相似



 倉内は溜息をつき、本棚に本を戻す作業を少し休めた。憂鬱の原因は人の気も知らず、いつもの窓際の指定席で気持ち良さそうに爆睡している。
 他人の恋愛のいざこざに巻き込まれ(この場合、自分から巻き込まれていったとも言えるかもしれないが)、随分疲れて。最近ではもう、当人に言及するのも止め秋月への接触も極力避けていた。
 何度考えても自問自答してみても、後藤を好きだという結論には至らない。
 大体、二人の人間を好きになれるほど器用でもない。毎日のように後藤の顔を見て確認してみるのだが、やはり、恋愛感情を抱いてはいない。そう思う。
 長谷川にけしかけられて、秋月に八つ当たりしてしまった件も倉内の溜息を深くしていた。今では嘘だったと実感しているのだけれど、なかなか謝るタイミングがつかめないのだ。
 あんな風に言われれば誰だって、二人がつきあっていると思うだろう。
 羽柴には否定されたけれど、大人の狡猾さを理解していないからそんな受け取り方をするのだと…倉内は何も言えなかった。ところが、どうだ?
 ここ最近の後藤ときたら、わかりやすく絶好調なのだ。精神面に影響されすぎではないのか、と呆れるほどに。見ているこちらが脱力するほど、幸せそうで。
 秋月は相変わらずだ。倉内が入学してから今までも…どこか、変わったと思うところはない。
 一番変化したと感じるのは、長谷川。ストイックで厳しい教師だと思っていたのが見事に崩れ、実際の学園生活では表面上それを保ち続けているにしても、あの尋問のような会話は忘れられない。もしかしたら、本来はあんな性格なのかもしれない。
「………はあ」
 倉内たちは、もうすぐ二年に進級になる。二年になればクラス替えだ。クラスメイトも、担任も入れ替わる。特に親しい級友がいるわけでもないから、問題は担任なのだった。
 …考えるだけで、気が重い。秋月ならば謝るきっかけの糸口になるかもしれないが、もし万が一、長谷川のクラスにでもなったらなんて可能性を考えてみると、やっていく自信がない。
「………はあ」
 時計の針が七時を指す。図書室の戸締まりをしなければならない。
 後藤のところまで歩いていくと、倉内は大きな声を張り上げた。
「後藤、時間だよ!」
「ん…」
「僕が戸締まりを終わらせる前に、起きてよね」
「んー…」
 家で寝ればいいのに、と思う。眠れない理由でもあるのかもしれない。
 後藤が目を覚まして、大きな欠伸を連発した。眠そうな瞼を擦り、ゆっくりと立ち上がる。
「ふぁーあ。んじゃ、帰るわ」
「……また明日」
「ん」
 後ろ姿が大きく頷く。
 あの調子で家まで無事に辿りつけるのか、…まあ毎日のことなのだけれど。満ち足りているからなのかどうか、最近の後藤の口数の少なさといったらない。元々いつ見ても寝てばかりで、饒舌なタイプではないが。羽柴と一緒にいるようになって、彼は変わった。
「静。プリントの張り替えをするから、後は私が戸締まりをしておくよ。先に帰っていなさい」
 司書室から声がかけられて、倉内は小さく溜息をつく。
「陣内さん、僕も手伝いたいんだけど」
「申し出は嬉しいんだがね。いいから、今日はもう帰りなさい」
「…わかった。それじゃあ、さようなら」
「ありがとう。お疲れ様」
 優しく陣内が笑いかけてくる。胸の痛みを感じながらも、どうにか倉内も笑み返した。
 彼の領域に立ち入ることを赦されて、その権限を存分に活用して。…時々、本当は自分は邪魔ではないのかと不安に思う時もある。訊けないだけに、余計にだ。
 
 とぼとぼと廊下を歩いて、倉内は不意に立ち止まった。確かにどこかで見た顔が、まるで睨みつけるように窓の外を眺めていた。一年だろうか。
 つられて校庭を覗くと、秋月がゆっくりと歩いているのが目に入る。その隣りには、長谷川だ。どちらを見ているのか…、倉内にはわからなかった。
「何か、用?」
 彼が振り向き、冷たい視線を投げて寄こす。
「あ、いや…。どこかで、会ったことが……?」
 懸命に記憶を辿りながら、倉内は首を傾げた。何かが引っかかるのだが、どうも思い出せない。
「倉内静だろ、君。有名人だから知ってる。俺、会ったことなんてないよ」 
「…でも、確かに……」
 彼が笑った。その笑みに見覚えがあった。この嫌な、感じ。
 上辺だけの笑顔…、馬鹿にしたような雰囲気は。いつ、だったか。
「口説いてるのか?君、後藤とつきあっているらしいけど」
「そんなんじゃない!後藤なんかとつきあってない!!」
 そのフレーズを言われる度に、力一杯否定するのも疲れてきたが、絶対に肯定なんかしない。
 倉内の必死な態度に、可笑しそうに彼は唇を歪ませる。
「別にどうでもいいけど…」
「さっき、何を見てたの」
「……秋月先生。俺、あの人大嫌いなんでね」
 吐き出すように、低く告げられる声。窓枠のレールを握る手に力が込められるのを、倉内は見た。
「そう。それじゃあ…」
「あいつら、つきあってんのかな。どう思う?」
「さあ…」
 関わらない方がいいと、倉内の直感が警告する。
「趣味悪すぎ」
 憎悪に満ちた一言に、気分が悪くなってきた。
 これ以上あの教師たちに巻き込まれてたまるものかと、倉内は深呼吸する。
「………僕、もう帰るから」
「そう。さようなら」
 興味なさそうな返事に、基本的な挨拶を交わしていなかったことを思い出した。
 倉内は瞬きして、彼を見る。
「あ、名前…」
「どうでもいいよ、そんなこと」
 どうでもいい、というのは彼の口癖なのかもしれない。そっけないとうよりも、本心らしいとしか言いようがない。先に、彼が歩きだした。
 呆然とその後ろ姿を見送って、ようやく思い当たった点に倉内は目を丸くする。
 いつか、授業参観があった日。秋月と、一緒にいた男。彼はとても、その男によく似ているのだった。


  2005.02.09


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