悪夢



 これは夢なんだと、秋月にはわかっていた。志賀に犯される自分を眺めている、後藤。志賀に抱かれた腕の中で喘ぎよがって、快感を得ている自分。
 どうしてこんな夢を見るのか…罪悪感なのか、欲求不満からなのか。
『ほら、お前のかわいい生徒に教えてあげればいい。自分がどんなに浅ましい教師なのか』
『アーッ!』
『背面座位だとよく見えるだろ?先生のいやらしいケツマンが、知らない男のチンポを旨そうに銜えて、しゃぶってるのがさ』
 見えやすいようM字開脚させられて、後藤がそれを凝視している。根元までペニスが深く出し入れされているのを、目だけではなくブチュグチュという音でも感じる。
『生徒に見られて感じるなんて、本当に変態教師だな。乳首もチンポもビンビンで、身体が疼いてしょうがないんだろ?文久』
『ああ…っ!はぁ…はぁ…見ないで……』
 後藤の顔なんて、見られない。目を閉じると余計に感覚が敏感になって、快楽を誘う。どうしたらいいのか、わからない。まるで二人で一つのもののように深い結合が、絶望を煽る。
『どうなってるのか、ちゃんと教えてあげなきゃ。先生なんだから。何がどう気持ちいいのか…』
『ん…ゃ……』
 後藤はずっと沈黙している。感情のない、まるで景色を見るような目だ。
『嫌?言えないの?文久の恥ずかしいケツマンコは、奥までずっぽり、俺のチンポでいっぱいだって。そうだ、君は知らないと思うけど…先生のケツマンは、女みたいにエッチなお汁が出ちゃうんだよなあ。中がマン汁とチンポ汁で、グッチョグチョになってる』
『ぁ、あ、嫌っ…!』
 逃れようとすると、殊更強く腰を打ちつけられる。
『お前が誰のチンポに突かれてるのか、生徒に教えてあげるんだ。俺の文久…』
(僕が本当に抱かれたいのは、こうして欲しい相手は…!)
『アッ、アッ、あぁん』
『秋月先生…。なんで……』
 怒りや悲しみというより、それは密やかで、不思議そうな声音だった。
『…ぁんっ…あ…!ひぁっ……ご、後藤くん……』
『なんで先生を抱いているの、オレじゃないんだろう』
「後藤くん…」
 秋月が目を覚ますと一人ベッドの中で、零れてきた涙を拭うのだった…。


   ***


 後藤は以前にも増して、居眠りがひどくなったと秋月は思う。
 今も教室にはおらず、「体調不良」と保健室で寝ているらしい。仮病かと思えばそうでもなく、真っ青な表情で具合が悪そうにしている姿も、何度か見かけた。
 羽柴も心配そうに彼のそばにいて、甲斐甲斐しく保健室と教室を往復している。自分にはその権利がないように感じられて、毎回通り過ぎるだけだ。彼のいる部屋を。倉内のこともなるべく避けた。もっとも彼は勘が良い方だから、気づかれているかもしれないが。
「文化祭が近いけど、みんな浮ついて怪我をしないように気を付けてください」
 恒例の職員会議で、言われたことを伝達して。
「フミちゃんも、ボーっとしてるんだから気をつけた方がいいぜ」
「アハハ、言えてる」
 いつもながらの野次に、秋月は唇をとがらせた。
「…宇野君、僕はボーっとしてるんじゃないよ。考え事してるんだよ」
「せんせえー、どう違うのか説明してくださぁい!」
「…注意事項追加ね。浮ついて、担任をからかわないようにしてください。ほら、井上君も起きる!」
 イコール仲の良さだなんて、前向きな考えには到底なれそうもない。
「先生俺、居眠りしてんじゃないよ。考え事してるんだよ」
「……………」
 自分がからかわれやすいたちなのだということは、何となくわかってはいたが。
 秋月は溜息をつくと、どうしたものかと文化祭のプリントを見つめる。これでは一向に、テーマが決まりそうもない。いっそ適当な数を記入して提出してやろうかなんて、とんでもないことが頭を過ぎった時だった。
「C組はいつも煩いな。お前ら、あまり秋月先生をからかうんじゃない」
 わざわざ隣りのクラスから、長谷川が顔を覗かせる。一瞬しんと、教室内が静まりかえった。
 嬉しいというよりは自分の未熟さに腹が立って、秋月は少し眉をしかめる。
「おおー、長谷川だ。フミちゃんに会いに来たんですかぁ」
「山本、お前放課後生徒指導室に来るか?」
「遠慮しときまあーす」
 顔が赤くもなりはしない。長谷川も、そして自分も。
「なら黙れ」
「キャーこわーい」
「フミちゃんを狙ってるって、ほんとですかぁ」
 それは気になる質問かもしれないと、冗談のように秋月は思う。
「小野、放課後生徒指導室に来るなら教えてやってもいいぞ」
「ハハハ」
 収拾がつかなくなってきた。
(どっちにしようかな…。伝統か、若さ溢れるか……)
 秋月ももう騒ぎにつきあうのはやめて、プリントと睨み合っている。ある意味、開き直りともいえた。そのうち飽きれば、静かになる。もしこのまま、授業が終わればそれもそれでいい。
「みんな、早く決めようよ。俺、放課後居残りとか絶対やだかんね。えーっと…『伝統と実りある、月丘二高・文化祭』に一票」
 周りに声をかけたのは羽柴で、彼は大声を張り上げて秋月を助けてくれる。
 これ以上つっこまれては困ると思ったのか、長谷川も自分の教室に戻ったようだった。
(…羽柴くん)
 何度彼の明るさや真っ直ぐさに、こんな気持ちになったかしれない。
「羽柴ぁ、それ真面目すぎじゃね?『若さよ溢れろ!月二フェスティバル』はどうよ」
「気合いがみなぎりすぎてて、しんどい」
「マジ、言えてる」
 とかく若い頃の思考というものは移り気で、秋月は笑いながら続けた。
「それじゃあ、多数決を取りたいと思います―――――」

