放浪の王子 第6章 -3-

 宿の廊下ですれちがう人にちろちろと顔を見られた。湯浴みしたばかりだし汚れてもいないのにと、思わず自分のほほに手をあててしまう。寝込んで多少は痩せたかもしれないが、どこか変な顔になっているのだろうか?
 外に出れば町はもうすぐ夕暮れであった。秋の終わりの空気は冷たく、アルクマルトはすぐに持ってきた厚手のマントを羽織った。
 宿は大通りに面していて人の往来も多い。家路をいそぐのか、はたまた酒場へ気晴らしに行くのか、いろいろな人々が行き交っていた。
 アルクマルトは静かなところはないかと思いめぐらせ、すこし町の奥に小さな川が流れていたのを思いだし、そちらに向かって歩きだした。
 まるで自分はケンカして部屋を飛び出してきたようだと思った。じっさいに居づらくて出てきてしまったのだから、似たようなものなのだろう。
 エリアスをねぎらってやりたいのだが、どうすればいいのかわからなかった。兵士として護衛の意味でともに旅をしているはずの彼が、どちらかというと侍従のようにあれこれ世話してくれるのもありがたいものだった。それを自分は王子だからそれくらい当然だ、と思える性格ではなかった。加えていまの自分は確たる地位もなにもない、ただの元王子でしかない。
 ずっと見ているかぎり、エリアスは二人で旅をはじめてからは、水代わりに飲むような軽い酒しか口にしなかった。酔ってしまってはいざという時にアルクマルトを守れないからだという。
 酒ですらそうなのだから、独りどこかで遊んで来いといってもまず断られるに違いない。
(つねに張り詰めていては、切れてしまわないか……?)
 竪琴の弦を思い出していた。使わないときは適度にゆるめておかないと、弦は伸びたり切れたりしてしまうのだ。人の心もまた同じようなところがある。
 それにエリアスに頼りっぱなしの状況が心苦しくもある。せめて彼が羽を伸ばしているあいだくらいは自分で自分を守れるくらいの心構えはないと、本当になにかあったときに彼に負担を強いてしまう。
 しばらく歩いたところに、川が見えた。そこそこ大きな流れで、川岸には枯れかけた背の高い草が残っていた。
(すこし……寒いか)
 草も風になびいている。秋の風は冷たい。しかも日も暮れようという頃だからよけいだった。
 あらためてマントをしっかり羽織りなおし、草をかきわけながらぼんやり歩いていると、背後からふいに声をかけられた。
「なあ、あんた」
「はい?」
 ふりかえると、あまり人相のよくない男がふたり立っていた。ひとりは顔に大きな傷があり鮮やかな赤毛をしている。もうひとりはニヤニヤした表情の金髪の男だ。どちらもふつうの町人にしては筋肉質でたくましい体型だった。
「おお、こりゃあ……ウワサどおりキレイな顔してるじゃねーか」
「金の楓亭に男娼を連れ込んだ客がいるって話、ホントだったのかよ」
 赤毛の男は、無遠慮にアルクマルトのあごに手をかけ、顔をじろじろと舐めるように見た。
「……やめてください」
 アルクマルトはその手をふりはらった。だが男たちは悪びれない。
「なあ——オレらにもヤらせてくれよ」
「この何日か、宿でずーっとかわいがってもらってたんだろ?」
 どうやらエリアスがアルクマルトを連れて金の楓亭に泊まっていることが町中で噂になっているらしかった。それにしても、どこでどうしてこういう噂が広まるのだろうか。
「私は男娼ではありません。流れの詩人です」
「——へーえ、じゃあイイ声出せるんだ?」
「なにを……つっ」
 もうひとりの金髪の男が、ふいにアルクマルトの腕をとって引き寄せた。アルクマルトはよろけてその男に抱きすくめられる。
「……離せ……っ」
「いい子だから、静かにしてな」
 背中にしっかりとまわされた腕が、逃れようとしても許さない。あいたほうの手が背中や腰をなでまわし、やがて下半身に忍びよってきた。布越しでもその手はすぐにアルクマルトのものを探りあてる。
「やめ……うっ」
 乱暴なその動きは、快感ではなく苦痛のもとだった。だが男は勘違いしたのかよけいにその手に力を入れてくる。
(なんてさわりかたを……こいつ)
 アルクマルトはだんだん腹がたってきた。得意げにさわってくる男ほど始末に負えないのだ。酒場ではいつも相手が客だから遠慮してじっと耐えていたが、いまの自分なら反撃しても差しつかえないだろう。
 この男はアルクマルトを強く抱き込んではいるが、じつはあちこち隙だらけだ。体格から見ても武芸の心得はあるのだろうが、おそらくはただの男娼とあまく見ているからだろう。
 アルクマルトは自分の股間をまさぐるその手を引っぱると、もう一方の手で下から男のあごを肘で突き上げた。
「ぐわあっ」
 金髪の男はあごをおさえて後じさった。かなりいい音がしたからそうとう痛かっただろう。
「なにしやがる!」
 身構えるよりさきに、向こう傷の赤毛の男がアルクマルトの黒髪を後ろから引っぱった。
「——!」
 均衡をくずされてよろけた隙に、後ろ向きのまま左腕をねじりあげられた。
「生意気なことしやがって! 腕を折ってやる」
「つっ……」
 そのまま赤毛がアルクマルトの腕にさらに力をかけようとした時、べつの男の声が割ってはいった。
「待て!」
「うるせえ! 邪魔すんな!」
「その手を離せ。さもなくば……斬る」
「!」
 アルクマルトはハッとした。声の主はエリアスだった。
 あごを殴られた金髪と向こう傷の赤毛は、それで動きを止めた。、エリアスは抜き身の長剣を手に持っている。その構えかたを見れば、剣を扱いなれた者であることはわかるだろう。
「……てめえ、この男娼の飼い主かよ?」
 金髪のほうは怖じけたように後じさったが、赤毛はあまり動じてはいないようだった。
「男娼?」
 エリアスはするどい目で男をにらみつけた。
「この男は詩人だ。——ラスデラ国の大臣であるディビアス様に献上するためにわたしが連れてきた。手を出すというなら、わたしが相手する」
 鋭い切っ先が男たちに向けられている。武器を持つ者と持たざる者の力の差は大きい。
 それだけでなく、ようすがおかしいのを察した町の人間が川原に集まってきた。
「ちっ、仕方ねえ。……おい、行くぜ」
 赤毛の男は金髪を引っぱるようにして、その場を離れた。これいじょう大きなさわぎになってもまずいと判断してのことだろう。
 投げ捨てるように突き放されたアルクマルトを、エリアスがあいた腕で抱きとめた。
「……」
 体勢を立て直すと、アルクマルトはねじり上げられた腕をさすりながら、エリアスから離れた。エリアスはそっと剣を鞘におさめているが、その表情は険しかった。
 なにを言うか迷っているうちに、アルクマルトはいきなり抱きあげられた。
「……わっ」
 アルクマルトもけっして小柄なほうではない。それを軽々と持ちあげてしまう力強さにはいつも驚かされる。
「病み上がりなのだから、勝手にそとへ出るなと言っただろう? ラスデラに着くまでにのどを痛めたら唄えなくなる」
 やや大きな声でエリアスが言った。おそらく周囲の野次馬たちに聞かせるためにだろう。
「……はい、申しわけありません」
 アルクマルトは事情を察して、おとなしく献上される詩人になった。また町の噂になるかもしれないが、もう明日には出ていくのだから気にする必要もないだろう。

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