放浪の王子 第2章 -1-

 アルダーナ王国は、ガストー大陸のやや中西部に位置する、比較的温暖な国である。
 この地域では長い間これといった戦乱がなかったため、どの国もそれなりに豊かで、ひとびとは穏やかに暮らしていた。
 とくにアルダーナは北側を海に面し、大陸を行き交うおおきな街道が集まっているという立地ゆえに、交易を中心とした商業が栄えていた。
 その王都ラグートには諸国からさまざまな物資が集まっており、買えないものはないとうたわれるほどの賑わいであった。
 貴族や商家の屋敷が建ちならび、あらゆる髪や目や肌の色のひとびとが行き交う華やかな都。その王都の最奥、堀にかこまれた小高い丘の上に王宮はあった。
 古くからある王宮は決して華美なつくりではなかったが、威風堂々と街並みを見下ろし、アルダーナの王の威力を誇示していた。
 四年前、その王宮で血なまぐさい事件が起こった。
 しばらく病に伏していた国王ムートが、齢四十にして夭逝した。あとを継いで即位したのは、妾腹ながら第一王子で王太子のローディオスだったのだが、なんとそのローディオスは先王崩御のあと、自分の腹違いの弟たちをつぎつぎと暗殺あるいは幽閉していったのである。
 自分の王位をおびやかす者を排しようとしての暴挙なのだろうか。この事件から、王都に住む者はローディオスを陰で狂王と呼ぶようになった。
 王となったローディオスの統治下では国政も経済も安定し、それまでと変わらぬ豊かな暮らしに国民から不満は出なかった。国王としての素質は優れていたといっていいだろう。だからこそその裏にある兄弟殺しの狂気は民を恐れさせた。
 その事件の真相と全容を民は知らない。王宮に仕える者には厳しい箝口令が布かれ、兄弟を殺した狂王の容赦ない罰を恐れた彼らは一切の口を閉ざしていたからだ。

 王ムートの遺言は、愛妾五人と六男五女を全員集めて、宰相ならびに諸侯数名とエルフィード神殿の神官長の立ち会いのもとで発表された。
 遺言を読み上げる侍従が途中でなんどもそれを見返したことでもわかるとおり、そこには「第四王子アルクマルトを世継ぎとする」という、皆が思ってもみなかった王の言葉と署名が書かれていた。
 アルクマルト王子は十年前に亡くなった王妃が生んだただ一人の子供である。
 ただし典範では、王位継承権は生まれた順番とその素質を考慮することになっており、母親が王妃かどうかで王太子が選ばれるわけではなかった。
 それゆえに王太子にはすでに第一王子であり文武にすぐれた王子ローディオスが選ばれていた。なぜいまさらアルクマルト王子なのか、宰相ソルダスも頭を抱えねばならなかった。
 王の遺言を優先するか、典範にのっとって決められた王太子をそのまま即位させるか。
 諸侯と重臣たち、それにエルフィード神殿の神官長が加わって、協議は何日にもわたって紛糾した。
 王がなぜアルクマルト王子を世継ぎに望んだのか、いちばんの問題がそこであった。
 アルダーナ国には、王子が十四歳になったら受ける成人の儀式がある。
 天空神ザイデスを祀るエルフィード神殿は国内各地に点在するが、その中心となるのが王都ラグートの神殿である。
 王子の成人の儀式とは、王都の神殿に安置されている王家の至宝である神剣ハーラトゥールを抜き、天空神をあらわす神座に向かって掲げ、また鞘に戻すというものだ。地味な儀式なので王と当の王子、神官長を含め少数の者が立ちあって行われるものだった。
 この剣は言い伝えによれば初代アルダーナ王が天空神ザイデスより賜った両刃の剣で、刃は人のつくりし鋼にあらずしてこぼれることを知らないという。
 また、その持ち主を危険より護る力をもっているといわれ、手にしたものは国王となるさだめだという。そのため王子の成人の儀式に取り入れられたのだ。
 だがその伝えが正しいかどうかは、誰も知らなかった。
 剣は数多くの人間が試し切りをこころみたのだが、刃はあるにもかかわらず、紙一枚切れなかった。そのため長いあいだ、神剣はただの象徴にすぎないと思われていた。アルクマルト王子が儀式にのぞむまでは。
 アルクマルトが儀式で神剣を鞘から抜いたとき、その刃は青白い光につつまれた。
 驚いた王ムートは、干した麦の束を持ってこさせ、剣の切れ味を試させた。ムート自身もかつてその儀式にのぞんだことがあるが、神剣が物を切れないのはもちろん承知していた。
 アルクマルトが剣をふるってその干した麦の束を抵抗すら感じさせないほどやすやすと切った時、王も神官長も宰相もみな驚いて目を見張ったのである。
 言い伝えのとおりならば、アルクマルト王子が神剣の主人だということだった。
 この剣の前の主人は、これも言い伝えだが二百年ほど前の王ハダラーだという。ハダラーはいくつかの隣国を併合して今のアルダーナの基礎を作った王であり、歴史を学んだ者ならその名はよく知っている。
 ムートがその儀式を経てアルクマルトを世継ぎにとのぞんだ経緯は宰相には理解できたが、諸侯や諸臣はそれを納得しなかった。
 彼らはすでに王太子ローディオスにおもねっており、自分たちの地位の安泰をはかっていたからである。
 特に先王ムートの王弟であるセダス公や財務大臣ゾイの一派は強硬に反対した。典範をたてにとり、すでに立太子されたローディオスが王になるべきだと主張して譲らなかった。
 そんな中、王の葬儀が済むやいなや行動に出たのがローディオス本人だった。
 彼は自分を擁立する重臣たちを味方につけ、反対派を懐柔し、王宮内の地位を確固たるものにしていったのだ。
 王子といっても独りでは王になれない。従う部下がいてはじめて王として主君として崇められるのである。そういう意味ではローディオスは賢かった。むろん誰かの入れ知恵もあっただろう。
 他の王子たちにはローディオスほどの胆力も知力もそして後ろ盾もなかった。

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