 その頃、保健室では後藤が眠れずごろごろと寝返りをうっていた。
 養護教諭の阿部が微笑んで、片づけをしていた手を休める。その表情は、とても優しい。
「子守歌でも歌ってあげましょうか」
「いらねーよ」 
 阿部に背中を向けたまま、後藤はそっけなく呟く。
「誰かを待っているんですか?」
「羽柴なんか、待たなくたって勝手に来る」
「秋月先生とか」
 揶揄しただけでは上手くかわされ、はっきりと口に出してみる。
 後藤が苦しそうに息を吐くのが伝わって、阿部はベットから視線を逸らした。
「…先生か。大人って、よくわかんねえよ。オレ」
「私や秋月先生にも、君のような青春時代があったものですが」
「遠いんだ。すごく…距離を感じる」
 どんなに近くにいこうとしても、届かないような引かれた線。
「目線が違うでしょう。どうしたって、同じじゃいられない。
 それじゃあ、成長をしていないのと変わらない。そう、思いませんか?」
「成長しきったら、退化するだけか?」
 素朴な疑問を口にした後藤は、何度目かの欠伸を噛み殺す。
「難しい質問ですね。そんなことばかり考えていると、眠くなりますよ」
 目に浮かんだ涙を拭った。眠気は収まらないどころか、ますます酷くなるばかりで。
「眠いけど、寝るの怖いんだ…。最近、怖い夢ばかり見るから」
「何か、思い当たることでも?」
 言葉にするのもはばかられるほど、あの出来事は衝撃的だった。あれ以来秋月を避けて…だってどう、接していいかわからない。
「…うなされてたら、起こしてくれよ」
「だから最近、屋上へは行かないんですか?」
 それも一理はあるけれど、そんな大層な理由でもない。
「違うよ、寒くなっただろ。それだけだ、他に理由なんてない」
「そうですか」
「ああ」
 後藤は目を閉じる。眠気に勝てそうもなかった。
 夢の中では秋月が、自分を心配そうに見守っている。優しく髪を撫でられた。
「後藤くん、大丈夫なんですか」
「大丈夫ですよ。彼がそう言っていますから」
 阿部の声。
「もしかして、後藤くんは何か―――」
 夢ではないと気がついた瞬間、はっきりと目が覚めていて。
 後藤は秋月の手を払うと、久しぶりに驚いた表情と視線を合わせる。間に合った、そう思った。秋月を睨むのは、初めてかもしれない。
「出てってくれ…。先生もオレに知られたくないことがあるように、オレも先生に知られたくないことがあるんだ」
 その時の秋月の傷ついた顔といったら、言葉をすぐに撤回したいほどのもので。
 潤んだ瞳を隠すように目を伏せると、秋月は震える声でうなだれる。
「…ごめん」
 何か勘違いしたかもしれない。
「僕にはこんなことを言う資格は、ないのかもしれないけれど。早く後藤くんが、…元気になって授業に、出て…くれるのを待ってるから。僕の話なんて聞いてなくてもいいんだ…ただ、いてさえくれれば。僕は……」
 泣いている姿なんて見たら、抱きしめたくなりそうだ。後藤は俯き、唇を噛んで秋月の声を聞いていた。失礼しますとドアを開け、秋月はいつの間にか出ていってしまう。
 また、何か間違えたのだろうか?
「格好つけても、それが格好良いかどうかはまた別の話ですよ」
 阿部が肩を竦めながらそう忠告するから、苛ついたように、後藤は乱れた髪をかきあげる。
「そんなの、自分で格好良いと思いこめばそれでいいんだ。そんなもんだと思う、オレは」
「…君は本当に、いい男だと思いますよ。将来が楽しみだ」
 気休めにもなりはしない。
 カウンセラーだ何だとかいって、結局自分で解決するしかないなんて。
「今じゃだめなのか?今のオレじゃ、認めてくれないのかよ。アンタも…先生も」
「そんなに興奮しない方がいい。少し寝なさい」
「もう、起きた。教室戻る」
「そうですか。眠くなったら、またいつでも来なさい。後藤」
 大人の余裕というやつが、無性に憎たらしい。わざと煩い音を立て、ドアを閉める。のろのろと廊下を歩き、後藤は、不意に立ち止まった。
 視界に入ったのは、泣いている秋月を慰める長谷川の二人という光景。何を話しているかまでは聞こえない。瞬間、胸にやきついた感情は嫉妬。言葉は口先で詰まり、思いきり眉をしかめる。
「マサっ、調子はど―――――マサっ?!」
 まずいと思った。身体の力が抜けていくのが、自分でわかる。
 背後から、誰か受けとめてくれた。ああ、これはきっと羽柴の体温だ。
「起こして…れ…は、しば…」
 譫言のように後藤は呟く。羽柴はどうすればいいかわからず、ただその場に立ちつくしていた。
 悪夢ばかり見る。もしかしたらこれは全部夢で、目が覚めたらまた、いつもの笑顔で秋月が、笑っているのかもしれない。そうであってくれたなら…
 
 どこか遠くで、自分の名を呼ぶ秋月の声を聞いた気がした。


  2004.09.28


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