放浪の王子 第7章 -1-

 翌朝ふたりは、かなり早い時間にレベトの村を発った。
 鹿毛の世話も身体がうごくようになってまめにしていたおかげか、きげんよくアルクマルトを乗せてくれた。あまりに意気揚々と歩くので、エリアスが苦笑したくらいだ。
「殿下、鹿毛が喜んでいるようですね」
「そうだな。あまり張り切りすぎてあとで疲れないか心配だが」
「本当に殿下のことが好きなようですよ」
「……昔かわいがってやったから、それを覚えていたのだろう」
「いぜんもその馬に乗っていらっしゃったのですか?」
「ああ、私が荘園から逃亡するときに乗っていた馬なんだ。……トゥトの町で見たときはまさかと思ったのだが」
 近衛兵にとりかこまれて剣をふるうなか、この馬は怖じ気もせずに走ってくれたのだった。
「荘園は借りもの、山羊や羊は地元の家畜だったが、馬だけはなにかあったときに必要だからと、王宮から五頭ほど連れてきていた。……だからこの鹿毛は騎馬として訓練されていたはず」
 戦場でつかう馬には、それなりの訓練がいる。重い武具を身につけた騎士を乗せることもだが、果敢に敵にむかっていける馬でないと意味がないのだ。
「なるほど、騎馬だからわたくしと殿下の二人を乗せてもしっかり歩いてくれたわけですね」
「おそらく。そなたと私なら、鎖帷子を着こんだ兵士よりはすこし重かったかもしれないが……」
 ふたりは町を出て西に進む。とちゅうまではこの間とおった山越えと同じ道だ。
 エリアスによると目的地であるシフェの村までは二日ほどの道のりらしい。レベトの町とシフェの村のあいだにはリジンという宿場町もあるという。
 山を迂回する旅人が多いことから、道はちょっとした街道のようになっていて、とちゅうに休憩するための小さな酒場や雑貨店などがあるらしい。
 しばらく進んだところで、鹿毛が耳をぴくぴくと動かしてなにか言いたそうに鼻をならした。
「……どうした?」
 アルクマルトが鹿毛に話しかけてなだめる。かしこい馬だからなにかを感じたのだろう。
 エリアスが来た道をふりかえり、声をあげた。
「! 複数の馬が襲歩でこちらに向かっています」
 街道をふつうに旅するなら、馬を襲歩にすることなどまずない。馬がすぐに疲れてしまうのだから長距離の移動には不向きだ。
 ならばわざわざ馬を全力で駆けさせる目的は——
「……まさか、昨日のヤツらか?」
「可能性は」
「!」
 めずらしく焦った表情で、エリアスが叫ぶ。
「殿下、馬の足をはやめて先にお行きください! つぎの町リジンかシフェの村で落ち合いましょう」
 そのまま彼は腰に帯びた長剣の柄に手をかけた。もしやひとりで彼らを止めるつもりなのか。
「待て、エリアス」
「殿下?」
「ヤツらの目的が私なら、逃げてもムダだ」
「しかし——」
「そなたがいくら腕がたっても、相手が複数ではまずい。——馬上で剣は不利だ」
「……」
 エリアスは真剣な表情でだまってしまった。アルクマルトに言われるまでもなく、条件がわるいのはわかっているのだろう。
「いざとなれば私も戦う」
「殿下……!」
 アルクマルトは鹿毛にくくりつけていた荷物から、いそいで剣を取りだした。アルダーナの至宝とされる神剣ハーラトゥールである。
 全力で駆ける馬は速い。相手はすぐ追いついてきた。ぜんぶで四頭——つまり四人いる。
 先頭にいるのは、昨日からんできた顔に傷のある赤毛の男だった。アルクマルトを追ってきたのは間違いないだろう。
 しかも厄介なことに、彼らの持っている武器は長ものばかりだ。剣でわたりあうのはかなり不利である。
 緊張で、手綱をもつ手に汗がにじんだ。
「待てよ、そこの二人!」
 赤毛の男は、叫びながら馬を常歩にもどした。ついてきた三人の男たちも彼にならう。
 アルクマルトとエリアスは馬をとめていたので、四人と向き合うかたちになる。
「昨日はよぉ、ずいぶんと恥かかせてくれたじゃねーか、ああ?」
 彼らが乗っている馬は、農耕馬ではなかった。体つきやその動きからみて、あるていどの訓練をされた馬だ。たんなるならず者ではない。おそらくは夜盗などの一派だろう。
 赤毛は鼻息もあらく叫ぶ。
「そのキレイな顔の兄ちゃん、オレらでもらいうけるぜ。死ぬほどかわいがってやってから、男娼として売り飛ばしてやらあ」
「しっかし、めったにない上玉だぜぇ。どんな顔してひぃひぃ泣くんかねえ」
