恋とは幻想を抱くもの



 いつもは静かなはずの図書室が賑わいを見せているのは、見慣れぬ団体の登場のせい。
 図書委員長の金本先輩が、いつもは穏やかな表情を迷惑そうに歪めながら彼らを追い出そうとしているのを、僕は陣内さんと仲良くカウンターに並んで、眺めていた。
 どうしてこんなことをいちいち報告しているのかというと、それはめったにない陣内さんの気まぐれで、僕は最高に気分が良い。うるさいのは嫌いだけど、彼らには感謝しなくちゃ。いつもは大抵司書室に引きこもっている陣内さんは、金本先輩の態度が面白かったんだろう、興味深そうにそのやりとりに夢中になっている。他人に興味がないなんていつも嘯いているくせに、こんな時ばかりはこの人は楽しそうだった。
「金本先輩は、相変わらずですね」
「相変わらずも何も、必要ないものはしょうがないよ。菊池がしつこいだけだ」
「あの人、誰なんですか?」
「新聞部だよ、新聞部。なんでも、次号の特集でこの図書室をメインで扱いたいとかなんとか」
 僕の質問にさも面倒くさげに陣内さんは答えると、それにしてもしつこいな、と感情を隠さない声で呟くものだから、僕は思わずまじまじとその顔を凝視してしまった。
「しつこいのとうるさいのと面倒くさいのは、私はあんまり得意じゃなくてね」
 そのどれにも自分が当てはまってしまった気がして、僕は思わず黙り込む。
「静のことじゃないよ」
 本当にどうしたんだろう、そんなに僕がわかりやすかったのか、珍しくフォローが入った。
「わ、わかってるけど」
「静は少し、私に幻想を抱きすぎる」
 だって恋ってそういうものだって思うんだけど、陣内さんは違うんだろうか。僕は否定も肯定もせず、溜息を殺す。少し、なのかすぎる、なのかどっちかわからない。陣内さんと恋の話をするのは止めておいた方がいい、って僕は身にしみて学習している。
 悪いけど、僕はまだまだ夢を見ていたいお年頃なんです。言えば嫌がるんだろうし、絶対に。
「君が倉内くんか、俺は菊池っていうんだ。よろしく。取材を受けてもらえないだろうか?」
「菊池、やめろ。お前、出入り禁止にするぞ」
 金本先輩が頑なだったせいか、矛先は別の人間…つまり僕に、向けられてしまった。
「図書便りがありますので、新聞で扱う必要もない、と金本先輩は仰ってるんですよね」
「今年は例年に比べて、図書室が賑わっているという情報があってな。理由を知りたかったんだが、どうやらそれは倉内、君らしい。コメントを、一つ二つでいいんだが」
「僕は特に…」
 取り立てて、何か変わったことをしている憶えはなかった。ただ陣内さんの傍にいたいから、毎日図書室に通っているだけの下心。不純な動機、それだけだ。
 陣内さんが好きだから、少しでもここを居心地の良い空間にしたい。できたらいいな、と思う。陣内さんて多分、好きなものはそんなに多くないんだけど、好きなものは確かに存在していて、その中の一つが図書室、という場所なんだとしたら。そこにいる僕もつられて好きになってもらえるんじゃないか、なんて淡い期待を抱いて日々を過ごして。
 …あ、そうだ。いいことを思いついた。
「司書の陣内さんに憧れていて、他の委員と一緒に、居心地の良い図書室を作っていけたらと思っています」
 陣内さんと、金本先輩と、菊池先輩の視線が一斉に僕に集まる。
 こんなのは愛の告白にも入らないから、顔が赤くならないように僕は自分で落ち着こうと笑顔をつくる。この宣戦布告が、全校生徒の目に晒されるなんて本当にドキドキする。
「そうか、ありがとう」
 菊池先輩は嬉しそうに微笑んで、押しが強かった物腰を和らげた。倉内がそう言うなら、と渋々ではあるけど金本先輩もようやく、インタビューに応じる気になったらしい。
「大体、どうして私なのか…」
 隣りで途方に暮れた呟きは、本当に訳がわからない、といった様子で僕は可笑しくなる。それと同時にせつないような、苦しいような気持ちにもなるから、本当にこの恋は扱いにくくて厄介。
 理由なんて必要?言ったところで納得もしないような人間に、そんなもの無意味だと思った。
「まだ、一年の四月だ。静」
 これからの日々を憂いてなのか、あと三年も一緒にいてくれる覚悟が…あるって自惚れていいのかな。今じゃなくてもいい。いつか、好きになってくれるかもしれない。
 その妄想だけで、僕は生きていける。陣内さんに、どう思われるかなんて関係ない。
「これから、ゆっくり陣内さんのことを知りたいし、陣内さんに僕のことを知ってもらいたいとも思うよ」
「面白い男ではないんだがね、私は」
「そんなの僕が決めることで、自分で判断してほしくないけど」
 話は平行線。陣内さんに僕の恋を奪う権利なんて、ないんだから。
「倉内、写真を撮らせてもらえないだろうか」
「陣内さんと一緒なら、喜んで」
「静」
 咎めるような、はっきりと感情を露わにした陣内さんの呼びかけ。
 嫌だ。逃がさない、逃がしたくない。絶対にいつか、これは僕が捕まえる。僕はとっさに陣内さんの腕を掴んで、眩しいシャッターを受ける。菊池先輩の腕に、神頼み。
 仕事を終えた新聞部ご一行は、満足そうに図書室を去っていった。
「手を離して。もう、いいだろう」
「ごめんなさい」
 冷えた拒絶に、思わず謝罪が漏れる。
 あなたのことを好きでいて、ごめんなさい。いつも、僕は困らせてばかりで。だけど、好きでいることを止めることはできないから。ごめんなさい。
 僕を一瞥した陣内さんは、何の表情もそこに浮かべてはいなくて、そのまま司書室へと消えた。その視線にいっそ蔑まれでもしたならば、僕の身体は、眠れない夜を過ごせそうなものなのに。

 刷り上がった新聞は、自分でも思った以上に僕の陣内さんへの思慕が、浮き彫りになっている気がした。いつもは見向きもしない代物を三部も購入したあたり、今回は新聞部に貢献したと思う。
 こんな機会は無理やりにでも自分のものにしないと、あの人とツーショットで写真が撮れるなんて思えない。
 この顔にキスがしたい。いつか僕を好きだと、言ってくれればいいのに。
 僕はこの恋に、夜毎そんな幻想を抱く。


  2006.12.27


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