放浪の王子 第12章 -2-

 最初の宿場町エルーサは、大きな街道から外れているもののかなりにぎやかな町だった。城門があり兵士の検問があったが、これはサンジェリスが秘術を使って切り抜けた。以前にパウラスが使ったものと同じで、アルクマルトの目の色を変え耳飾りを見えなくしていたらしい。
 そのあと一行は表通りに宿をとった。あのレベトの町の金の楓亭には及ばないものの、かなり良い宿だった。
 二部屋に別れることになっていろいろもめたすえ、間の悪いことにアルクマルトとエリアスが一緒の部屋になってしまった。
 主人は小姓と一緒に泊まったほうがいいか、護衛の傭兵と一緒の部屋がよいかとか、サンジェリスはそれなりに考えたようだが、とりあえず順番に組み合わせていくことになった。それでいきなりこの組み合わせになってしまったのだ。
 できればいま同室は避けたかったのだが、その理由を言うわけにもいかず、今ふたりはとりあえず部屋に入り別々の寝台に腰をおろしている。
「……」
 額にまいた湿布がずれてきたので、アルクマルトはなおそうとした。すると何も言わないのにエリアスは近寄ってきた。
「あたらしい湿布に交換しましょう」
 まいてから時間もたって、湿布も乾いていた。たしかに交換したほうがいいタイミングである。
「……ありがとう」
 打ち身にふれぬようそっと額の布を取ると、エリアスは小卓にそれをひろげた。
 荷物の中から粉末にした薬草をとりだし、水を加えて練る。消炎鎮痛効果のあるその薬草は、神官たちが心配してたくさん持たせてくれたものだ。
 練ったものを布に塗ると、エリアスはそれをアルクマルトの額に当てた。
「あっ……つ……」
「申しわけございません。……まだそれほど痛みますか?」
「……」
「あのとき、わたくしが手をすべらせたのです……。殿下にお怪我をさせるなど……もうしわけ」
「馬鹿! そんなことはどうでもいい!」
 つい声をあらげたアルクマルトに、エリアスはびくりと手をとめた。
「……」
「……あ」
 われにかえってまじまじとエリアスの顔を見てしまう。だがエリアスはいつものようにやわらかく微笑んでいた。
「すまない……」
「……殿下」
 アルクマルトが怒っているわけではないとわかったのか、エリアスが用心深く湿布を巻きつけた。強く巻けないのでどうしても時間がたつとずれてきてしまうのだが、仕方ないだろう。
「そなたは悪くない。それに腫れただけでそのうち治る。……だからもう、謝るな」
「……はい」
 あの稽古のとき、強く額を殴られた形になったアルクマルトは、痛みと衝撃でしばらくその場にうずくまって動けなかった。それでいちばん真っ青になって心配したのは他でもない、エリアスだった。
 それをアルクマルトだけが知っている。神官たちは抱きあげられて運ばれてきた状態でしか知らないから、エリアスが無茶をしてアルクマルトに打撲を負わせた、という印象だっただろう。
(で……殿下! ああ、お気をたしかに……)
 ああやって焦るエリアスを見たのは何度目だろうか。それはもちろん、神殿側の人間であるエリアスにとってアルクマルトは大事な王子であるから、なにかあれば焦りもするだろう。
 だけどただ義務だけでエリアスが自分にこまやかな気づかいを見せるのだとは、思いたくなかった。
 レベトの町を出てならず者の一団に襲われたとき、エリアスが自分をそっと抱きしめたことを思いだす。
「痛むようならおっしゃってください。ずれたらまた巻きなおしますので」
「ありがとう」
 やさしいのだな——と言おうとして、言えなかった。サンジェリスの言葉を思いだし、そのやさしさの意味を考えてしまったからだ。
 その夜、アルクマルトはなかなか寝つけなかった。何もなくてもつれないが、何かあってもどうしたらいいか解らない。二人きりであることを意識して、かえって緊張してしまったのだ。

 センティアットまでの旅はおだやかでとくに問題もなく過ぎていった。宿は二人部屋になることが多かったが、泊まる組み合わせは必ずしもエリアスといっしょではなかった。
 サンジェリスがいっしょに泊まりたがったのは、アルクマルトの髪や肌の手入れをしたかったためらしい。
 湯浴みのあとこれでもかというくらい香油だの蜜蝋だのを塗りたくられた。おかげでつやつやにはなったが、翌朝の出発時に同じ宿に泊まっていた好色そうな金持ちからちょっかいを出されるハメになった。
 ゼルオスはやたらと王宮の話を聞きたがった。だが面白おかしく話すようなことは特になかった。王子の生活は学習も食事もほとんど決められた予定どおりに過ぎていくだけで、神殿での神官の日々とそう変わらないのだ。がっかりさせてしまったかもしれない。
 日がたつにつれアルクマルトの額の打ち身も治っていった。さすがに詩人になりすましての道中に稽古をするわけにもいかなかったので、おなじく身体の痣もほとんど消えていったのである。

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