春の嵐



 永遠という言葉ほど、あてにならないものもない。今がずっと続けば良いと…後ろ向きな停滞を望めど、時間は無情に過ぎていくだけだ。
 秋月は憂鬱な面持ちで、クラス替えの紙が張り出されざわめく一団の中に混じっていく。
 そこに後藤の姿を見つけたからに他ならないが、それは隣りに羽柴や倉内も居ることを示していた。
「わっ、マサとクラス離れちゃった!」
 悲鳴のような、羽柴の声が上がる。
「…静と一緒かよ」
「よりによって、僕も後藤となんて一緒のクラスになりたくなかったけどね」
(倉内くんと一緒、なのか…)
 後藤が何組になるのかは知っていたにしても、他の生徒まで気は回らなかった。
「何言ってんだよ。嬉しいくせに」
 ニヤニヤ笑いながら、後藤がそう倉内をからかう。
 クラスが別れて寂しい羽柴は、頬を膨らませて便乗してみせるのだった。
「そーだよ、素直になりなよ。倉内。ズッルイなあいいなあ…」
「何を誤解してるのか知らないけど、」
 苛立ったように溜息をつく倉内の前に、救世主(といっても芝木だが)が現れる。
「よお、倉内。今年も一年よろしくな」
 声をかけるタイミングを計る秋月をよそに、真っ先に目当ての倉内へと向かっていくあたりよっぽど、彼のお気に入りの生徒なのだろう。秋月は、感心してしまった。
「シバちゃん…!!」
 倉内は目を輝かせて、続投の担任を見つめる。
 この担任をこんなにも嬉しく思う日が来るなんて、今までは予想だにしなかった事態だ。
「僕、シバちゃんが担任で本当に嬉しいよ。涙が出そうなくらいにっ」
 だが芝木は素直に受け取れなかったようで、瞠目して心配そうに倉内を見つめる。
「………何だ?新手の嫌がらせか、倉内?どうしたんだ、大丈夫か」
「……………」 
 日頃の態度がそれなりなので、この態度も仕方ないだろう。
 倉内は閉口してしまい、溜息を殺しているようだった。
「後藤もまあ、秋月先生と離れて寂しいだろうが…俺が担任になったからにはお前らに寂しい思いは」
「羽柴って、長谷川のクラスなんだ。最悪」
 熱血教師の語りを遮り、ふと気づいた倉内が眉を寄せてみせた。
「…俺は倉内と違って、長谷川先生のことはそこまで嫌いでもないし」
「平和主義者だよねえ。羽柴は。後藤も見習いなよ」
「お前にだけはそういうこと言われたくねえよ、静」
 この会話の応酬はいつもながら、どっちもどっちといえるだろう。
「僕は暴力に訴えたりしないし。…って、何泣いてんの?シバちゃん。面白い顔」
「秋月先生!」
 視線に気がついたのか、後藤に突如声をかけられて。
「…後藤くん、と羽柴くんに倉内くん……」
 慌てて名前を付けたしながら、秋月は少し顔を赤らめた。
 態度があからさまだったかもしれない。今更だが。
「先生〜、オレとクラス離れて寂しい?オレはこれから、毎日どうやって過ごしたらいいか…」
 彼は好意を、素直に口にするような人間だったのだ。そういえば。
 不意をつかれてばかりで秋月は、言葉に詰まる。嬉しい以外に、脳裏に何も浮かんでこない。春惚けといわず、随分と、馬鹿になっているようだ。
「朝から勘弁してよ。後藤」
「お前は黙ってろ」
 野次を飛ばされ、仏頂面で後藤は倉内を軽く睨む。
「行こ、羽柴」
「あいよ。あっ、センセー!あのね、ちょっと…」
「えっ、何!?羽柴くん…」
 コソコソと羽柴が耳打ちしてくる。内心ギクリとしながら、秋月は審判を待った。
 だが聞こえてきたセリフは秋月が、予想もしていなかったもので。
「こないだ先生にお願いしたアレ、もう気にしなくていいから!」
「…え?」
 後藤に近づくなと、牽制をしたことを指すのか。秋月は、息をつめた。
 羽柴は困ったような笑顔を浮かべ、手を上げる。
「俺はマサが心配だけど、二人を困らせたいわけじゃないし。それに、他に気になる事ができちゃって…。そういうわけでとりあえず俺、応援してるからっ!」
「羽柴、何の話だよ?」
「マサには関係ないよーだ。行こっ、倉内!」
「おいおいお前ら、大好きな芝木大先生を忘れていくなよ…」
 賑やかな声が遠ざかる。
 二人きりになってしまうと、秋月は無意識のうちに小さく息をついた。
「クラス、変わったけどさ。オレ、先生に寂しい思いはさせないから安心して」
「…何言ってるの。もう、ほんと格好いいことしか言わないんだから。後藤くんは」
「好きな子の前では、それが普通だって思うけど…」
「……少し、加減してほしいんだ。参ってるから」
 照れ隠しのように目を逸らし呟く秋月に、後藤は表情を和らげる。
「すぐだよ。すぐ…つきあいたくなるよ、きっと」
「ごめん、できないよ。それは…。まだ」
(僕はまだ、後藤くんには釣り合わない)
 怖くて反応は見られなかった。秋月は逃げるようにその場を離れ、新しいクラスへ急ぐ。
 
