放浪の王子 第7章 -3-

 シフェの村は、旅人なら素通りしてしまうほど小さな村だった。ひとつ手前の宿場町から徒歩でも半日ほど、そして旅人の目的地でもあるベナスの砦までもすぐの距離なので、宿泊目当ての旅人はまず来ないだろう。
 そのためか街道沿いにありながら、ひっそりとしたたたずまいであった。
 その村の街道に面した場所に、ちょっとした菓子や軽食のたぐいを売る店があった。朝早く発って歩いてきた旅人が、ちょうど小腹がすいてくる頃合いをねらってのことだろう。
「殿下、すこしお腹がすきませんか?」
 馬をおりて手綱を引きながら歩いていると、とうとつにエリアスがふり返ってたずねたので、アルクマルトは面食らった。
「——少し、すいてはいるが」
「甘いものでも食べましょう」
「?」
 エリアスはなにやら店主に話しかけて注文している。アルクマルトは二頭の馬たちの手綱を持ち、彼らにもたれるようにして待っていた。
「店の裏手を貸してくれるそうです」
 もどってくるなりエリアスはそう言って、馬を連れて店の裏手に回った。
 旅人が座って食べれるように、いくつかの長卓と丸太を切ったような腰かけがおかれていた。
 てごろな木に手綱をつなぐと、エリアスは腰かけた。アルクマルトも同じように腰かける。
 店から、中年すぎの丸顔の男が出てきた。手には皿と飲み物の杯を持っている。
「お待ちどうさま!」
 陽気な声とともに、皿が目のまえに置かれた。
 木の実をすりつぶして小麦粉と水で練り、焼いたものだ。この地方特産のサトウカエデの蜜をかけてある。飲み物はごく軽い蜂蜜酒だった。
 その店主らしきその中年の男は、二人のむかいに腰かけた。
「人目がありますのでこのまま失礼しますが、殿下」
 蜂蜜酒を飲みかけていたアルクマルトは、驚いてふきだしかけた。
「……な……そなたが神官?」
 どこからどう見ても、商店の店主にしか見えない。
「はい、パウラスと申します。神官というか情報収集係も兼ねておりまして——間諜と似たようなものでございます」
「驚いたな」
 神殿の存在は王家にとってはさほど重要なものではなかったとアルクマルトは記憶している。諸侯と家臣たちを重んじてはいたが、むしろ神殿をかるく見ていた。国の祭祀をつかさどる役割と国民の信仰もあるために国政からははずせなかっただけだ。
 ないがしろにしていい存在ではない。それは良くわかった。
「とりあえず、殿下。ご無事でよろしゅうございました」
「私がほんもののアルクマルトかどうか確かめないのか?」
 パウラスが最初からあたりまえのようにアルクマルトを王子扱いするのが気になった。
「それは彼が——エリアスが確かめたでしょう? 彼ほどの男があなた様を殿下であると判断したのなら間違いはありますまい。——まあそのおきれいな顔を拝見して納得いたしましたが」
「パウラス殿、殿下に失礼ではないか」
 渋い顔をしてエリアスは神官をたしなめた。アルクマルトは思い描いていた神官のイメージとあまりに違うパウラスにただ面食らっていたので、気にするどころではなかった。
「これはとんだ失礼を。田舎でこんな店をやってると、つい——。ですがお母上にそっくりでいらっしゃいますゆえ」
「母上をご存じなのか?」
「ええ。わたくしはこう見えても昔は王都ラグートにおりました。先王陛下と王妃陛下の婚礼にも立ちあっております」
 自分では自覚はあまりないのだが、アルクマルトは亡き母に似ているといわれて育った。
「——神殿は、私が放浪中に死んだとは考えなかったのか?」
 パウラスは丸い顔ににこやかな笑みを浮かべた。
「殿下は神剣をお持ちでしょう? あれは持ち主を護るものだからきっと生きておいでだと、神官長はおっしゃいましたから」
 同じ言葉をエリアスからも聞いたことがある。神剣がそんなものかどうかは今ひとつ実感がないのだが。
