がしまして……」
「なんだって」
「商人の格好でしたが……。向こうがわたくしに気づいたかどうかは不明です」
「……」
 商人の格好をしているというのは、近衛を辞して商人となったのか、あるいは商人に身をやつして潜入しているか、だ。
 そういえば、アルクマルトは馬にひっぱられて頭に巻いている布がほどけたままだった。
 黒髪の王子を探しているとなれば、目についた可能性もある。
「今のところ、この宿のまわりでようすをうかがう者はいないようです……。明日の朝は早めに発ちましょう」
「わかった」
 稼がなくてもいいのだと気持ちが楽になっていたアルクマルトは、それでも逃亡の途中であることを思い出す。
 相手は国王なのだ。
「食事は部屋に運ばせます。……窮屈で申しわけありませんが、殿下は部屋からお出になられませんよう」
「すまないな」
「お気になさらず」
 エリアスはいつものように笑顔で頭をさげた。

 次の日の朝、まだあたりが薄暗いころにアルクマルトはそっとエリアスに起こされた。
「殿下、申しわけありませんが、出発いたします。すぐに荷物をおまとめください」
「……なにかあったか?」
 素早く体を起こしながら、アルクマルトはマントを羽織る。荷物はすくないし、寝るまえにまとめてあったからそう手間取らない。
「ゆうべわたくしめが見かけた相手が、近隣の宿屋の前に人を張り込ませています」
 そういいながら、エリアスはアルクマルトの頭に布を巻き付けた。
「こんな時間にか……」
「出発する旅人をいちいち確認するつもりかもしれません。さいわいそれほど人手がないようで、表通りのみのようですが」
 しずかに階段をおりると、天馬亭の亭主はもう起きていたらしい。
「こんなはやい時間に悪いが、出るよ。……また世話になることもあるだろう」
 鍵を渡すと、無愛想だった亭主がやや笑ってみせた。
「ああ、北門は開いているようだ。北門から出るといい」
「北か! かたじけない」
 厩では老爺がいそいで馬に鞍や手綱をつけてくれた。昨日の鹿毛の馬が嬉しそうにアルクマルトを出迎えたが、いななきそうなのをあわててなだめる。
「しっ……静かにしてておくれ……いい子だから」
「その馬っこ、なかなかいい馬ですぜ。大事にしてやってくだせえよ」
 馬好きの老爺は目を細めながら言った。
「ありがとう、おじいさん。おじいさんもお元気で」
 アルクマルトは思わずそう言うと、老爺は破顔した。
 宿を出て通りへ歩き出す。こんな時間でもすでに旅人たちが通りを行き交っていた。
「馬に乗れば目立ちますゆえ……門を出るまではこのまま馬を引いて歩きましょう」
「わかった」
 緊張で手に汗がにじむが、手綱を離すわけにはいかないので、にぎりなおす。それより久しぶりでとっさに馬に跨がれるだろうか。
 エリアスの連れている馬も、かなり人に馴れた騎馬らしかった。
こんな時間に起こされたというのに、二頭とも落ちついていてくれるのがありがたかった。
 宿の亭主が教えてくれたとおり、北門は空いていた。この街は南北に城門があるが、朝早い時間に開ける門はどちらかに限られるという。
 門番の兵士たちは、馬を連れた旅人には控えめな態度であった。馬は高値であるから、それを持てるとなるとそこそこの身分の人間であるからだろう。
 不思議なことに、アルクマルトが背中に負っている荷物を開けられはしても、だれもそこにある布を巻いた神剣を調べようとはしなかった。まるで見えていないかのように。
 門を通過すると、エリアスはアルクマルトを振り返った。
「馬に乗ってください」
「!」
 アルクマルトはあぶみに足をかけた。体が覚えていてくれたようで、なんとか馬に跨がることができた。
 後ろを振り返ると、なにやら門のところに数人が押しかけてきて、門番とやりあっているらしい。
「速歩でけっこうです。ついてきてください」
「承知した」
 反射的に馬の腹を蹴っていた。
 しばらく馬に乗っていないうえ、放浪生活で筋力が衰えたのは自覚している。馬に乗るのは体力が要るのだ。
 だが鹿毛の馬はそんなアルクマルトのことをわかっているのか、あまり体を揺らさないように走ってくれた。
 石畳の道を三十分も進んだだろうか。馬を常歩にもどし、アルクマルトはひと息ついた。
 そこで街道が二手に分かれていた。
「こちらです」
 北門を出てそのまままっすぐ進んできたので、トゥトから北に向かっていることになる。
 エリアスが指し示したのは東のほうへ向かう道だった。ようやく高くなってきた日がまぶしい。
「南へ向かうなら西の道が近いのですが、さっきの連中が追いかけてきてもまずい。この先は小さな川がいくつか流れていますので、蹄のあとがわからなくなると思います」
「そなた……地形までよく知っているな」
「ええ、アルダーナだけでなく、イディオルとフィオリの地図はほぼ覚えています」
「そこまで……?」
「殿下をおさがしするのに、わたくしめの担当の地域がそこでしたから……」
 エリアスと同じような技量を持つ人物は他にもいるということなのだろうか。
 そのまましばらく進むと、小さな川があった。川と言うよりは浅い流れだが、馬でそのまま川をくだっても問題なさそうだった。
 馬たちに水を飲ませたあと、そのままふたりは川にそって南に向かった。
「……さきほどの連中は、本当に私のことを気づいて追ってきたのか?」
 門番の兵士にはやく通せとわめいていた声は聞こえていた。
「はっきりとは解りかねます。……ただお姿が似ているから確認をしたいと思っただけかもしれません」
 確認されてしまったらたしかにマズいことになる。目の色も耳飾りも伝えられているアルクマルト王子の物に間違いはないのだから。
「これからはしばらく街道からはずれた小さな町をたどっていくことになります。……馬がありますので野宿はせずにすむと思いますが」
 アルクマルトは馬の足をはやめ、エリアスに並んだ。
「エリアス、頼みがある」
「なんでございますか?」
「剣の稽古をつけてくれないか」
「えっ……」
 いきなり言われたためか、エリアスは面食らったように目を見開いている。
「剣を抜かねばならないときもあるかもしれぬ。……私もしばらく剣術から離れていたから、今のままでは……よくない」
「殿下……」
「いつも私のために疲れているところ、申しわけない。……毎日すこしの時間でもいいから」
 剣術の基本は、王宮にいたころにかなりたたき込まれてはいた。王子には何人もの教育係がつき、文武両道になることを期待されていた。
 下の王子たちは長兄のローディオスほど期待されてはいなかったので、学ぶほうもおざなりになりがちだった。アルクマルトは兄ローディオスに褒められるのが嬉しくて、いっしょうけんめいに頑張ったのだ。
 それだけ学んできたものも、三年放浪しているあいだにかなり衰えてしまっただろう。馬ですら久しぶりに乗るのはかなり疲れたのだから、剣に関してはいきなり戦えるものではないはずだ。
「わかりました。殿下がそうお望みなら……」
「……ありがとう」
 大きな街道からはずれた細い田舎道を、二頭の馬は人を乗せてゆっくりと進んでいった。

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