第二十五夜「レベル7(浄化)」



 その映像は丈太郎の意志に関係なく、むしろ丈太郎に見せつける…いや、報せようとするかのように流れてきた。それは自分の立ち位置がわからなくなるくらいの強烈さで、確かに痛みを伴いながら、何度も繰り返される。 
 殺し合いというよりは、むしろ一方的な殺戮の現像。同胞の死が絶叫と血の臭いにまみれ増えていくのを、為す術もなく丈太郎は眺めていたのだ。
「御堂?大丈夫…?」
 見上げた顔が真っ青な相棒に、思わず握ってしまった手は震えていた。
「新尾さん、ここ…は一体、何……なんですか」
「…さっきから、オレもすっげえ血の臭いがする。鼻が曲がりそうだぜ」
「俺たちの今回の任務は、誘いの浄化と生存者の確認。いつもと変わらないよ」
 我らがリーダー新尾は冷静な表情のまま、三人にそう告げる。
「先入観を持つのは良くない、って新尾さんは言うけど。心構えだって必要だと思うよ」
「まあ、死なないように頑張ろう?」
「ろくに実戦も積んでいない御堂を、危険な現場に行かせるなんて。何を考えてるんだか…」
 初戦だって、あれは評価できるようなものじゃない。苦い思い出を脳裏に浮かべ、正純は溜息をつく。隣りの丈太郎は、今すぐ離脱させてやりたいくらい具合が悪そうに見えるのだ。万全じゃない、…誰の目にも明らかだ。心配だった。
「実戦なら愛染が積んでる。そういう見解らしいよ。…それに、白鳥がいるから大丈夫大丈夫。俺たちも一緒だし」
「そういうこと言うなよ、新尾。白鳥が無駄に張り切んじゃん!ただでさえ、一人で突っ走り気味なんだからよー」
 それぞれの思惑は、こんな現場ではマイナスにしかならないのではないか…。持て余し気味の恋情を、新尾はそんな風に考える。犬上の単純で純粋なところは理解しているつもりだったが、周防相手より正純相手の方が、正直言って面倒な気がする。なにせ、中学生なのだ。
「僕が張り切って突っ走って、いつ犬上に迷惑をかけましたか〜?」
「め、迷惑っていうより心配なんだよ!いちいち揚げ足取んじゃねえ…」
「そんなに心配なら、清が白鳥のフォローをしろよ。上手く循環するんじゃないかな、だからこの四人なんだろ」
 苛々するとか、個人的感情は足を引っ張るだけのもの。桜内と三人で組んだ方がよほど楽だが、これはこれで上の意図が何かあるのだろう。
「白鳥」
「…わかったよ。御堂だって、このチームの大事な一員なんだって自覚してよね?」
「ああ。ありがとう」
 暴走少年の扱い方を、丈太郎はいつの間にかわかっているらしい。今はいない死んだ彼の前のパートナーを思い出したけれど、犬上の舌打ちでその面影はかき消された。
「ケッ、御堂御堂ってベタつきやがって…。そんなに嬉しいかよ、コイツとパートナー組んでるのが」
「清。男の嫉妬は見苦しいよ」
「そんなんじゃねえ!!」
「大丈夫。俺たち、そんなんじゃないですから。な、白鳥」
「……………僕、御堂だっ」
 面倒くさい、職場恋愛禁止令でも敢行してほしい。苛立たしい…。大体、同じ男の何がイイかなんて新尾には全然わからない。わかりたくもない。時間の無駄、だ。早く帰って彼女に会って、セックスしてスッキリしたい。このむさくるしい状況から、一刻も早く離脱したい。さすがに新尾はげんなりし、自分の武器である鉄製の鞭を呼び出した。
「もうこんな話はいいから!本題に入ろうぜ!!サッサと片づけて、風呂入って寝る!!!」 
 苛々を悟られたのかもしれない。犬上が空気を読む。物珍しそうに鞭に視線を送る新参者に、新尾は先輩の笑みをなげかけた。
「ちょっと、犬上…」
「白鳥。オレはお前が泣くところなんて、もう二度と見たくねえ。つーか、泣かさねーように、オレに出来ることをする。それは別に、周防さんとか関係ないオレの意志で、だ。好きなんだと思う。この気持ちを隠す気もない」
「犬上…」
「清…。盛り上がるのはいいけど、TPOを考えてね」
 地面に向かって新尾が鞭をしならせると、一同がしんと静まりかえる。ようやく、仕事に取りかかれそうだ。全員に特殊マスクを渡すと、新尾はそれを付けるよう指示をした。
 倉庫に、鍵はかかっていない。重い扉を開けた瞬間、放たれる強烈な異臭に、それぞれは表情を歪めた。本来ならば、自分たちの管轄外なのではないか?そう感じるほど、今までとは比較にならない惨状が目の前にある。
