放浪の王子 第7章 -4-

 秘術が切れるまでに砦での兵士による検問を終えねばならない。ふたりは馬の足をこころもち速めた。
 ベナスの砦は、アルダーナ王国とここフィオリ公国、それにアルダーナの西隣のラスデラ王国の三つの国の境目にある砦であった。
 今からここをアルダーナ側へ抜けようとするなら、まず手前のフィオリ公国の出国検問所を通過し、その後でアルダーナの入国検問所を通らねばならない。アルダーナとフィオリをへだてるアスル山や、アルダーナとラスデラのあいだにあるウブン高地を避けて迂回してくる旅人が多いため、自然と大きな施設になっていた。
 とくにアルダーナが築いた検問所がかなり大がかりなもので、国境警備隊の駐屯地も兼ねていることから、ベナスの砦と呼ばれている。
「ここがベナス……」
 アルクマルトが感心したようにきょろきょろと周囲を見回した。アスル山を西にぐるりと回ってちょうど平地があらわれたところである。人の往来は地形によっても変わってくるというが、山越えをしようとした時にくらべると、なんと行き交う人々の多いことか。
 どこか居心地のわるそうな感じで、エリアスが話しかけてくる。
「そろそろ馬をおりましょう」
 いつものように手綱をひいて歩いて検問をうける。フィオリ側の兵士たちは真面目だったがさほど厳しいことは言わずに、もくもくと作業的に検問をこなしていた。
 そして各国の検問所の間にある広場のようになった場所を抜け、アルダーナに向かう。
 懐かしい故国だが、アルクマルトは歓迎されてはいない。こうやって姿を変えて入国せねばならないのは悲しくもくやしくもあった。
 手形や荷物をあらためられたが、やはり誰も神剣に手をふれようとはしない。
「えーと、詩人ね。名前はキリークと。荷物は竪琴と衣類、食料が少し……」
 検査係の兵士がそう声に出すと、うしろで内容を書類に書きつけている者がいる。
「髪は金髪と。次は……おい、目を見せな」
 若い兵士はアルクマルトの目をじっとのぞきこんだ。
「ふーん、碧ね。耳飾りはなし。よし通っていいぞ」
 やはり色を見ている。たしかに髪の色は多少なら植物からとった染め粉で変えることができるし、場合によっては白髪になっていることだってあり得るからだろう。
「いちいちかったるいなあ……。青い目の若い男ってけっこういるもんなあ」
「しかたないだろ。王都からのおふれだからな」
 王家としても詳しい理由とそれが誰かは明かしていないのだろう。ただ兵士たちは言われたとおりに、特徴だけを調べているのだ。
 遅れて検問を受けていたエリアスと合流すると、ふたりは馬にまたがった。
「お待たせしました」
「いや。ずいぶん長くかかっていたようだが、どうした?」
「ちょっと……昔おなじ国境警備兵だった者を見かけたので、そこを避けていたら混んでいるほうの行列に流されてしまいました」
「そうか、ここは国境警備兵の駐屯地も兼ねているからな」
「ええ、検問所を通らずに国境を越えるものや、夜盗なんかも多いですから。……わたくしもパウラス殿に秘術をかけてもらえば良かったかなと」
 丸顔の明るい表情を思いだしながら、アルクマルトはまじまじとエリアスを見た。
「そうだな。そなたも金髪碧眼にしてもらえば……面白かったかも」
「——ご冗談を。そんなものが似合うわけがございませんでしょう」
「それはやってみないと解らないな」
「……」
 エリアスは嫌がっているようだが、顔立ちも悪くないし金髪がにあわないわけではないとアルクマルトは思う。もちろんおたがいに見慣れた姿のほうがいいのは確かだが。
 街道をそのまま進んでいくと、多かった人の往来も一時間も経てばまばらになっていた。ベナスの砦はアルダーナの南の端にあるが、商人や旅人たちはそこから各地へと散らばっていくのだろう。
 王都を目指すものは多いだろうが、ふたりが行こうとしているバルームの町はその道筋からすこしはずれていた。
「そろそろバルームですが——」
 そう言ってふりかえったエリアスが、アルクマルトをじっと見てすこし微笑んだ。
「もとのお姿にお戻りですね」
「? いつの間に——」
 まったく気づかないうちに元通りになっているらしかった。
「殿下はそのお姿がいちばん良いです。あ、バルームが見えてきました」
 バルームは片田舎の町といった風情で、もちろん城門もないのどかなところだった。神殿はそのまちの奥にひっそりと建っていた。
 ふたりが馬で近づいていくと、神殿の入り口にたたずんでいる人物が目に入った。