 うしろから鼻を鳴らしてくる馬たちに菓子を少しちぎって食べさせてやりながら、アルクマルトは町の城門で剣を調べられたことがないのを思いだしていた。
「さあさ、どうぞ。酔うほどのものではございませんので」
 ふたりに蜂蜜酒のおかわりをすすめながら自分でも豪快に杯をあおり、パウラスは丸い鼻をこすった。
「さて。わたくしめがお手伝いできるのは、ベナスの砦を越えるための秘術くらいでして——」
「秘術?」
「はい。神殿には古の技を使える者がすこしおります。殿下もお耳になさったことくらいはおありかと」
 神殿には呪文や特定の物を媒介に不思議な技をおこなう神官がいる、とたしかに聞いたことはあるが、そういうものは神剣の言い伝えと同じであまり実感がないものだ。もちろんじっさいに見たこともなかった。
「パウラス殿、長居はできないので——」
 エリアスが時間を気にしたふうに急かした。
「はっはっは、相変わらず堅物だなエリアス! 殿下もようこの男とお会いなされたことだ。あ、いや腕っぷしも判断力もいちばん信頼できる男ですがね」
 なにか言いたげなエリアスに笑いかけて黙らせると、パウラスはアルクマルトを手招いた。
「ご無礼申しわけありませんが、こちらへ」
「?」
 小さな店のなかへと案内された。かまどがあり小麦粉の袋や糖蜜の樽が置かれた雑多なところだ。
 店としては本格的なものである。さっき食べたものも味はとても良かった。これくらいしないと地域にとけこんだ情報収集はできないのだろう。
 立ったままでふたりは向かい合った。
「他国では問題なくても、アルダーナでは青い目の若い男子はみな厳しい検問を受けております。——髪の色は変えれますからな。それに殿下には耳飾りもありますゆえに、ごまかすのは難しい」
「……」
「そこで、あなた様のお姿を、外からべつの姿に見えるように秘術をかけさせていただきます」
「姿を? そんなことが出来るのか?」
「できます。ただしあまり長い時間はもちません。数時間ほどですが、砦を抜けるくらいは保つでしょう」
「……わかった」
 パウラスはなにやら不思議な言葉を唱えはじめた。古詩に似たひびきだったが、まるで意味はわからない。
「出来ましたぞ」
「?」
 出来たと言われても、自分ではどう変わったのか解らなかった。
「鏡をごらんになりますか?」
「……」
 手渡された鏡にうつっているのは、たしかに自分ではなかった。顔のつくりはそのままなのだが、金髪で碧の目になっていた。それに耳飾りは見えなくなっている。
「これはおどろいた。見事なものだな」
「そう言っていただけると光栄です」
「自分ではないみたいですこし心地わるいが……」
「なに、お似合いですよ」
 店から出ていくと、エリアスはいっしゅん呆けた顔をしたが、すぐに誰かだとわかったようで苦笑した。
「どうかな、エリアス? まったく違うお顔ではそなたが見失うでな、髪と目の色だけにしておいたぞ」
「これはまた派手な——別の意味で目立ちますね。あ、いや殿下にはお似合いなのですが」
 鹿毛が不審げに見ていたが、アルクマルトがやさしく首を撫でてやると誰だかわかったようだった。
 エリアスは席をたった。
「では我々は出立いたしましょう、殿下」
「わかった」
 あぶみに足をかけて馬にまたがるふたりを見上げ、パウラスは頭をさげた。
「ベナスの砦の向こう、バルームの町の神殿におこしください。神殿の長がうまく取りはからってくれるでしょう」
「いろいろとかたじけない、パウラス殿」
「おそれおおいことにございます。——エリアス、よい旅をな」
「パウラス殿もお気をつけて。——さあ、行きましょう」
 ふりかえると、ずっと長い時間パウラスは道で見送ってくれていた。王都にいて王の婚礼に立ちあったくらいだから、かつてはそれなりの地位にいたのだろう。親しみやすいその笑顔は、いまの立場にいる苦労などはまったく感じさせなかった。

7章-4-へ