第二十六夜「最初で、最後の恋」



「御堂、もういい!もう…いいからっ」
 誰かの声が必死で自分を繋ぎとめるように聴こえて、丈太郎は握り締めていた刃の柄を手放す。背中からすがりついている温かい身体は王崎のもので、それだけが唯一に感じられることだった。
 目の前には血塗れの物体(判別不能)が転がり、どうやら自分は、何度も何度もそれに向かって愛染を振り下ろしていたらしい。身体中に返り血がこびりついて、ベタベタする。不愉快だ。嫌悪感を感じる。
(白鳥の仇…)
 そう思い出すと途端に憎悪が込み上げてきて、手が震える。その殺意を察した王崎が、言葉を続けた。
「もう止めてくれ…。白鳥の仇は、お前が討った」
「俺のこと、見てたのか。王崎」
 正純を抱えて倉庫から出ると、新尾と犬上が立っていた。犬上に色々言われて、殴られたような気がする。戻ると言う新尾に仇をとるからと残り、ブレインを発見して嬲り殺しにした。
 浄化する気になんて、なれるはずもない。存在の殲滅しか、頭になかった。前に、両親を失った時と同じだ。違うことといえば、毒を吸った時のような気持ち悪さはないこと、くらいで。…正純のおかげだ。
 生存者はいない上浄化もしないともなれば、自分たちが出向く意味など、なかったのではないだろうか。
(どうしてここに、王崎がいるんだろう)
 それも不思議というよりは、ぼんやり頭の隅で思っただけだった。
 もうきっと何が起こっても、驚きはしない気がする。ほんの少し気持ちが麻痺して…そうでないと抱えきれないものが、丈太郎の中には溢れそうになっているのだ。
「ああ、見てたよ。白鳥がいなくなっても、オレはお前の傍にいる」
「王崎。俺、お前のこと好きなんだよ。温より矢代さんより白鳥より…、誰より一番。だけどそういう気持ちが、きっと白鳥を」
「それ以上言うな。言わないでくれ…。オレだって、御堂が好きだ。この感情が、何か悪いことなのか?」
(王崎…)
 本音とはいえ、告げるべき言葉ではなかった。すぐにそう後悔し、丈太郎は項垂れる。
「…帰ろう、丈太郎くん。後は、別の人間の仕事だ」
 倉庫の入り口から、信之介がそう声をかけてくる。信之介がいたことも、知らなかった。どういう返事をしたのか、どうやって和ノ宮邸に着いたのか、やはり記憶は曖昧だ。
 現実の感触が、どんどん薄れていくような気がする。これが全部夢ならいいのに、目が覚めても暗闇は丈太郎を飲み込もうと、静かに佇んでいるのだ。

