第二十一夜「ロマンス(ただのクラスメイト)」



 嘘をつくしかないのなら、言葉なんて何の意味もないような気がする。この感情を前にして、相応しい表現が好きという以外にない場合、沈黙が一番正しくて、懸命な判断だ。
「俺の気持ち、か…。言葉にしなくても、上手く伝えることができたらいいのにな」
 笑ってそんな風に言う丈太郎に、方法ならばある、と王崎は思いその距離を詰めた。丈太郎に触れたら。一体何を考えているのか、いちいち言葉になんてしてもらわなくても、理解できる。てっとり早い。
 昔は嫌われていると思っていた。その時は、絶対に触れられたくなんてない、そう感じていたけれども…。もしかしたら、という期待。期待というより、願いに近いのかもしれない。
「御堂、触らせてくれないか」
「はっ?」
 直球かつ、意外すぎるその言葉。丈太郎は瞬きをした。よく、わからなかった…。
(触る?何を?俺を?何故?王崎が…??)
「オレはずっと…、寂しくて、人恋しくて死にそうなんだ。抱きついていいか?別に襲ったりしないから」 
 戸惑ったように丈太郎の頬が、赤く染まる。何か言いたそうにしているが、何を言っていいのかわからない、と表情に書いてあるので、王崎は遠慮無くその胸に飛び込んだ。
 丈太郎の首元に、顔を押しつける。人の匂い。人の温もり。丈太郎の…身体。不意にセンチメンタルな気分が襲ってきて、王崎は泣きたくなる。慰めるように、丈太郎の手が最初はおずおずと…次第に優しく、王崎の背中を撫でた。そのうちに、本当にせつなさがせりあげてきて、王崎は悟られないように泣く。温かかった。心地良かった。このままずっと、離れたくなくなるくらいに。これが自分のものになったらいいのに、とそんな願望がぽわんと浮かんでくる、くらいに。
 どうして自分が泣いているのか、多分理由なんて沢山ありすぎるのだけれど…この温かさが、一番の原因。自分の感情で今いっぱいになっているせいなのか、丈太郎の感情は伝わってこなかった。これでは丈太郎が何を考えているのか、わからない。探ろうと意識を向けてみるも、そこにあるのはただ、本当に柔らかくて正体不明の優しい何かでしかなくて、王崎がそれに触れると、毛布でくるまれるような心地良さを、漠然と感じるだけ。
 どうしてこんなに気持ちが良くて、温かいんだろうと王崎は不思議に思う。こんな感覚は、他の人間で味わったことなど一度もない。特別、仲が良かった関係でもない。それなのに、何故?ああ、御堂なのかもしれない…。おぼろげに、そんな漠然とした考えが浮かぶ。信じられないくらいの安堵感、この人だという確信、どうして今まで気づけなかったのか、いや、気づけてよかったのか?
「王崎…」
「何も言わないでくれ。もう、わかったから」
(俺には何が何なのか、さっぱりわからないんだが…。片思いの相手とずっと密着しているっていうのも、その……)
 そろそろ本格的に困る事態になりかけた丈太郎に、「ありがとう」という言葉をかけ、王崎がようやく離れてくれる。
「ど、どういたしまして…!」
 愛染は珍しく、何の反応もみせなかった。もっとも、実際にどんな呪いを発動させているのか、など矢代は具体的なことを言い淀んでおり、どうなるのか正確に、丈太郎にもわからない。ただ知っていることといえば、矢代が自殺したのは愛染のせいだということ、くらいだ。だから丈太郎は、何事も起きなくて、心底ホッと胸をなで下ろしたのである。右手は痺れているだけで、呪いの刀もその姿を見せない。
「ええ〜、ゴホン!二人は、その…どういう関係なんだい?とっても気になるんだが」
 その声に二人は驚いて、廊下で所在なさそうに佇む信之介へ視線を向ける。
「し、し、信さん…」
 まさか他人に見られているなんて、思わなかった。まるで自分の心の中まで見つかってしまったように、丈太郎はいたたまれないような気持ちになる。発火しそうなほど、恥ずかしい。
「丈太郎くん、質問に答えてほしいなあ。二人はつきあってるの?」