 他の男がそう言うや、アルクマルトに殴られた金髪の男が後ろのほうから付け加えた。
「気が強そうだから、薬漬けにしてやってもいいしなぁ!」
 下卑た笑い声がひびいた。
 アルクマルトが何か言い返そうとしたとき、横からエリアスが怒りをはらんだ声で叫んだ。
「貴様ら、黙って聞いていれば好き勝手言いおって!」
 いつも冷静な男なのに、めずらしい反応だった。だが男たちはおもしろそうにニヤニヤとするばかりだった。
「へっ、飼い主さんよお。ちょっとは腕におぼえあるってぇ顔してんな。——オレたち相手にどこまで足掻いてくれるんだい?」
「ひゃはあ、行けえ!」
 槍をを振り回しながら、男たちはかかってきた。
 金属の打ちあう音がひびく。
 エリアスは長い武器を剣で払いながら隙をうかがっている。だがあちこちからくり出されるものを避けるのがやっとらしい。
 アルクマルトが加勢しようと剣を抜いたとき、一人が先端に重りのついた縄を投げた。
「……っ!」
 とっさに出したアルクマルトの左手に、その縄がからまる。
「で……キリーク!」
 エリアスが青ざめた顔で叫んだ。
「おっと、よそ見するとは余裕じゃねえか。てめえの相手はこっちだぜ」
 エリアスを動けないようにしてアルクマルトを生け捕る算段だったのだろう。
「さあこっち来いよぉ、キレイな兄ちゃん」
 ふりほどこうとしても、縄はしっかりと腕にからまっていた。「くっ……」
 相手はなかなか体格のいい男だ。体重差からみても腕力差からみても引っぱり返すのはむずかしいだろう。そのうちにアルクマルトはバランスをくずして馬から落ちてしまった。
「うあっ」
 そのまま地面を引きずられる。
 引き寄せる男はよだれを垂らさんばかりの勢いで、意味ありげにアルクマルトを凝視していた。
「うひょお、ホントにキレイな顔じゃねえか! その表情たまんねえ。もうオレ勃ってるよォ。さあ、おいで。かわいがってや……」
 にぶい音がした。
 縄が切断され、力まかせに引っぱっていた男はいきおいで後ろにのけぞり馬から落ちた。
「な……っ」
 エリアスを攻撃していた男たちも、いっしゅん気をとられて唖然とした。
 縄を切ったのはアルクマルトだった。その右手には抜き身の剣があった。
 よろよろと立ちあがる。さいわい落馬のときに骨が折れたりはしていないようだった。
「あの太い縄を……あんな簡単に切った……だと? 馬鹿な!」
 ならず者たちだけでなく、エリアスも驚いていた。
「なんならほかにもなにが斬れるか試してみるか?」
 アルクマルトは剣をかまえる。刃が陽の光をはじいて白く光った。
 幾人かがひるんで動きをとめる。さすがにボスらしい赤毛の男はそれでも動じず、
「ただ気が強いだけってわけでもなさそうだな。おもしれえ」
 馬上から重そうな槍をふりまわして向かってきた。
 するどい音がした。アルクマルトが避けながら剣で槍の切っ先をはじいたのだ。
「やるじゃねえか」
 男はいったん馬をもどし、ふたたび構えた。
「おい、てめえらも怖じけてんじゃねえ!」
 傷の男はふり返らずに部下を叱咤する。隙を見せられない相手だということはわかったようだ。
 エリアスが一人の槍をはらい、馬に切りつけた。傷は浅いが、馬はいなないて後方へとさがろうとする。
「ちっ」
 べつの男がまた槍をくりだしてきた。エリアスが払いのけるすきにべつの男がまた槍を突きだす。盾ももたないまま同時に攻められては防ぎきれない。
「!」
 アルクマルトがすばやく踏み込み、その槍の柄のほうに切りつけた。切り落とされた槍のはんぶんが地面におちてにぶい音をたてる。
 さらにその返す刃で男の腕に切りつけた。
「ぐわあっ!」
 血がしたたる。そう深い傷ではないが、武器をふりまわすのはつらくなるだろう。
「ちっ!」
 男たちはあわてだした。ふたりの剣の腕がこれほどとは思わなかったのだろう。簡単に生け捕れるとふんでいたらしい。
「お頭あ……」
「……しかたねえ。これいじょうケガ人出すわけにもいかねえ。引き上げるぞ!」
 部下たちはいっせいに馬をひるがえしレベトのほうへ向かって逃げ出した。落馬した男もあわてて馬にのり後を追う。
「てめえら、今度会ったら容赦しねえぞ!」
 赤毛の男もツバとともに捨て台詞を吐きすて、いまいましそうにふたりを睨みつけてから去っていった。

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