出会い篇 その1

 都心の一角、駅前にはいくつものシティホテルが立ちならんでいた。その中のとあるホテルの宴会場で、とあるパーティが開催されていた。
 百名ほどは入れそうな広い宴会場は、調度などの雰囲気もそれなりに洗練されており、そのホテルの格を感じさせる場所だった。
 宴会場の入り口には、『盆栽小宇宙愛好の会 御一行様』と書かれたプレートが置かれていた。

 ひとりの青年が、時間に遅れて会場にあらわれた。
 切れ長ですずしげな目元の、人目をひく整った外見の青年である。
 すこし長めの髪を後ろでかるく束ねている。鮮やかなブルーのシャツは地味なデザインだったが、かえってその顔立ちを際立たせていた。
 受付で名前を書いて中に入ると、会場内はすでにあちらこちらで楽しそうな談笑がはじまっていた。
 参加者は老若さまざま、服装も特にコードもないらしく、知らない人間が見てもなんの集まりなのか首をかしげそうな雰囲気だった。
 青年があたりを見渡していると、大きな声で呼びかける者がいた。
「おーい、浅野晃(あきら)くん! 元気しとったかねー?」
 彼が驚いてふりかえると、初老の男性が手をふりながら近づいてきた。
「わっはっは。ワシじゃワシ」
 容姿は優雅なイギリス紳士のようなのだが、身につけているのは紺の作務衣に下駄だった。しかも話し言葉がこうくれば、なんともチグハグな印象をうける人物である。
「おひさしぶりです」
 青年はやや困惑したような表情であいさつをした。
「おいおい、なんて顔しとるかね。ワシに会えて嬉しくはないんかね?」
 下駄の音もたからかに歩み寄ってきた初老の男に、彼は、
「長老」
 と呼びかけた。
「おう」
「なんですか、今年の例会をこんなホテルでひらいたりして……」
「まあ待て。まずは乾杯じゃ、乾杯」
 ふたりはテーブルに置かれた銀の盆からビールのグラスを手に取り、乾杯した。
 コンパニオンがついているわけではなく、ときどき料理や飲物を交換にくるホテルマンがいるだけの立食形式ではあったが、そのホテルの場所などを考えても、それなりにお金がかかっているパーティのようだ。
「プハアーッ、美味いのう。やっぱり暑くなってくるとビールが一番!」
 注がれて時間が経ったグラスビールは泡も消えていたが、外が暑かっただけに、青年も一気に飲みほした。
「料理も美味いぞ。はよ食わんと好きなもん無くなるかもしれん」
 長老と呼ばれた男は、そう言いながら並べられた料理を皿に取り分けて彼に手渡した。親切で人のよさそうなところは見た目のままである。
 渡された皿からクラッカー類を指でつまんで口に放り込みながら、青年は目の前の男をじっと見た。
「長老」
「ん? なんじゃ?」
「今年の例会の幹事は、長老でしたよね?」
「そうじゃ。……なにか不満かな?」
「いえ、不満というわけではないのですが」
「じゃあ、なにかね?」
 青年はそっと周囲を見渡し、
「こんな大きなホテルでやると……目立ちませんか?」
 そう言った。
 二人が会話しているあいだも、通りすがりの男女が何人も挨拶をしてきた。この長老と呼ばれる作務衣の紳士は、皆から敬意を示される対象らしかった。
 その長老はスモークサーモンのマリネを箸で器用にまるめて口に放り込むと、新しいビールのグラスを手にとった。
「目立つ……? そりゃ会場が大きくても小さくても、我々が一同に会すれば、わかるものには解るものよ。ならば派手にいくのがワシ流でな」
「はあ」
「我らが盆栽愛好家の集まりでないと――名前などは体裁にすぎんから、どうでもいい――バレたところで、ちゃんと金は払っとるから文句もなかろう」
「それはまあ、そうですが」
 青年のあいまいな表情を見て、長老はニヤリと笑った。
「それとも本当の名前で会合をひらくか?」
「……」
「魔導師による魔法結社『EX NIHILO(エクスニヒロ)』ご一行様、とな」
「……」
「隠したところで同業者にはわかるし、真実を語っても同業者以外にはわかるまい。われわれ魔導師の立ち位置は、そういうものじゃろう?」
 そこで青年も黙ってビールをあおった。
 会場内でなごやかに談笑する老若さまざまな人々は、一見すると単なる趣味人の集いだと言われてもまったく違和感はなかった。見た目はごく普通の人々である。
 だが実際には違うのだ。
「ま、仮名で堂々と会合をひらくのが、いちばん無難だと思うぞ? いままでもそれでなんとなかっとる」
「はい……」
「予算が気になるかもしれんが、去年のぶんがかなり余っとったんでな。心配せんでええぞ」
 長老がそう言ってグラスをかたむけると、二杯目も空になった。
「長老、ちょっと飲み過ぎでは?」
 ピッチの速さを青年がたしなめると、
「なに、宴会が久しぶりで舞いあがっとるんじゃ」
 そう言って長老である老紳士は、さらにグラスを手に取った。
「去年の会合は、カタブツの秋山が幹事だったせいか、面白みに欠けておったのう。親睦を深めるのに飲み食いは大事だと言うのに、宴会というよりは会議になってしまって」
「……いつから年一回の結社の例会は、宴会になったんですか?」
「カタいこと言うな。日を決めてひらく会合で、あらためて話し合うことなぞ、我らの世界ではそうあるまい。となると、交流と情報交換がメインなんじゃから、和気あいあいとやるのが一番ええんじゃ」
「はあ……まあ」
 どちらかというと、青年はやや気圧されぎみだった。
「おお、そうじゃ!」
 老紳士は急にグラスをテーブルに戻し、青年のほうに向き直った。
「秋山で思いだしたわ。秋山の……ヤツの弟子がおったんじゃが」