「ただのクラスメイトです!」
「ただのクラスメイトだ!」

 お互いの言葉に、お互いが何となく不満を持ったような二人に、気まずい空気が流れた。
「ただのクラスメイトではない?」
 笑みを含んだ信之介が、からかうように再度問いかけてくる。
「ただのクラスメイトです」
「ただのクラスメイトだ」
 堪えきれず吹きだした信之介は、双方から睨まれると「ごめんね」と肩を竦めた。それから、若いねと続ける。
「オレ個人としては、丈太郎くんの隣が空いてるなら嬉しいね」
「ええと…」
 その追加攻撃にまでは、太刀打ちできそうもなかった。
「はは。まあ、感動の再会はこれくらいにして…他の人間にも、王崎くんを紹介しないと」
「オレを、ですか?部外者では」
 ほんの五分前、王崎は和ノ宮邸に足を踏み入れたばかりなのだ。そういえば自分の歓迎会というのも唐突で、まだどうしていいかわからないまま、行われたような気もすると丈太郎はそんな夜のことを、思い出していた。あの時はまだ、周防が生きていた。
「自分の立場を忘れたかい?君を、普通の一般人として扱うわけにはいかない。あの、天根矜持の息子だからな。きちんと説明しなければ、余計な混乱を招いてしまう。我々も、仲間割れというのは避けたいからね」
「王崎。もし、王崎さえよかったら…俺は、一緒にいられると……嬉しいと思うよ」 
「御堂は何故、ここにいる?君が信じるものは何だ?」
「俺は…そう、だな。信じられるものはまだ、何なのかよくわからない。ただ、自分の決断を信じたいと思ってる」
 その言葉が、我ながら随分と小さいものだと自嘲する。
 楽園から飛び出すことを選び、力を手に入れることを望み、矢代とかわした約束を守ることを、丈太郎は誓った。昔は温が丈太郎を支え導いてくれ、血の繋がらない両親は、夢みたいに淡くささやかな日常を、与えてくれた。いつのまに、そんな幸せじゃ物足りなくなってしまったのだろう。いつしか丈太郎は、目に見える現実に立ち向かう刃としての力を、欲するようになっていた。
 普通の世界に溶け込んだ異形は、丈太郎の視界の中で歪んだ調和を引き起こす。見えるだけで、何も出来ない。それらから身を守るすべも持たず、ただ、見えない振りをしてやり過ごすのはもう、疲れたのだ。丈太郎にとっては、この世界そのものが呪われているようなものだ。だから今更、愛染の呪いを手に取ったくらいで…そう思っていたのに。
「オレは…今の気分で、これからの人生を決めてしまいそうだ。
 御堂ともっと、色んな話をしたい。だから、ここにいるのもいいかもしれない。そんな決断の仕方も、悪くない」
「王崎…」
「安生さん、案内してくれ」
 二人は部屋を出て行った。丈太郎は火照った顔を落ち着かせようと、手のひらをあてる。
 妄想ではなく本当に、王崎が傍にいてくれる?そんな生活を想像しようと試みてみたが、トキメキすぎて無理だった。舞い上がりすぎている自分を、隠すこともできない。どうせ筒抜けなのだろう…視線を感じて目が合った時、信之介は優しく微笑んでくれたけれど。