「王崎…」

 今となっては、丈太郎にとってそれだけが唯一の光。
 実際に丈太郎が目を開けると、同じ布団の中に王崎が裸体で横になっていて、まだ夢を見ているのかと丈太郎は一度目を擦った。王崎は眠ってはいなかったようで、目が合うと端麗な美貌を身体に寄り添わせてくる。
「夜這いに来た」
「…王崎……!」
 その時の気持ちをどうやって表現したらいいのか、口づけ以外には思いつかない。唇が触れ合うとすごく胸が苦しくなって、泣きたくなる。
「ずっと欲しかった。きっと、手に入らないと思っていたけど…。諦めたつもりで、諦められなくて…ずっと、ずっと王崎のことばかり想ってた。こうしていると、学校で、遠くから見るだけだった頃に…俺……」
 まだ何もしていないのに、せつない幸福感が押し寄せてきて、言葉が詰まった。
「したいようにしてくれ。御堂にそうしてほしいんだ、オレも。欲しがられたい。御堂のすべてを受け入れるから…」
 ああ、いざとなると臆病な自分は手が震えてしまう。
「触って大丈夫なのか、こんなきれいなもの。俺が触れても、赦されるのかな」
 妄想ではなく、現実に。
「首に提げてるのって、お守り?」
「ああ。大事なものだ」
 ふと目に付いた布袋に、祈るような気持ちで、丈太郎は精一杯の感謝を述べる。
「そっか…。いつも王崎を守ってくれて、ありがとう」
「御堂…」
 こんな場面を見たら、惚れ直してしまいそうだ。王崎は思った。さすがにそれは口にできなくて、けれど胸がいっぱいになる。
「この髪、揺れる金髪でいつも…俺は王崎を探してた。お前の目が、俺だけを映せばいいのにってずっと思ってた。俺の言葉だけ聴いて、二人きりでこうやって……」
 丈太郎がキスを落としながら真面目に愛を囁くと、王崎は笑ったようだった。その笑顔の為に、何もかもを投げ出せてしまえたら本望なのに。丈太郎はそう思って、優しく唇を重ねる。
「願いが叶った。俺が今どんな気持ちでいるか、全部王崎には届いているんだろ?俺がどうやって、触れて、王崎の中に入り込みたいのかも」
「っ…御堂……」
「俺の欲望は晒してるのに、自分だけ我慢なんてするなよ。見せてくれ、全部」
 汗ばんだ白い肌が情欲に赤く染まると、その色香は本当に参ってしまうくらいのもので、自分の興奮を巧くコントロールできる自信がない。
「…ん、んっ…ァ……!」
「可愛い声…。たまんない。もっと傍で、近くで聞かせてほしかった。いつも遠くから見てばかりだったけど、本当はこんな風に…」
「そんな風に思ってたなんて、全然、気づかなくて。視線の意味を、考えたり――――」
 掠れるような吐息が零れる。ほんの少し歪められた眉にときめいて、何から何までドキドキして、困る。
「きっと、王崎は神様が丁寧に手をかけて作ったんだな。俺にはわかるよ」
「さ、さっきから!恥ずかしいことばっかり、お前は」
 珍しくうろたえた表情なんて、何度かわいいと繰り返し腕の中に抱きしめてしまえば足りるのか。夢なのかもしれないという不安は、身体の熱で掻き消される。
 重なる想いは、嘘じゃない。
「愛してるよ王崎。俺にとっての初恋なんだ…。どうやって表現すればいいのか、わからないし浮かれちゃってるんだよ。だから、そんなに硬くならないで」
「最初で、最後の恋にしろよ」
 偉そうに言い放たれた、その決まりすぎたセリフ。格好良すぎる。何もかも好きすぎる。
「…ごめん。がっついていいか?格好つけたくて我慢しようと思ったけど、やっぱり無理だ。もうなんか王崎見てるだけで、ほら」
「アッ…み、御堂……」
 勃起したペニスを擦り合わせると、王崎から甘い悲鳴が上がる。その全てを吸い尽くしてしまいたいような気になって、丈太郎は舌を絡ませた。
 もう二人で重なり合って、ドロドロにとけてしまいたい。寸分漏らさず王崎の全部、自分のものにしてしまいたい。征服して独占して、堪能して。
「…っなに…さ、れた…ら……ッアア!」
 指先で形の良い乳首を弄りながら、丈太郎は腰を押しつける。舐めたら甘い味がしそうだと思っていたその突起は、やっぱり甘いような気がした。
 この身体をもらえるのなら、お菓子なんてもう必要ない。
「こんな風にされたら、どうなるの?王崎…。でもまだ、イカせてあげない」
「ぁ…んっ…」
 早急な昂ぶりの途中で放り出されて、恨めしげな視線が丈太郎を見上げる。
「どうせなら、もっと楽しんでから。な?すぐにイクなんて勿体ないだろ。俺、ずっとずっとその瞬間を待ってたんだしさ…。ふふ、すげえいやらしくてそそる。愛してるよ、王崎」
 王崎の細い脚を折り曲げて、アナルの辺りをゆっくりペニスでなぞってやると、緩やかな快感にすすり泣く声が聴こえる。それを与えているのが自分だと思うと、堪えるように握り締めているシーツに、愛しさが込み上げてくる。
「…っぁ…は、…あぅ……」
「王崎…」
「はや…く、欲しい…御堂の……欲し…っ、ア、アァッ…!」
 あの毅然とした王崎を泣かしているのは、他でもない自分。
「まだだよ王崎。俺が焦がれた衝動に、全然届いてない。そうだろ?」
 もっと欲しがってくれないと。この感情に、釣り合いが取れない。
 積み重ねた情欲と勝手な思慕、最初から比較すれば突出した自分の一方的な愛情は、とどまることを知らない。
 王崎が首を振り、柔らかい金髪が揺れる。
「好き…だ。御堂がす、き、だ。この気持ちが、お前に、届いてないなんて言わせない」
「そんなこと言われたらさ…」
 時間をかけて愛してやりたいという計画が、一瞬で台無しになってしまう。この男の揺らがない自信に、丈太郎はことごとく弱い。ああもう、全ては思うがまま。
「は、ぁっ…!」
 そろりと指を挿入させる。大事すぎて、快感を貪りたいのにそれだけには集中ができない。
 妄想の中では傍若無人に振舞ってきたけれど、丈太郎は慎重だった。他の誰かと抱き合った時には、考えもしなかったことばかり心配する。
 興奮しているのは確かだし、相反する感情の中で、息苦しささえ心地いい。
「痛くない?大丈夫?熱いな、王崎の中…。できるだけ、気持ち良くしてあげたい。王崎がまた、俺とヤりたいって思ってくれるように。ずっとしてたいって、思ってもらえるくらい。感じてほしいよ」
「気持ちは、いい。痛いけど、御堂だから大丈夫。平気だ」
「…もっと言って。すごく嬉しい」
「気持ちいい。御堂が好きだよ。だから、早くっ…!」
 今夜だけで何度、キスができるだろう。キスをして抱き合って重なり合って繋がって、
「王崎、王崎…」
 震える指を握り締め、丈太郎は王崎の奥へと腰を進める。上手くできなかったらどうしようと一瞬心配はしたものの、王崎は丈太郎を受け入れてくれた。
 痺れて、溶けて、頭がクラクラする。
「…っぅ…んん…あっ……はぁ……ぁ…」
「やっばい、俺、マジで王崎の中に入って…あ、イイ……絡みついてっ、気持ちいい…!」
(最高、なんだけど…。これ以上のことなんて、きっとこの世にはない)
「もっと動かして…御堂を感じたい、もっと……」
 そのせつない懇願は本当に嬉しいものだったのだけれど、
「動かすと出そうです王崎さん」
 すぐに追い詰められてしまったのは、自分の方。情けないが簡単に切羽詰って、今にでも達してしまいそう。
 丈太郎は早口で返事をし、喘ぐのを堪えようと荒く息を吐く。
「…お前が動かないなら、オレが動く」
 大人しくしているような男ではないことを、確かに知っていたはずだった。
 この期に及んで慌てふためいてしまったなんて、これきり一度にしたい。生き物みたいに蠢く内壁の、あまりの気持ちよさに困惑する。
「あ、や…王崎…!…ちょっ…ぁあ……あ…」
 なまめかしく腰をくねらせて、たまらなく零される、甘い震えたような声に王崎は笑う。その艶やかさに降伏し、丈太郎はなんだか、気恥ずかしくなってしまうのだ。
「笑う…な…んん、あっ…俺…アァ―――も、…」
 王崎のことしか考えられない。他のことなんて、今この一瞬だけは全部遠ざけて…二人だけで。王崎さえいてくれさえすれば、それで、
「御堂っ…」
 陶酔するのには、まだ早いのに。ただ本能に身を任せ、丈太郎は王崎の中に精を放った。