 初老の男性である。帽子のしたに引きずるほどの長い布をかぶった神官独特の恰好をしているので、彼がパウラスの言っていた神官なのだろう。
「お待ちしておりました。」
 馬をおりた二人に、神官はかるく会釈をした。別の若い神官があらわれて、手綱を受けとり馬をつれていった。
「お入りくださいませ」
 明るい灰色を基調にした古風な建物である。両開きの扉がひらき、アルクマルトとエリアスは中に入った。
 扉の内側はちょっとした広間になっており、椅子と長卓がおかれていた。
 扉が閉じてから、その初老の神官はアルクマルトの前に膝をつき貴人への敬意をあらわす姿勢をとった。
「表では人目がありますゆえ、ご無礼申しわけございません。アルクマルト殿下、ようアルダーナへお戻りになられました」
「——なにゆえ、私が来ることを知って?」
 入り口の前に立っていたのは、アルクマルトを待っていたからだろう。だが今日このタイミングでここへ来ることがわかっていたことが不思議だった。
 ミルラウスはしわのある顔にちょっと困ったような表情をうかべた。
「これは王家のかたにも秘密とさせていただいておりましたが、秘術による特別な連絡方法がございましてな——おお、どうぞお掛けください。エリアス、そなたもな」
 椅子をすすめられてアルクマルトはこしかけた。遅れてエリアスも遠慮がちに、そして神官もつづく。
「わたくしは上級神官ミルラウスと申します。この神殿の司にございます」
「ミルラウス殿、お気づかい感謝する」
 アルクマルトが礼をのべると、神官ミルラウスは恐縮した体で手をふった。
「とんでもございません、殿下。あなた様をこの神殿にお迎えできて光栄でございます」
 別の若い神官が淹れたての茶を持ってきた。茶器からたちのぼる芳香は、なつかしいアルダーナ名産の茶の香りだった。
「この茶は……ベーウェンのものだな」
「さようでございます」
「なつかしいな……」
「王宮ではベーウェンの茶や葡萄酒をお召しでしたかな?」
「あれは兄上が——」
 言いかけて、アルクマルトは言葉に詰まった。ローディオスが好んで飲んでいたために、茶と葡萄酒はいつもベーウェン産のものだった。それを思いだせば、どうしても王宮での出来事もおなじようによみがえってくる。
 めいめいが茶に口をつけたころあいで、ミルラウスが話しはじめた。
「ところで殿下、むさくるしいところで申しわけございませんが、あと数日この神殿にご滞在ねがえますでしょうか?」
「それはかまわないが——なにゆえに?」
「神官長がここバルームへ向かっております。ただ王都からここまで、すぐにというわけにもまいりませんので」
「神官長が?」
 アルクマルトは自分から王都に出向いて神官長に会うつもりだったので、向こうから会いにくると聞いておどろいた。
「はい。われわれエルフィード神殿も、王宮からの監視が厳しいのでございます。そんななかで殿下を王都の神殿へお連れするのは難しいでしょう」
「監視? それは私を逃がすのに手を貸したから……か?」
 神殿にあるはずの神剣を持ち出してアルクマルトに持たせた。その罪を問われてのことだろうか。
 ミルラウスは茶の残った茶器をじっと見つめ、重い口調で語りはじめた。
「そのとおりにございます。——殿下は神官長をご存じでしょうか?」
 アルクマルトは白髪で高齢の神官長を思いだしていた。
「トリティアス殿?」
「はい。彼も殿下が逃亡されてから、幇助の罪で更迭されまして……。神官長も代替わりしております」
「そう……だったのか」
 重い沈黙がおりた。
 逃がしたと言っても、神殿がちょくせつかかわった証拠はおそらくない。だが安置してあった神剣がアルクマルトの手に渡ったことじたいが、神殿側の責任とされたのだろう。
「ミルラウス殿、女官長のシエレが——彼女がどうなったかご存じか?」
 自分たちのことはかまうなと、そう言って神剣を手渡したのは女官長シエレだった。彼女はかつてはアルクマルトの母セイライン王妃づきの女官であり、アルクマルトが小さいときは後宮でずっと世話をしてくれていた。
 ふだんはアルクマルトのまわりに侍従しか置かなかったローディオスが女官長シエレをつけたのは、アルクマルトの体調が思わしくなくなってからだった。一日なにもせずただ寝台に横になっているアルクマルトをなんとか元気づけようと、彼女はさまざまに手を尽くしてくれた。
 ミルラウスの口調は重かった。
「シエレは——罪人として牢に入れられております」
「——!」
「なんでも、陛下は捕らえた彼女をすぐにも手打ちになさろうというほどのお怒りようだったとか。ですが、思いとどまられた」
「そうか——」
