第二十夜「再会」



 伏見温は、王崎にとって便利な役割を果たしてくれた。楽園の中核におり、神津ほど秘密主義でもなく、普通の会話がきちんと成り立つ。たったそれだけのことが、凄いことのように思えるなんて…王崎はいなくなった友人に思いを馳せながら、溜息をついた。
 お守りにしようと思って、王崎は切った神津の髪の毛を布袋に入れ、首から提げている。ただの気休めだが、意識を失う前、「私の髪を」と言い残したあの言葉が、ずっと引っかかっているのだ。
「何度だって言うが、オレは、楽園の代表になどなるつもりはない。ここは、オレにとって異国のようなものだ」
「なら聞く。王崎、お前の故郷はどこだと?」
「そんなものは、記憶の中にしか…もう無いよ」
 楽園の教えも何もかも、王崎には興味がない。かといってここから抜け出す手段を、思いつかないだけで。とりあえず根気強く、温を説得するしかないだろう。優が目覚めれば、あるいは自分に有利に動くのだろうか。
 …楽園の中には、何派もの異なる方針が錯綜してしまっていた。もし今温の庇護を離れたら、あの時の理事長のように、おそらく王崎はまた誰かに狙われる羽目になるのかもしれない。神津は何を望んでいた?自分は、一体、どうしたい…?
「オレはただ、仁と一緒にいたかっただけだ。そして、仁の居場所はこの楽園だった。もう大事な人がいない場所に、一人残っても仕方がない。オレを解放してくれ、伏見。オレはここを出たい」 
「外は危険だ」
「何が起こっているのか、確かめたい。ただ安全な場所に守られているだけじゃなく、この目で。オレは…」
 そう。学園でやみくもに真相を探ろうとした頃も、今も、王崎は何もわからないままだった。ただ大きな流れに呑み込まれるようにして、流されて、溺れそうになる感覚が、息苦しく不愉快で。
「…オレの願いを叶えてくれたら、伏見の願いも一つ叶えてやる」
「え?」
 意外な申し出に、温は目を丸くした。その強い意志は、どこから生まれるのだろう。
「オレが、お前と御堂をもう一度会わせてやる。絶対だ。だから…、それまでに伏見も、自分のことを決めたらいい」
 自分のこと?
「…俺は…王崎と優様の作る楽園を、」
 そう言われ、思わず温は言葉に詰まった。やりたいこと、自分の意志というのがどこにあるのか…自分自身がわかっていない、ということに気づいたのだ。
 丈太郎や優に対して、温は共依存症的な関係を望んでいた。相手によって成り立つ自分、それはなんと心地良く、喜びに溢れ、そして苛立つものだっただろう?頭が混乱する。そんなこと考えたことなんて、なかった。生まれた時から楽園の中に存在し、その絶対的権力に、自分自身支配されることによって。
 丈太郎に愛されたかった?丈太郎を愛していたのではなく、彼に必要とされたかった?…否定できない。
「それはオレの協力がないと、できないことだろう。オレには、その意志はない。
 それに正直、優には早すぎると思う。優は楽園しか知らないから…。もっと、堅実な選択がどこかにあるはずだ。伏見になら、きっと見つけられる」
「……………」
 もし、見つからなかったら?見つけることができなかったら?そう考えるとあまりの恐ろしさと絶望感が、温を覆い隠し、闇に連れ去られてしまいそうになる。丈太郎は勝手に、自分の手を離れ自立してしまった。いつまでも保護し手を貸していたかったのに、あの幼かった友人は、いつのまにか成長していたのだった。可愛い可愛い自分だけの友人は、温の描く理想とはかけ離れ、消えてしまった…。悲しい、せつない、やるせない。
「沈黙は、肯定と受け取る」
「…いいだろう。俺は、もう一度丈太郎に逢いたい」
 温にわかることといえば、自分の断ち切れない丈太郎への想いだけなのだ。もう、丈太郎に二度と会えないかもしれない。その恐怖に比べれば、新しい期待など捨て去ってもいい。
「それから。いくら自由とはいえ、本当に外は危険だ。連絡用の携帯と、護身用に、これを。…神津が使っていたものだ」
「………」