 過去はどうすれば、乗り越えられるのだろう。
 胸の奥に棲む残像が、いつまでも消えてくれないままで。

 同じ教室に姿がないというだけでこんなにも、平穏な時間は過ぎるものなのか。そう思った矢先、信じられないものを見た。一瞬で意識が奪われてしまう。
 秋月は彼を凝視して、乾いた喉に唾を飲み込む。懐かしく胸の痛む幻を、見ているようだった。
「令治…?」
 ありえないはずの光景に、秋月は目を丸くする。
 無意識のうちに身体を強張らせると、生徒は困ったように肩を竦めた。
「嫌だなあ、秋月先生。担任している生徒くらい、ちゃんと憶えててくださいよ。俺は出席番号九番、志賀京介です」
「…志賀」
 HRの自己紹介を、真面目に聞いていなかった。ぼんやりしてしまっていた。
 あまりにも、酷似している。
「さっきからどうしたんですか?先生。俺の顔、何か付いてます?」
 志賀が不思議そうに秋月の顔を覗き込み、蒼白な表情で首を振る。
「そんなんじゃ…」
 否定するのがやっと、だった。
 無邪気に志賀は言葉を続け、照れたように頭に手を触れる。
「秋月先生のクラスで嬉しいです、俺。先生は優しいしきれいだし…男にきれいだなんて、おかしいって笑うかもしれないですけど」
「……そんな、ことは」
 まるで奇妙な夢を、見ているようだった。
(令治なら、こんなことは言ったりしないけど…) 
「ずっとあなたと話してみたいって、思っていたんですよ。俺」
「あっ」
 滑るように志賀の手が触れ、秋月は赤くなった顔を隠すように俯いた。
(似てる…。まるで、出逢った頃の…僕が好きだった頃の、令治とそっくりだ)
「お互い、素敵な一年になるといいですね」
 その、微笑み方。
 胸を鈍い痛みが襲う。本当に好きだったのだ…、もう昔の話だけれど。
 そしてそれは、もう終わってしまった恋。戻りたいとも思えない。
(…意識、しすぎだ。こんなの、ただの偶然だ)
「うん。そうだね。…何か悩み事があったら、僕でよければ相談に乗るから」
「ほんとですか?俺、ずっと悩んでることがあって。
 先生が時間ある時にでも、ゆっくり話聞いてもらっていいですか?いつでもかまわないので」
 そのお願いに、思わず秋月は表情を緩ませる。
 生徒に慕われる嬉しさを、まさかこんな風に実感できるなんて思ってもいなかった。
「…来週くらいには、時間が取れると思うから。放課後でいい?」
「はい。ありがとうございます」
 秋月はそれじゃあと声をかけ、教室を出ようとした。
 ふと強い視線を感じて振り返ると、志賀が相変わらず微笑んでいるだけで。善意ではない粘着なそれが、一体どこからくるものなのかはわからないまま、背を向ける。
 憎悪に等しい眼差しを秋月から逸らすと、志賀は唇を歪めて笑った。こめかみが引きつる感覚に、きつく目を閉じる。
 春の嵐が窓を叩く音。クラスメイトに肩を叩かれ、ようやく緊張を解くのだった。


  2005.02.15


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