   ***


「あの天根矜持の息子が、什宝会に来るとはね。御堂とは一体、どういう関係なの?」
 八畳のフローリング、部屋のドアから見て右が丈太郎、左が正純のベットだ。夜も更けお互いにベットに潜ると、正純はそんな質問を丈太郎に投げかける。
 王崎充の来訪は、瞬く間に什宝会の人間に衝撃を与えた。皆が皆、次期代表は王崎がなるものだと思いこんでいたからだ。そしてそう言われるたびに、王崎は「御堂がここにいるから」と答えたらしい。
「ただのクラスメイトだよ…」
「そう?そんな風には、見えなかったけどね」
 だったら一体、どういう風に見えたというのだろう。問い返す勇気はない。丈太郎は溜息を殺し、落ち着けず寝返りを繰り返す。
「そんなに動揺すること?御堂って本当、わかりやすい。いいじゃない、いつまでも矢代さんのことを引きずっているより新しい恋に進んだ方が、前向きで正しいと思うな」
「あ…」
(そうか。俺が最初から王崎のことを好きだと、言うわけにはいかないんだ。俺は、矢代さんとつきあっていた。 
 余計な情報のせいで、白鳥を混乱させたくない)
「どうかした?」
「いや…。でも、什宝会は、王崎をどうするつもりなんだろう」
「そうだね。什宝会に加入するとして、まず、戦闘班に配属されることはまずないと考えていいと思う。危険だし。情報班も…ない、かなあ。特別な措置が取られることは確かだよ」
「そうだろうな。…はあ、なんか心配だよ」
「ここの人間は信用しない方がいいけど、自分の身が危なくなるようなことはしない。だから、あの人のことは心配しなくていいと思うよ。手を出して厳しい処罰をされるのは、誰だって嫌だろうから」
「あ、いや、そういうことじゃなくて…」
 まあ確かに、あの王崎だ。そういう対象に(丈太郎自身もそうなのだから)見られる心配は、多少はあるのだ。それよりも気がかりなのは、王様気質の王崎が、この場に馴染めるのだろうか?丈太郎自身、まだ手探りの毎日で。
「漠然とした不安は、エネルギーを無駄に消耗するだけだよ。おやすみ、御堂」
 正純の言い分は、もっともだ。
「………おやすみ。白鳥」
(漠然とした不安、か。確かに、そうなのかもしれない)
 考えれば考えるだけ、これからの未来への不安が、丈太郎に覆い被さってくる。しっかりした年下の少年に習って、丈太郎はゆっくり目を閉じた。今夜はゆっくり、眠れそう…。そう思ったのは束の間で、見たくもない夢は、今はもう懐かしい学園の中へ丈太郎を導いた。
「何…だ?」
 丈太郎が起きている間は、見たくないものは見えないように意識的にコントロールしている。だが、潜在意識までは制御できない。
 しんと静まりかえった校舎は、不気味で、どことなく冷たい。誰かのひそひそ話が聞こえる。人影はないのに、まるでその場にいるかのようなリアリティが、丈太郎の耳にいやにこびりついて離れない。何度も聞いたことがある、王崎の、噂。
「王崎って彼女作らないけど、取り巻きはいっぱいいるじゃん?あれ、全部セフレだって」
「バカ。お前、一体何人いるって思ってんだよ。どんだけ絶倫ですか、王崎は」
「潔癖性ぶってるけど、それって、こういうことがバレないように工作してるからだとか」
「なあ、止めようぜ。取り巻きの耳に入ったら、俺たち、何されるかわかんねえ」
「そうだな。まあ、オレは王崎じゃ抜けねえけど」
 本人の意志に関係なく、目立つ存在だった王崎。たくさんの取り巻きに囲まれて、羨望の眼差しと、嫉妬まで受けることが多かった、王崎。
(…学校で、王崎は幸せだったんだろうか)
 少なくとも、と丈太郎は思う。学園生活というものを、丈太郎は楽しんではいたのだ。温という幼なじみがいて、クラスの友達ともそれなりに上手くやって、帰省できる優しい両親も健在で。今思えばああいうことこそが、もしかしたら幸福と呼ぶのかもしれない。もう、取り戻すことはできないが。
「気取りやがって。大体、目障りなんだよ!」
「充様あ!こっち向いてください!!」
「ちょっと、抜け駆けは許さないわよ。ファンクラブの許可を取ってからにして頂戴」
「王崎くん。あの、僕が話しかけても迷惑じゃないかな…?」
 王崎の周りは、いつだって騒がしかった。時折ぽつんと一人きりでいても、すぐに誰かが王崎を見つけては話しかけ、大勢の壁があったのだ。
(もしかして、これは…王崎の見てる…夢、じゃないのか)
 そう丈太郎が気がついた時、その映像はより現実味を増した。話し声は王崎に関することばかりだし、丈太郎の主観だったなら、声だけ聞こえて姿が見えないのは、不自然なのだ。王崎のことを想うあまりに、自分の能力が同調してしまったのかもしれない。
(王崎…。どこにいるんだ?)
 丈太郎は、教室へ向かった。誰もいないがらんとした教室に、読み通り王崎はいた。近づいてきた足音に、机に伏せていたらしい顔を勢いよく上げて、丈太郎と目が合うと複雑な表情をする。不謹慎にも、その顔にドキドキした。
「…わからないな。どうして、御堂が」
 王崎自身もこれは夢なのだと、理解しての発言なのだろう。この世界の主である王崎はともかく、丈太郎は、どう考えてもこの場では異質な存在だ。
「学校。好き、だったか?」
「別に…。ただ、学園に通っていた頃は、仁が生きていた。そう、思っただけだ」
「これは、悪夢なのか?それとも、こんな夢でも…王崎にとっては」
「こんなに煩くて、頭が痛くなりそうなのに、肝心の仁の声はしない。あいつは、無口だったから」
 あくまでも淡々と、乾いた声がここにいない人間の話をする。
「………好きだったのか」
 丈太郎にとっては、勇気のいる問いかけだった。王崎は動揺した様子もなく、当たり前のように期待通りの答えを返してくれた。
「御堂だって、伏見のことは好きだろう。それと、何ら変わらない。夜になって静かな沈黙が訪れると、仁のことを思い出す。それが、こういう夢になって現れる」
「悪い。邪魔、したな…」
 姿を見せて声をかけるべきでは、なかったのかもしれない。丈太郎はそんな風に思って、小さい声で謝罪を述べる。…敵わないのだろうか、神津には。
 いつかは正純にとっての矢代だとか、そういう存在を、越えることが…できないのだろうか?自分には。少なくとも、自信はない。ただ、同じとはいかないまでも、相手にとって大切な存在にいつかなりたい。
「オレたちは今まで、ただのクラスメイトだった。だけどもう、そんな枠組みは無くなってしまった。多分、お互いに変な遠慮をすることも、しなくて…いいんじゃないか、と思う」
 嘘みたいに、嬉しい誘い。
 王崎がふわりと柔らかな微笑みを浮かべ、丈太郎は突然の言葉に赤くなってしまった。
「御堂は、オレに対していつも気構えていただろう?もうそういうの、無しにしてほしい」
「俺…は……」
(俺が王崎に対して身構えるのは、俺が、愛染の持ち主だからで…。でも、そういうの、説明するっていうことは、王崎に告白することとイコールになるから…ああ、ちくしょう!)
「この夜が明けて、新しい朝が始まったら。オレたちの、新しい関係を始めよう」
 夢はそこで途切れ、丈太郎は慌てて身体を起こした。時計を見る、午前三時。
(…この夜が明けて、新しい、朝が始まったら)
 目が覚めた王崎は、二人で共有した夢を憶えているだろうか。新しい関係、それは期待していいのだろうか?
 丈太郎の甘酸っぱい期待感を不意に打ち破ったのは、右手の鋭い痛みだった。
(愛染…) 
  