 手渡されたものは、多分、以前王崎の命を救ってくれた代物だ。あまり重くはなく、…とはいっても、使いこなす自信はない。だが、温の言う通り、自分はリスクを冒そうとしているのだ。険しい表情で、王崎は唾を飲み込んだ。何が起こるかわからない未来へ、覚悟を決めて。
「必要がなければ、再会した時に俺に返してくれればいい。弾は三発。約束を果たすまで、絶対に死なないでくれ。携帯は、俺からかけることはない。だが、王崎がかけてきた時には、いついかなる時でも必ず出る」
「わかった。使わせてもらう」
 携帯も拳銃も、いつ使うことになるのかは、王崎自身見当がつかない。すぐに使うかもしれないし、あるいは何年も先の話なのかもしれない。その選択権は、自分に託されている。
 そして王崎には、何となくだが丈太郎が自分の向かう先に必ず現れるだろうと、そんな不思議な確信があった。いつだって、王崎の意識の先には、丈太郎の影がちらついていた。暫く会っていないが、そろそろ説明のつかない何かがお互いを、引き合わせるのではないか。そういう予感がして、ならないのだ。王崎が自分の意志で動いた時も、不本意な状況に流された時も、そのすぐ近くに、丈太郎はいた…のだ。
 会いたいかと問われれば、正直言ってよくわからない。それほどまで親しい関係ではなかったし、ただ、自分を知っている人間を…王崎は今、心の底から欲していた。温のように自分の向こうに何かを透けて見るのではなく、「王崎充」として扱ってくれる、人間を。そしてその条件に、きっと、丈太郎は間違いなく当て嵌まるはずだった。これは、願いかもしれない。
「少し、待っててくれ」
 そう言うと、温はどこかへと携帯で連絡を取り、何事か話し始めた。
「ここを離れたら自分の身が危険に晒されているということは、常に自覚しておいてほしい。…いい探偵を知ってる。多分、王崎の役に立つと思う」
 どうやら電話は、その探偵とやらを呼びつける用であったらしい。楽園の中で多大な影響を及ぼしている教授の息子とはいえ、今更ながら、温の権力の強さも相当のものだ。美咲かなえもそれなりの役割を与えられているようだし、楽園の末端の信者とは、王崎はあまり接する機会もなかった。美咲に挨拶はしていない。自分が居なくなったと知ったら、彼女は悲しむのだろうか?それがなんだか気になって、王崎は自分のその考えが年相応の男そのものだと、自嘲したくなって唇を歪める。
「こんにちは」
 やがて二人に近づいた男は、楽園の中では見たことのない異質な空気を纏う男だった。
 楽園の外では、信者か一般人かというのはわかりにくい。けれど、こういう内部にいると、それははっきりとわかるものだ。男は外部者に違いなく、温の言っていた探偵という割には、人好きのする柔和な笑顔を浮かべている。
「いやあ、道が混んでてねえ。お久しぶりです、温くん。どうも、はじめまして。探偵の安生信之介と申します」
「王崎充です。…よろしく、お願いします」
 握手の手が触れた瞬間、バチッという音を立て静電気が発生し、王崎は慌てて手を離した。どういう人物なのか、わからない。こういうことは、あまりない珍しいことだ。…曲者、なのかもしれない。
「信さん、頼みますよ。例の件も、王崎のことも」
「御堂丈太郎の捜索、ですよね。わかっていますよ、任せてください。オレを信じて」
 それから温は、ちらりと王崎に視線を走らせる。縋りたいような熱情は、あくまでも隠したままで。
「…それじゃ、また」
「ああ」
 言葉少なに二人は別れた。元々、別れを惜しむような間柄でもない。
 楽園は、どうにかなるだろう。沢山人がいる。それは、王崎が思い悩む事柄でもなかった。

「さあ、どうぞ。キャロライン・マークUへ」
 恭しく助手席のドアを開け、信之介はそうウインクした。
「クラスにもいたな。何にでも、名前をつける癖のある奴が」
「…この間は、ここを天国だと間違えられたくらい居心地のいい車だ。楽にしてくれ」
 どこまでも楽しそうな返事は、気がそがれるというか、どう返事をしていいのか王崎にはわかりかねる。
「どこへ、行くんだ?探偵事務所か何か…」
「まず、海だな。一時間ほどかかるんだが、初デートにはぴったりの場所だ」
「ふざけるのは、」