「死体ばっかり…。ねえ、ぜ、全部目が抉られてる」
「真眼狩りだ」
 噂で、丈太郎も聞いたことがあった。それは都市伝説の一つなのだけれど、真眼を疎ましく思う者が存在していて、真眼を殺しに来ると…。それはよく知られた話だから、普通真眼の持ち主は、誰にも言わないでその能力を隠し通す人間が多い。個人差もありそのレベル・個性はかなり異なるものなので、各自のやり方ではふとした瞬間にバレてしまったり、武装警察や什宝会のような、必要とされている特殊機関に就ければかなり良い方で、実験体として酷使された後に、殺されてしまうなど悲惨な結末を迎える者もいるのだ。
「マジでんなことあんのかよ…。ひでえな」
「誰がこんなことを」
「それを探るのは、俺たちの仕事じゃない。俺たちがするべきことは、誘いの浄化と生存者の確認。何度も言うけど、いつもと同じだ。一周して生存者がいなければ、次の倉庫に移る。誘いが現れれば、浄化。いいな」
(生存者なんているかよ、ここに。何かずっと視線を感じるし、一体誰が……)
「愛染」
 丈太郎が呼びかけると、赤い刃が姿を見せる。色んな事があった…矢代や周防を思い出し、なんだか胸が苦しくなる。歪んだ強大な力は、使い方を一歩間違えると悲しみを増幅させるだけ。もう丈太郎に、矢代の気配は感じられない。
(矢代さん。俺はずっと、あなたのことを憶えてるよ。ちゃんと思い出した、これからだってずっと、想ってるよ)
(俺は白鳥を守る。矢代さんや周防さんの分も)
「御堂…。愛染の力、弱くなってない?障気をあまり感じないね。どうしてなんだろう」
「…理由はわからないけど、愛染の資質が変化したのかもしれない。俺自身も、負荷をあまり感じない。すごく静かだ」
「……………」
 それは、恋の影響なのだろうか。
 自分では変えることができないで、最悪の結末を迎えたというのに…王崎への想いが、丈太郎と愛染を変えたとでも?そう思いを巡らせると、正純はひどく複雑な気持ちになる。それは勿論、悲しい終わりを望んでなど、いないけれども。どうして、丈太郎なんだろう?自分では役不足だった?考えれば考えるほど、思考が闇に落ち込んでくる。
「白鳥、危ない!」
「あっ…」
 蠢いた黒い影を、素早く反応した丈太郎が、愛染で振り払う。大丈夫、そう問いかけられて正純は返事に詰まった。
「身体が死んでいても、誘いは襲いかかってくるなんて…。今までと、少しパターンが違う」
「この場合、浄化じゃなくて退治でいいんだよな?へへ、頭使わない分楽だぜ」
「…俺、何か視線を感じるんです。もしかしたら、この誘いを操っている本体が、どこかにいるのかもしれない」
 丈太郎は辺りを見渡すが、四人の他に動けるような人間は一人もいないようだった。正純が急に元気をなくしたのも気がかりだが、そこは自分がフォローにまわればいいだけの話だ。嫌な感じがする。
「ブレイン(頭)?」
「誘いが、戦術を使い始めたっていうことか?…気味が悪いな」 
 周りの焦燥が、ひどく遠く感じられる。正純は軋むような痛みを訴える頭を抑えて、唾を飲み込んだ。
 まさか自分が足手まといになるなんて考えもしなかったが、どうにもこの状況に集中できない。すぐ隣りにいる、丈太郎のことを考えてしまう。彼の気持ちが知りたい?何故…?その意味を胸に問う勇気はなく、そんな予感に戸惑って、なんだか自分が自分じゃないみたいだ。
「白鳥。ふらついてる」
「御堂でも…いいんじゃなくて……」

 御堂がいい。

「白鳥?俺が何?」
「……何でもないよ。早く終わらせて帰りたい。多分、ここの空気のせいだ」
 血なまぐさくて普段より本能的になる現場は、自分でも気づいていなかった感情や何かを、思い出させることがある。それはきっと先ほどの犬上も同じで、だからこそ正純は、浮かんだ願いにどうしようもない気持ちになった。矢代に向けていた、甘酸っぱくて苦しくなるような気持ちとは違う。きっと丈太郎と、どうにかなりたいわけじゃない。でもこの隣りの温もりが、自分だけのものになったらいいと思う。他の誰にも渡したくない。小さい子供の、嫉妬みたいに。
「白鳥がそんなことを言うなんて珍しいね。まあ、迅速に行動しよう」