 突如、浮かび上がる映像。振り向いた王崎に、妖刀を構える自分。王崎の目が驚愕に見開き、丈太郎は両手を振り下ろし―――…

「やめろっ!!」
 思わず、丈太郎は大声で叫んでしまった。幻影はあっさりと消える。身体中が嫌な汗をかき、心臓が早鐘を打つ。右手を強く、強く握りしめ丈太郎は落ち着こうと、荒い息を吐いた。
「大丈夫…?御堂、嫌な夢でも見たの」
 心配そうな正純は、ぎこちない視線を向ける丈太郎に優しく声をかけてくれる。
「………」
 王崎の姿はない。斬りつけた感触もない。確かな夢。
「………矢代さんも、時々、そういう風に夜中に目を覚ますことがあったよ。どうしたのか聞いても、教えてはもらえなかったけど。でも夢、だから。ね、大丈夫だから…」
「………」
「きっと、大丈夫だから。僕を信じて、目を閉じて」
 正純は祈るような気持ちで、そう告げる。
 矢代には届かなかった、届けることができなかった想い。今度は絶対、失敗するわけにはいかない。丈太郎は、正純を守りたいと言ってくれた。それと同じように、正純も丈太郎を守りたいという気持ちはある。今度こそ大切なものを、絶対に守り抜いてみせる。
 丈太郎の乱れた吐息は段々と、落ち着いたものに変化していった。その寝顔を見守りながら、今はもういない人を思い出し、正純はせつないような苦しさに眉をしかめる。
「おやすみなさい…」
 明日迎える朝がどうか、大切な人にとって優しいものでありますように。


  2007.11.06


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