 冗談めいた物言いに、声を荒げようとした王崎は射抜くような目を向けられて、言葉をしまった。今何か凶器を持っていたら、自分は、この男に殺されていた。そんな風に感じる、圧力感のある視線。やはり、普通の男ではない。その確信を強め、王崎は溜息を殺す。さすが、楽園御用達なだけはある。
「………そう。いいね、仲良くしよう」
 有無を言わせない信之介の声音は、満足げでもあった。それから海に着くまで丸一時間、二人は沈黙を守った。王崎には考えることがあったし、会話をして気まずくなるよりは、沈黙の方がはるかに賢い選択だろう。
 車を止めた信之介は、王崎の手を引いて浜辺までやってくる。冬の海は静かで、辺りに人気もない。足下に落ちてある木の枝を取り、信之介は何かを書き始めた。首をしゃくって、読めと王崎に伝える。
「なにもきかずに、けいたいをうみへなげろ」
「………」 
 表情を読み取ろうとしたが、信之介の視線は砂浜に向けられているだけで、わからない。
「おれは、じょうたろうくんをしってる。おれは、かれのみかた」
「………」
 勘は当たった。こんなにも簡単に丈太郎に行き着けるなんて、これは幸運と呼べるだろうか?王崎は無意識のうちに、口元を緩ませた。どこから手を付ければいいのかと心配していたが、すべては必要なだけ、王崎の前にきっと姿を現すだろう。
「じょうたろうくんを、しんじるなら、それをてばなせ」
「………」
 一瞬、温の顔が浮かんだ。連絡を取る手段は、携帯の他にもきっとあるだろう。その時が来れば、何とかなる。…何とか、する。
「できないなら、きみをころす」
 無表情が顔を上げ、王崎を見つめた。同じ無表情でも、神津のそれとは明らかに異なる、別の冷たさがある。王崎はごくりと唾を飲み、携帯を海へ投げ捨てる。それを見送ってから、隣りの男を睨みつけた。
「これで、いいのか?」
 正解。二人の間の雰囲気が少しだけ解け、信之介は申し訳なさそうに頭を下げる。
「ありがとう。君を、脅してすまなかった…。あれには、盗聴器や発信器がつけられている可能性があってね。オレは、楽園に素性を知られてはいけないんだ」
 やはりこの男は曲者だ、そう判断し王崎は気を引き締めた。感情を読み取らせない探偵。それは同時に、王崎に好奇心も抱かせる。
「御堂を知ってるって…味方って、どういうことなんだ?」
「何から説明すればいいのか…。まず、オレは探偵なんかじゃない。スパイみたいなものをやっていてね。組織の命令で、楽園の動きを探ってる。楽園も、ある程度の情報を欲しがっているから、探偵なんて嘘をついて、適当な情報をばらまいてるのさ」
 王崎はそれを聞いて、ある意味感心した。図太い神経をしているというか、よくそれでバレないものだ。…いや、楽園側があえて泳がせているとも考えられる。今のところは、何とも判別がつかない。
「御堂は、その組織の人間だと?」
「そう。什宝会といって、誘いに対抗する為に作られた組織だ。そういう組織は、什宝会の他にも沢山ある。その中でも一番強い勢力を持つのが、オレたち什宝会だと言われている」
「什宝会?」
「オレも丈太郎くんも、そこに属している人間だ。今から向かうのは、その本拠地」
 丈太郎の雰囲気も今思えば、独特なものだった。それはこの男のように、その組織に属している為に醸し出されるものなのだろうか?信之介のような正体不明の黒さは、丈太郎には感じなかったが。飄々としているようで、何か途方に暮れているようで、でもその目はいつも、遠い未来を渇望しているような…丈太郎に対して王崎が抱いているイメージは、そんなあやふやで不思議なもの。
 クラスの皆とも、よく馴染んでいた丈太郎。それは王崎の取り巻きたちとは、また違った普通の意味で、だ。普通そうで、それでいて普通ではなくて、とらえどころのない男。一言で言えば、変な奴。
「御堂に…会える?」
「ああ。丈太郎くんには何も言わずに出てきたから、多分、相当驚いてもらえると思うな」
 丈太郎の驚いた顔を想像したら、王崎はなんだか、無性に懐かしい気持ちになった。色んなことがあったけれど、丈太郎は変わりないだろうか?自分は…どう思われるだろうか?