 らしくないと指摘されたようで、正純は落ち着かず沈黙を返す。丈太郎は自分のことを、とても大切に想ってくれているだろう。傍にいて守りたいと…それなのに、何が不満なのか。
「しーらーとーり。眉間に皺」
「あ…」
「悩み事なら、帰ってからゆっくり話を聞くから。な?」 
 自分がその悩みの原因だなんて、きっと考えもつかないのだ。丈太郎は。
「よし、次の倉庫へ移ろう」
「ああ」
 正純は、三人の一番後ろを歩いていた。
 眩しい外の世界は丁度自分が踏み出そうとした瞬間閉ざされて、抑圧してくるような嫌な気配に自然と唇が歪む。
「…標的は僕、ってわけ?それって、一番年下だから?それとも、つけ入れやすいから?随分と舐められたもんだね」
 正純が持つ、蓮華という名の黒い鎌。それは強い浄化力を秘めていると教えられたが、未だその力を十分に引き出せてはいない。第一、生憎と正純は浄化しよう、などという気持ちをあまり持ちあわせていないのだ。誘いに取り込まれる、人間の弱さが悪い。自分は絶対に、そんな風にはならない。あんな汚いものには、なりたくない!だが正純を嘲笑うかのように、倉庫内は静まりかえったまま、何の動きも見せないのだった。
 どれくらい、時間が経ったのかわからない。先に重い扉が開き、そこに相棒の姿を見て、正純は心底安堵する。たったそれだけのことがたまらなく嬉しくて、その胸に抱きつきいてしまいたくなる衝動を堪える。他の二人はいなかった。そして何故か、丈太郎はマスクを外していた。この瞬間その意味を推理していれば、あんなことにはならなかったかもしれない。
「白鳥!無事でよかった」
「もう、次に行ったかと思ってた。何もなかったよ。どうして、いきなり閉まったんだろう」
「俺が白鳥をおいてくわけ、ないだろ。俺にとって白鳥は、大切な存在なんだから」
 微笑んで返された言葉に勇気が出たというよりは、もう我慢できなくなっただけだ。丈太郎なら受け入れてくれるかもしれないとか、そういう期待を抱いたわけじゃない。同じことを二度も繰り返すのは、嫌だった。告げられなくて苦しむよりも、相手に伝えて昇華させる方が、断然マシなような気がする。
「…御堂が、僕を選んでくれたらいいのに」
「え?」
「好きなんだと思う。御堂のこと」
「本当に?」
 矢代の面影を重ねているだとか、他に人がいないからだとか。幻想だ、なんて。そんな風に言われたら、どうしようと正純は不安に思った。
「嘘なんてつかない。…いいよ、振っても。王崎さんが好きなんだって、わかってる」
「俺に、白鳥より大事な人間なんていない。嬉しいよ」
 耳に届いた言葉が、マスクを外され優しく触れてきた唇の体温が…何もかも信じられなくて、正純は言葉に詰まる。促されるまま、違う倉庫へ。犬上も新尾も、やはりいないようだった。その方が効率が良いといえば、そうだろうけれど。
「白鳥…」
「な、何っ!?」
 抱きしめられて動揺した。
「そんなに身構えないで。俺、白鳥に酷いことはしないから。白鳥が可愛いから、俺、もう…我慢がきかなくて……」
「こんなとこで、」
「白鳥は、俺を欲しくないの?」
 わからない。考えちゃいけない、きっと。自分の気持ちを知るのは…
「怖い……。血の臭いがする。不謹慎だよ…アッ!」
「…大丈夫。怖いことなんて、何も起きない。俺が守るから、白鳥を」
 ペニスを他人に弄られたのは、初めてだった。感じたことのない快感が押し寄せてきて、あっという間に正純は達してしまう。羞恥と経験したことのない恐怖感に、涙が滲んだ。肌は林檎なんていうかわいらしい赤さを通り越して、もう発火状態だ。
「ね、そんなに恥ずかしがらなくていいから。…こうすると、もっと気持ち良くなるよ。俺が矢代さんに教えてもらったこと…今度は、白鳥に全部あげる」
 まるでアイスでも舐めるかのように丈太郎は、正純の発育途上のペニスをしゃぶった。
「やっ、あっ…んとに、気持ち…いっ……!出るっ、出るよぉっ…」
 二度目の吐精。正純は死体に囲まれてセックスをしている、と考えると…その背徳感に、余計に煽られてしまうのだ。丈太郎が脱いだコートを下に敷き、二人で重なり合う。夢中でキスをした。
「好き…」
 丈太郎の性的興奮が、自分によりもたらされたものなのだと思うと、正純は嬉しくなる。