   ***


 和ノ宮邸の夜は、いつも静かだ。丈太郎は王崎を起こさないよう、ゆっくりと上半身を起こす。傍にいたいけれど、どうにも落ち着かないのだ。寝息を立てる王崎は、いつもよりほんの少し幼く見えて可愛らしく、幸福な気持ちになった。
(………なんか、甘いものが食べたい)
(矢代さんの顔を見ながら、ケーキを食べられたらいいなあ)
(みほこちゃん元気にしてるのかな。俺のこと、最近来ないって、少しは気にしてくれてたりするかな?)
(何ニヤニヤしてんの、って白鳥に気持ち悪がられたりして…俺は、嬉しくて……)
(白鳥…。白…鳥……)
  込み上げてきた涙を拭おうとして、その手を王崎に捕まれる。滲んだ視界に、端麗な美貌が怒っているのを見た。
「好きな人が泣いているのに、オレは慰めることも傍にいることもできないのか?」
「………」
 返答に困る丈太郎の手を握り、王崎は力強く言葉を続ける。触れた瞬間、溢れそうになった丈太郎の悲しみの深さに、内心では一瞬戸惑いはしたものの、それを現すことはしなかった。
 身体の繋がりなんて一瞬の不安を掻き消すだけで、そんなに、この愛情は儚いものなのかなんて考える。
「オレは、絶対に離さないから」
「俺、いいのかな。白鳥はもういないのに、矢代さんとの約束も破って、温から逃げて…。それで、王崎にこんな言葉をかけてもらう資格、あるのか…。嬉しかったし舞い上がっていたけど、って…ごめん。こんなこと、王崎に話すなんて最悪だ。ごめん、本当に俺、王崎を好きで。だから…罪悪感が……」
(俺は、誰に謝りたいんだろう…。何より俺が、俺自身を赦せないでいるのかな……)
「ああ。御堂は優しいんだな」
 その言葉と自分の本質の真逆さに、丈太郎は胸をつかれたような息苦しさを感じた。
「優しくなんてない…。怖いだけなんだ。怖いんだ、俺。もっと他に上手いやり方が、あったんじゃないかって不安で…目の前の、王崎をちゃんと大切にしたいって思ってるのに。その感情は、嘘じゃないのに。色んなことを思い出して…。王崎…」
 ぶつけたって、この恐怖や不安感が解消されるわけじゃない。それでも、王崎は話を聞いてくれた。温かい体温に抱きしめられて、子供みたいに縋りたくなって、嗚咽を堪える。
「オレがお前の不安を全部消し去ってやれるくらいの男だったら、よかったけど。役不足で悪かったな…。でも、無理に一人で立とうとしなくていい。オレが支える。だから我慢とか、しないでほしい。オレだって、御堂を好きだし必要としてる。不安もあるけど、二人でいれば多分大丈夫だ」
(なんで、そんなにいい男なんだよ馬鹿…大好きだよ)
 抱きしめられる力が強くなって、余計に涙が出る。この人を守りたいと想う願う気持ちの強さは、もしかしたら同等なのかもしれない。そう考えると嬉しくて、丈太郎は参ってしまう。
「弟が行方不明で、伏見との約束もあって。本当は、御堂に溺れている場合じゃないのかもしれない。この一瞬だけ、二人でこうやって…そういう時間があったって、赦されると思う。たとえ、それが、ただの願望でも」
 王崎にだって気にかかることは、本当は沢山あるのだ。その中で一番大きな部分を占めるのが、丈太郎のことだというだけで…。それが、この感情を優先させることが、もし間違いでも後悔などない。

 ただ好きなだけなのに、いけないことのような痛みが胸をさいなむ。


  2008.09.12


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