 自分に都合のいい答えを期待したわけではないが、それでもやはり胸が痛む。すぐにも斬り殺されなくて良かったと思うべきだろうか。
「——すべてはわれわれが独断で成したことゆえ、殿下が気に病まれることはございません」
「しかし」
 そこでミルラウスは、アルクマルトのほうへ向きなおった。そして頭をさげた。
「われわれは神剣に選ばれたあなた様こそが王であるべきと、そう考えております。そのために、力を尽くしたまで」
「——」
 アルクマルトはなにも言えなかった。王になりたいと思っているわけではない。そもそも自分に、王になる資格があるのかどうかすらわからないのだ。
 ただシエレが神剣を託してくれたように、その重みは忘れてはならないと思う。
「神官長をお待ちください。どうか彼とお話しください——」
「もとよりそのつもりだ、ミルラウス殿。どうするかは、神官長に会って決めると——そのつもりでここまで来た」
「承知いたしました。申しわけございません、ついつい話しすぎてしまいました。部屋を用意させておりますので、神官長が到着するまでは気兼ねなくすごしていただきとうございます。——ただし町の中は人目がございますゆえ、この神殿の中だけにしていただきます」
「わかった。ミルラウス殿、ここでは詩を唄ってもかまわないだろうか?」
「おお、詩でしたら歓迎いたしますぞ。殿下のお声がまた聴けるとは……光栄でございます。みな喜ぶでしょう。ささ、お部屋はこちらです」
 そのままミルラウスみずからアルクマルトを神殿の奥へと案内していく。神殿は地味ながらも広くいくつかの棟にわかれていた。
 着いた場所はあきらかに客間、それも上流の者を迎えるための部屋だった。王宮ほど豪華ではないにしても、ずっと長いあいだ粗末な宿の部屋でしかすごしていないアルクマルトには、やや緊張するほどだった。
「あ、エリアス?」
 案内されているのが自分だけなのに気づいて、アルクマルトはきょろきょろとあたりを見た。
「エリアスは神官たちとおなじ棟で寝起きしてもらいます」
「——そうか」
 神官たちにとってはアルクマルトは王子、エリアスは元近衛兵にすぎないのだ。扱いも違ってくるのだろう。
 ずっとおなじ部屋で寝起きすることがあたりまえになっていたので、きゅうに寂しいような気持ちになる。
「この部屋のなかのものは自由にお使いください。ご用がありましたら、こちらの鈴を鳴らしていただきます」
「……」
 ずいぶんと堅苦しく思えて、アルクマルトはここまでくる旅を思いだしていた。ゆたかでない食事もせまくて固い寝台も、慣れてしまえばどうということもない。
「お食事はお部屋まで運ばせますが——」
「いや、そこまでしてもらわなくていい」
「殿下?」
「食堂でみなとおなじ食事を出してもらえれば」
「そ、そんな。殿下にそれではあまりにも——」
 ミルラウスはあわてたようだが、アルクマルトはここでひとり食事するなど想像しただけでぞっとしたのだ。
「私もながく放浪していた身だから、ぜいたくは言わないつもりだ」
「はあ——」
 神官たちがふだん食べているものと同じであれば、そう悪いものではないだろう。
「すまない、ミルラウス殿。せっかくのお心づかいは感謝する。だが、私のことはあまり特別あつかいしないでほしい」
「そうですか、承知いたしました。ですが——もしなにかご不自由がありましたら、おっしゃってください。できる限りのことはさせていただくつもりですので」
「わかった。——ありがとう」
 やや戸惑ったふうのミルラウスが出ていく。きっとアルクマルトを迎えることでせいいっぱいに気をつかってくれたのだろう。だが一日だけならともかく、何日か過ごすのなら窮屈なことは避けたかった。
 広い部屋にひとりぼっちになってしまった。
 馬につけてあった荷物は部屋にきちんと置かれていた。寝台のよこにある小卓には、着替えも用意されていた。
 手持ちぶさたなので、ひさしぶりの大きな寝台に横になってみた。めったにない賓客のための部屋なのだろう。やわからかな寝具はたしかに心地よかった。
 だが自分だけがここに眠るのはどこか落ちつかない。
(殿下、お疲れですか? 足が痛みますか?)
 いつもだったら宿に着いて部屋に入ると、エリアスのそんな声が聞こえてくるはずなのだ。
 エリアスだって疲れているだろうに、それを顔にも出さずにいつも気をつかってくれる。
 自分はあの笑顔がないと寂しいのだと、ぼんやりとアルクマルトは自覚した。

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