 矢代には、触れてもらえなかった。丈太郎とは交わっていられる。この意味について今は、考えるだけの思考を持たない。
「ひゃっ」
 丈太郎が、正純の上に覆い被さる。何をするのか問う前に、答えは与えられた。
「そう。太腿で挟んで、俺の。チンコが擦れ合って、すごく気持ちいいだろ?」
「アッ…アアッ……!」
「ん、俺もイイよ、白鳥…。中に挿れてるみたいだ」
「当たって…御堂のっ、……んんっ…」
 丈太郎が腰を揺らす度に、お互いの汗と先走り汁がいやらしい音を立てる。
「うん、いっぱい感じて…。自分で弄ってみな?」
 何もかも言われるがまま、悦楽だけを追いかけていく。いつもの自分らしさだとか状況を、完全に置き去りにして正純は指を動かした。こんなに気持ちいいものがあるなんて、知らなかった。それを今、丈太郎に与えられている…。
「…イッちゃうっ…あん、あっ……!」
「白鳥がアンアン喘いでるの、すごくそそる…。俺の白鳥、可愛いよ」
 そんな風に囁かれ、なんだか涙が出てきてしまう。ずっとこうしていられたらいいのにとか、思った。こんな日が来るなんて思ってもみなくて、でもそれはすごく幸せなことのような気がする。丈太郎の身体が、ゆらゆら揺れている。これは本当に現実なんだろうか、独りよがりな夢ではないのだろうか?
「んんっ、んぅ…」
 絡み合う舌に、とろけてしまいそう。
「アッ」
 乳首を強く摘まれて、身体が跳ねる。もう何もかも、丈太郎が思うがままだ。正純は全てを、丈太郎に委ねきっていた。
「乳首も感じるんだ?白鳥。もう、こんなに硬くなって…痛いくらいじゃない?」
「…ひっ、あ…ぁ……!」
 なにがなんだかよくわからない。快楽が分散され、増長して、何も考えられなくなる。
「っ…イキそ……。白鳥の身体に、かけちゃうよ?」
 ああ、もう何でもいい。どうでも…いい……。
「かけてっ!御堂のっ…」
「はっ…ぁ……」
 ブルッと痙攣した先端から放たれる精液に、正純はうっとりとした悲鳴を漏らす。
「御堂…」
「今度は手をついて、向こうを見てみて、白鳥。脚は広げて、お尻を突き出すんだ。…ふふ。恥ずかしい?」
「御堂のセリフじゃないみたい」
 そうして素直に従う自分も、自分じゃない別の生き物みたい。丈太郎に、こんな一面があったなんて。いやらしく揉まれる尻が、なんだかムズムズして変な気持ち。
「矢代さん仕込みなんだ。嬉しい?」
「あっ…」
「白鳥は、オナニーなんてしたことある?矢代さんに抱かれたかった?」
「や、やだ…変っ……僕…」
 まるで果物に吸いつくように、尻をねぶったり齧ったりされるので、正純は身をよじり悶えた。微笑む丈太郎は、直視できないほど色っぽい表情を浮かべているんだろう。ああ、それを引き出しているのが自分だ、なんて。
「感じやすいんだな、白鳥って。それとも、相手が俺だから?嬉しいよ」
「知らなっ、ああっ…!」  
 そういえば、男同士でどうやってセックスするかなんて知らない。アナルに指を挿れられて、その激しい違和感と異物感に、正純は表情を歪める。恐怖がまた甦った。
「そんなに俺が好き?わずらわしいこと全部忘れて、ずっと、こうしていたいくらいに」
「…え…?ひっ、あっ!それ、やっ…怖い……」
「酷いことはしない。言っただろ?力を抜いて、俺を信じて。白鳥…好きだよ。一番好き…」
 一番好きなんていう告白は、何もかも逆らえなくなってしまうのに。
「恥ずかしい、やめてっ…んっ、や…だ……!」
「でも痛くないだろ?白鳥のここもヒクついて、俺を受け入れようとしてくれてる」
 まさかそんな中まで、舐められるとは思ってもみなかった。力が抜ける。何度吐精すれば気が済むのか、正純の自分自身ももうはちきれそうな主張をしている。ああ、、
「あぁ…変な感じ……」
「気持ちいいって、言ってみて」
「…はぁ…ああっ…い、っ……気持ちい…よぉ」
 ズブ、という音を立てて丈太郎の屹立しきったペニスが、アナルの中にゆっくりと侵入してきた。じわじわと自身の中で蠢くそれに、正純は必死で堪えようとする。
「ア、ア、アッ!痛いっ…痛いよ、ぁん…いたっ……」
「一つになろう、白鳥。もっと俺を感じて」

 しらとりっ、しらとり―――!!!