「秋山さんの弟子って、たしか甥御さんですよね?」
「知っとるか」
「有名ですからね。……かなり優秀と聞いています」
「ふむ。噂になるだけのことはあるぞ」
「……」
「それで秋山はその甥っ子をな、いよいよ一人前の魔道師としてデビューさせるんじゃ。今日ここにも連れてきとる」
 そこで長老は声をひそめた。
「その甥っ子の実力は上級魔道師レベル。……場合によっては七賢者の候補にもなるほどの使い手よ」
「なん……ですって!」
 青年は思わずグラスを落としそうになった。
「甥御さんって年は……? 確かまだ高校生と聞いてますよ?」
「そう、今年で十七だとか。その歳で上級魔道師は前代未聞じゃのう。浅野くん、おまえさんが上級魔道師になったのも二十二と若くて話題になったが、あの子はその上をいったわい」
「驚いた……。優秀って聞きましたがそれほどとは……。ひとりだちしてすぐ賢者候補だなんて」
 浅野という青年も、空になったグラスをテーブルにもどした。その表情は少なからず動揺しているようだった。
 長老は伸びていない髭を撫でるように、顎をしきりに手でこすっている。
「あくまで順調にいけば、だな。結社としては、まだ上級魔導師としての認定もしておらんよ」
「……」
「素質は十分すぎるほどある。それはワシも認める。……だが魔導師は素質だけが優れていても意味がないからな。これからいろいろ見ていかねばならん」
「いやはや……それはとんだ新人だ」
 青年はすなおに驚いていた。
 そこに、爽やかな女性の声が割って入った。
「あら、晃くん。久しぶりね、元気してた? 相変わらず男前ねえ」
 振り返ると美女が立っていた。
 シャギーのロングヘアに明るいブラウンのスーツを身にまとっている。いかにも大人の女性といった外見とは対照的に、さらりと男勝りな口調が嫌味を感じさせないタイプだった。
「綾花ねえさん」
 手に持ったワイングラスをゆらゆらと揺らしながら、美女はにっこりと笑った。
「今は何人くらいとつきあってんの?」
「今はフリーですよ」
「あら、めずらしいじゃない。モテすぎて疲れちゃったの? 羨ましい話ね」
「ねえさんこそ、今週は何回デートしたんです? 毎日会ってくれって男に泣きつかれてたりして」
「ふふ。あいにくちょっと追いかけさせるくらいの男のほうが好みだから」
 お互いにそういう話題は挨拶がわりなのか、ふたりは明るく笑いあうとグラスを軽くあわせて乾杯した。
「晃くん、しばらく会ってなかったもんね。デートする相手がいないのなら、たまには飲みに行こうよ」
「いいですね」
 ワイングラスを持つ姿もさまになっている綾花は、そのまま会話に加わった。
「水井くんは酒に強いからのう。浅野くん、気をつけんと酔い潰されるぞ」
「そのあたりは良い勝負ですよ」
「ワシももうちょっと若ければ負けんのじゃがな」
 一同は昔からの知り合いのように明るく笑いあった。
「長老、今かわいいルーキーの話してたでしょ?」
「……かわいい?」
 晃と呼ばれたその青年は、訝しげに反応した。
 綾花は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「かわいいわよ。ほら、あそこ。秋山オヤジの隣りにいる子」
 指さされたほうを見ると、まずがっしりした体格の男性が目に入った。それが秋山という男である。
 その隣りには華奢な体つきの少年が立っていた。
 長めの前髪が柔らかくウェーブしており、睫毛の長い目元にかかっている。肌の色も白めで、髪も目も全体に明るい印象だった。背は平均より高いのだろうが、痩せた肩や腰のせいか小柄に見えた。
 それがさきほど話題にのぼった優秀な魔道師だというのだ。
「ね、ビックリでしょ」
 と、綾花がひっそりと言った。
「その年で賢者(マギ)という言葉すら出るほどの腕前なんて、どんな子かと思えば、カワイイんだもん」
「……」
「秋山のオヤジとは似てなくて良かったわ」
 晃はその少年をまじまじと見てしまった。
 確かに言われたとおり目を引く顔立ちではあるのだが、それよりも大人しそうな印象が強かった。
「相変わらず、イイ男には目がないようじゃのう、水井くんは」
 長老が面白そうに口をはさんだ。
「あら、長老。綺麗なものには目が行くでしょ。男だって美人には見とれるじゃない」
「はっはっはっ、そらそうじゃ」
 冗談を言い合い明るく笑う二人のかたわらで、晃はなぜかその少年から目が離せなかった。
 慣れない場所で気後れしているような様子は、弱冠十七歳にして一流の魔法を身につけた魔道師と言われて思い浮かぶイメージとはかけ離れていた。
 魔道師の修行は厳しい。それなりに肝が据わっていて気が強くなければこなせないものなのだ。
「あんな子が……」
 思わずつぶやいていた。
「ふふ、あんな子がって思うでしょ」
 綾花も晃の視線の先を追った。
 さまざまな人に話しかけられ、やや困ったような照れたような表情で答える様子からは、その厳しい修行のことなど微塵も感じられなかった。
「それがあの子ね、攻撃系の呪文が得意なんだって」
「……上級魔道師ってことは、四大精霊はおろか惑星霊の呪文さえ扱えるってことか」
「そういうことね」
「水井くん、詳しいのう」
 長老は感心したような口調だったが、綾花はすこし困ったように、
「そりゃそうよ。だって――今日ここへ来てからずっとあの子の話題ばっかりなんだもん」
 と眉をしかめてみせた。

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