「以前会ったのが…もう、随分昔のような気がする。色んなことがありすぎて、もう、何年も前のような……。そんなに親しくもなかったのに、懐かしい」
「彼は、いい目を持っているね」
「え?」
 普通そういう場合、いい目をしていると表現するのではないだろうか?王崎はそう思って信之介を見やり、あまりにいい笑顔をしていたので、なんだか毒気を抜かれてしまった。


   ***
 

 お土産を持って帰るねと言い残し、信之介は和ノ宮邸を出て行った。
 名指しで楽しみにしていてくれと言われて、丈太郎はそわそわと部屋の中で信之介の帰りを待つ。見て、しまえば簡単にその土産の謎は解けるのだけれど、なんだか子供みたいにそれを楽しみにしている、というのもいいかなと、丈太郎は思ったのだった。
 丈太郎は基本的に自分の能力を、普段閉じた状態…普通の人間と同じレベルに、引き下げている。意識的にそうしておかないと、何が現実で何がそうでないのか、時折混乱してしまうせいだ。そのコントロールには自信があるし、歳を取るにつれ研ぎ澄まされてきた感覚は、余計に制御の力を必要とする。自分に見えるはずのものを見えないと切り捨てることによって、辛うじて成り立っている原理。
「あんまりあの人を、信用しすぎない方がいいよ。御堂は。安生さんは、影で、Wスパイなんじゃないかっていう噂があるくらいの人物だから」
 正純は気丈だった。周防の死後暫くはひどく落ち込んでいたけれど、三日も経てばいつも通りに振る舞っている。周防広大の葬儀は、和ノ宮邸で静かに執り行われた。
(周防さん…。結局俺の存在が、周防さんの生きる執着を手放すきっかけになったかもしれない)
 丈太郎はそっと、そんな風に思う。
 周防は矢代が大切に想っていた正純のことを、守っていきたいと考えていたはずだ。それが丈太郎の出現で、自分がいなくても大丈夫なのだと、安心したのかもしれない。それが前向きなのかどうか、判断はできないが…。たとえそれが報われることのない想いでも、愛情を貫く覚悟があったのだ。周防には。ある意味では、矢代にも。
 なんだか沢山、話しておかなくてはいけないことがあるような気もするのに、そのどれ一つ丈太郎は相棒に話していなかった。そんなことは大して、重要でもないようにも感じていたのだ。曖昧にしていたいわけじゃなく、結局のところ少しずつ、時間をかけて信頼関係を築いていくしかない。
「俺のこと心配してくれるんだ?ありがとう、白鳥」
 最初は矢代の代わりに正純を守るのだと、丈太郎はそれを何か道しるべのように必死に、自分に言い聞かせているようなところもあった。だが、今は素直に隣りの少年を守りたいと、自然にそんな感情が浮かんでくる。矢代や周防の想いが、自分の中で溶けて丈太郎の決意と重なっているせいかもしれない。正純には心から、幸せになってもらいたい。
「心配じゃなくて、ヤキモチなのかもね」
「え?」
 返ってきた言葉が意外すぎて、丈太郎は首を傾げた。
「冗談だよ。何でもすぐに真に受けるんだね、御堂は。からかい甲斐あ、り、す、ぎ」
「………こら」
 思わず、顔が赤くなってしまう。言われたことをそのまま呑み込んでしまうのは、昔から確かにそうなのだ。会話の駆け引きというのができなくて、温はさぞ、物足りないと思ったのではないだろうか?
「はは。じゃあ、僕は調べることがあるから、書庫に行ってる」
「わかった」
 最初こそ素っ気ない態度を取られ続けていたものだが、今となっては、正純は自分から丈太郎に積極的にコミュニケーションを取ろうとしてくれる。それが丈太郎には、とても嬉しかった。廊下で、正純が誰かと会話する声が聞こえる。信之介が、帰ってきたのかもしれない。
「御堂なら、中にいるよ」
 正純の足音が遠ざかる。丈太郎は静かに、来客を待った……

「久しぶりだな」

 金髪が目に眩しい。光が明るすぎて、直視できない。あまりに久しぶりに、予想していなかった人物と対峙した丈太郎は、ただそこに立つ姿に目が眩み、息をするのを忘れ思いきりむせた。夢を見ているのだろうか。
 いけない、現実と区別がつかない。どんな顔をしたらいいのか、わからない。何を発声したらいいのか、わからない。夢?じゃない…混乱する。今から死んでしまうのではないか、と思うくらい心臓が異常な速さを刻み、丈太郎を圧迫した。
「…大丈夫なのか?御堂。落ち着いて、挨拶もできやしない」
 怪訝そうな、何も変わりない凛と響く声音。それが耳に届くのが心地良すぎて、何も返事ができなかった。
(王崎?どうして、ここに?俺の…目の前に)
 どれだけ心配しただろう。どれだけ夢に見て、恋焦がれ、ずっと好きで好きでその想いはずっと、変わることはなく。
 久しぶりの痛みが、丈太郎の右手を支配した。ああ、間違いない。好きな人だ。ギュッと指輪を左手で握りしめ、これこそが自分の現実そのものだと理解すると、丈太郎は落ち着こうとゆっくり息をつく。すごく会いたかった。顔が見たかった。それが、今、叶っている…。夢ではなく、現実のこととして。
「御堂は忘れたのか?クラスメイトの顔を…」
 呆れたような物言いが、相変わらずすぎてもう、大好きすぎる。
「忘れるわけ、ないだろ」
 丈太郎は笑おうとして、胸がいっぱいになりそれ以上何も言えなかった。
「…無事でいてくれて、よかった。王崎」
 かろうじて、素直な気持ちが言葉になる。すんなりと、次のセリフが続いてくれた。
「神津は、一緒じゃないんだな」
「仁は、死んだ」
 噛みしめるように呟いた王崎の隣りに、いるはずのない人間の姿を目に留めて、丈太郎は目を見開く。本来ならいつもその傍に付き従い、いるはずの、けれど今はいるはずのない人間がそこに、存在している。それは俯き、丈太郎と視線を合わせようとはせず、ただそこにぼんやりと立っていた。霊と呼ぶにはあまりにもリアルで、一度丈太郎が認識してしまうと、確かな存在感は消えることもなかった。
(…王崎に、憑いてるの、か?)