 しらとり。どこかでだれかがそうさけんでいた。しらとりぶじなのかいますぐたすけるからまってろ、しらとり。そのこえはまさずみのだいすきなかれのものにちがいなかったけれど、そのかれはいまじぶんのうでのなかにいるはずなのにどうして、とおくからそのこえがきこえるのかと、まさずみはふしぎにおもう。
 じぶんのなかのいわかんがじょじょにふくれあがってきて、まさずみはさけんだ。みどう―――みどう、みどう、みどう―――――みどう、みどう、みどう。
 とにかくそのなまえをよんだ。このやろうというばせいが、にくをきるいやなおと、ちのにおいが、まぢかでして、はだかのじぶんのまえにころがるひとつのしたいと、じょうたろうがいかりにみちたような、なきたいようなふくざつなかおでそこにたっていた。

「もう、大丈夫だから。白鳥。ごめんな、俺のせいだ…。油断した。怖かったな、ごめん。ごめんな」
 罪を咎めるでもなくただ、どこまでも何もかも許してもらえるような、優しい穏やかな声音だった。許しを請うようなことなど彼は何もしていないのに、自分を悪いと責める。きっとずっとそうやってこの人は、生きてきたのだろう。
「…ぁ……」
「何も言わなくていい。大丈夫だから」
 そこに存在しているのは間違いなく自分の知る丈太郎で、正純は絶望と虚無感に襲われ涙を流した。転がる死体は、誘いに取り憑かれていたのだ。自分に都合のいい夢を見ていたのだと思うと、その浅ましさに死にたくなった。
 少し考えれば、冷静になれば、こんな時に、丈太郎があんな振る舞いをするわけはないと…わかったかもしれないのに。快楽に溺れて自分を見失って、それを丈太郎に見つかって、何の言い訳も出来ない。誘いと丈太郎を間違えた。相棒失格だ。最低だ…。
「うっ、うぇ…わああああああん!うわあああん、あああ……っ」
「俺がいる。もう、離さないから…。大丈夫、大丈夫だよ」
 慟哭する少年を優しく慰めるように抱きしめて、丈太郎はきつく唇を噛む。
(白鳥にこんな酷いことを…。許せない)
 すぐにでも助け出してやりたかったのに、倉庫の扉はなかなか開いてくれなかった。おそらくは正純を襲っていた誘いが封鎖していたのだろうが、その力が一瞬弱まった隙をついたのだ。だがその意味を、最悪な形で丈太郎は知ることになるのだけれど。そして、正純も身に起きた何もかもを理解し、覚悟していた。 
「他の…二人は……」
「倉庫を見て回ってる。大丈夫、無事だよ」
「…御堂。ごめん、ね。僕、」
「白鳥が謝ることなんて、何もない」
 最初から最後まで、丈太郎は正純にはずっと優しかった。それが本当に嬉しかった、そんなことを正純は考える。
「ありがとう…。僕のことを、ちゃんと見つけてくれて、助けてくれた。僕は御堂のことなんて、わかっちゃいなかったのに」
「何言ってるんだよ」
 正純に突き飛ばされて、丈太郎は床に尻餅をついた。
「でも、それが嘘でも御堂に言われた、されたこと僕は嬉しかった。そんな自分を許せそうにないし、僕は、堪えられない」
「白鳥が喜んでくれるなら、俺、何だってするよ。だからさ、早く終えて帰ろう?」
 こんな身体を望んでくれるというなら、喜んで差しだすから。丈太郎の柔らかい笑顔に、正純は胸が張り裂けそうに痛くなるのだ。声が震えないように、決意は邪魔されないように。
「もう手遅れだよ。僕は誘いを受け入れた…同化してしまったんだ、あの嫌悪していたものそのものと……。そのうち、自分が自分じゃなくなる。誘いに犯された人間がどうなるかくらい、御堂も知ってるでしょ」
「治療すればいい。和ノ宮にも、そういう病院が入ってただろ?必ず治る、絶対だ。約束するから。白鳥っ…」
 什宝会が嫌なら他の場所で、どんな手段を使ってでも君を幸せにする。だから、諦めないでくれ。必死に言いつのる丈太郎の姿が、涙でぼやけてよく見えない。 
「僕の願いはもう叶った。誰かに愛されたかった、愛し合ってみたかった。叶うことなら、御堂に…それが偽物でも、僕は……」
「馬鹿言うなよ!」
「什宝会は、誘いに憑かれた人間を切り捨てる。僕はそれを何度も見てきた。浄化できるかどうか、危ないリスクを背負うより遥かに安全だからね。僕、格好悪いのって、堪えられないんだ。中三だし」
「そんなことない。絶対大丈夫だから、俺も…努力するから……!」
 正純は、首を横に振った。
「僕の浄化能力は、まだ残っているはず。今まで本気を出したことなんてなかったけど…御堂には、幸せになってもらいたいから。愛染を借りるね。おそらく誘いだけじゃなく、他のことで力を流用できると思うんだ」
「意味が…わからないよ白鳥。愛染は危ないものだから、ほら。返して」
 差しだした手は、空しく宙に浮いたまま。
「ふふ、死神もお役ご免だ。僕の中のきれいなものは、全部御堂に捧げるよ。…優しくしてくれてありがとう、さよなら。御堂」
「白鳥!!」
 最後に見たのは、何も心配いらないというような明るい笑顔で。
「し、ら……」
 再び愛染めが大切な人の血で染まっていくのを、茫然と丈太郎は眺めていた。祈るように力を込めて、腹に刺した刃。やがてゆらりと揺れた身体を慌てて抱き留めて、微動だにしないその顔を涙がつたう。
「白鳥っ、白鳥!白鳥…!!何でだよ、俺、本当に君を…守りたいって!なの…に……っ…う、うぅ……っく…」
 ずっと一緒にいられるのかな、なんて曖昧な期待を抱いていた。隣りにいてもいいかな、とか、そういう淡い類のものを。そしてきっと同じ感情が、自分に向けられているのだと。…けれど誘いに犯された正純が、誰の名を呼んでいたのか丈太郎は知っている。そんな風に想われているなんて、気づかなかった。その一言で、済まされる問題なのだろうか。その隣りで自分が誰を見ていたのか、ただ一人しか見えていないことに…正純は気づいていたのに。
「俺なんか、全然きれいじゃないんだよ…」
 正純の身体から愛染を引き抜くと、赤い刃は、灰色へとその色を変容させていた。
(ちくしょうちくしょう!駄目だ冷静になれ、まだ終わっちゃいない。コイツを操ってたブレインがどこかにいる、感じる…。絶対に殲滅してやる。許さない!落ちつけ…俺を待っている人だっている。俺は王崎が好きだ。王崎が好きだ王崎が好きだ)
「何も、痛みを感じない…。嫌な感じも、何も……」
 正純の気持ちに、丈太郎はぼろぼろと涙が零れた。止まらなかった。
(俺、王崎とは一緒にいられなくたっていいんだよ。生きてくれてれば、どこかで笑ってくれればそれでいいって思ってた。白鳥とは近くにいたいって…嘘じゃないのに……。どうして、こうなるんだよ!?)
 ほんの何十分か前は、元気に笑っていたのに。
「ごめんな…」
 こんな場所に一人、正純を残しておくわけにはいかない。小さな身体を自分の着ていたシャツできれいにし、服装を整え、丈太郎はそっと抱き上げる。もうこんな風に触れることはおそらく最後で、それが無性にせつなく悲しく感じられ、静かな涙は止まらなかった。


  2008.06.26


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