「何だ?」
 丈太郎の様子がおかしいと気づいたのか、王崎がそう尋ねてくる。
(言えるわけないだろ。お前の隣りに、神津がいるなんて)
 生きているのか死んでいるのか、元々よくわからない生気の無さだったが…。
「どうして、死んだんだ?」
 神津には確か、王崎を守って死ぬという覚悟があった。覚悟というか、それだけが、彼の生きる意味だった。死んだということは、それは王崎を救ったという意味なのか?丈太郎は注意深く神津を見つめながら、王崎にそう問いかけた。
「オレにもよく、わからない。誘いにかけた願いが、叶ったせいなのかもしれない。信じられないが」
「…確かに、神津は誘いに願いをかけてたと言ってた。叶った、のか」
「その願いを知ってるのか?御堂が?」
 言うべきか否か、一瞬迷った。けれど知っておくべきだとそう、丈太郎は判断した。
「願いというか…。神津は誘いに、王崎のこと以外、自分が考えられないようにしてくれって…そう……」
「そんなの今更だろう!大体、誘いって何なんだ?御堂はそれを知ってるのか?だったら、オレに教えてくれ。オレは…オレ…はっ……!」
 涙を堪える王崎がいとおしくて、抱きしめて慰めて大丈夫だと言ってやれたなら、どんなにいいだろうかと丈太郎はぼんやり考える。
 こんな時でさえ、王崎は美しい。
 そして今それを行動に移すことは、なんだか神津から抜け駆けするようで気分が悪い。元々ライバルでさえなかった関係だが、触れることすら躊躇われる。好きすぎて。神津は相変わらず二人の会話とは無関係に、ぼんやり俯いて立ちつくしたままだ。      
「俺もよく、知らないんだ。だから、ここにいると表現してもいいくらいに。役に立てなくて、ごめんな」
 できるだけ精一杯、自分に出せるだけの優しい声を出したつもりだった。
「御堂は一体、何者なんだ?オレは、お前を信用していいのか?」
「俺はただの、王崎の元クラスメイトだよ。それだけだ。信用するかどうかは、勝手に決めてくれていい」
「オレが欲しい言葉は、そんなんじゃない…。やっぱり、御堂は昔からオレに冷たいよな」
「それこそ、今更だ」
 心臓が痛む。どうしてこんな返事を返さなければならないのだろう、やりきれない。
 好きだから近づけない。愛染の呪いは、いつ目の前の王崎に降りかかるかわからない。制御できる自信なんか、ない。愛する人を殺してしまう刀。矢代は、何の迷いもなくこの刀で周防を手に掛けた。それは、何を意味している?脈々と忌まわしい力が受け継がれていると、証明しているではないか?
「それにしても、よく楽園から出られたよな。俺はてっきり、王崎が楽園の次期代表にされてしまうかと…。本当に無事でよかった、王崎」
 什宝会幹部の思惑は丈太郎にもわからないが、ここにいれば身の安全は確実だろう。
「伏見が出してくれた。交換条件付きだがな…オレは、自由になった」
「温が?そうか…その、温は元気だったか?」
「御堂に会いたがってる。アイツは今、それだけで生きているようなものかもしれない」
「…いつかは、多分、きっと」
 その先が続かない。いつかは、何?多分きっと、何だと?言葉に詰まる丈太郎に、王崎の揺さぶりは更に続く。何が一番有効なのか、まるでわかっているようで、無自覚なのだから手に負えない。勝ち目がない。
「今は、オレたちの話をしよう。オレは、御堂のことが知りたい。
 御堂がどういう気持ちでいるのか、オレをどう思っているのか、什宝会とは何なのか…」
(言えるかよ。そんなこと、言えるわけないだろ…)
 その魅力に陥落しきったら、いっそ楽になれるのか。
 真剣に自分を見つめるその全てに見惚れ、告げるべきこともなく、丈太郎はただ沈黙を守るのだった…。


  2007.10.13


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