リピート



 告白しよう、と決意するまでそう時間はかからなかった。僕は陣内さんのことが好きで、それを伝えたいし知ってほしいな、と思う。
 僕が図書委員で陣内さんが司書でおまけに同性だからとか、別にそういうことはどうでもよかった。大切なことは、今のところただ一つだけ。
「あなたが好きです」
 僕たち二人の他には誰もいなくなってから、静かな図書室で僕は想いを告げる。
 陣内さんの変化といえば、僅かに瞬きをしたくらいなもので、そんなことは知っている。そうかいた表情は黙り込んだまま、なかったことにされてしまうんじゃないかと心配するくらいに、長い沈黙を続けた。熟考しすぎだ。
 一番最初に気づいてしまえば、陣内さんの読書録は僕にとって新しい世界を広げて、それがとても嬉しかった。そんなことをぼんやり考えながら、返事を待つ。
「静が他にもっと大切なものを見つけて、大事にできたら考慮してあげよう」
 …そんな返答は、予想もしてなかった。
「その先で、それでも静が私のことを好きだと言うなら…」
 大人は、ずるい生き物だということを知る。
 こんなものは、失恋とは呼べない。

 外に出ると春特有の温い空気が、身体を撫でて気持ち悪くなる。保健室で熟睡していました、と見た目にも明らかな後藤と鉢合わせして、一緒に帰る羽目になった。
 一人でいたいような、誰かに傍にいてほしいような複雑な気分だったから、後藤は丁度良かったかもしれない。後藤の距離の取り方は、僕にとってけっこう居心地の良いものだから。
 先に沈黙を破ったのは僕で、後藤ときたら話がない時は、平気でずっと黙り込むような男だ。
「後藤の大切なものって何?」
「それは、これからできる予定」
「うわ、やっぱり参考にならない…」
 肩を落とす僕に、後藤は興味深そうに問いかけてくる。
「何、大切なもんを探してんの?静は」
「そうだよ。重要な問題でね」
「へえ。見つかんねえなら、オレにすれば?」
 そんなことをサラッと言った後、後藤は欠伸をした。…後藤は多分、何も考えずこういうことを言えるんだろう。これが陣内さんだったら良かったのにな、と思ったけどそんなことを言う陣内さんなんて、陣内さんじゃない。
 後藤の言葉が、よっぽどわからなかったんだろう。僕はそこまで思考を逸らし、唇をとがらせる。
「話の流れの意味がわからない」
「そしたら、良い気分じゃん。オレが」
「バーカ」
 自分の感覚で会話するなとか、色々言ってやりたいことはあった。
「別に、焦る必要ないだろ。オレたち若いんだし、そのうちな」
 後藤は時々こういう悟ったようなことを呟いて、どこか遠くを見るような目をする。励ますでもなく自分に言い聞かせているように聞こえるから、僕は深く溜息をつくのだった。
「…そういうこと言ってる間に、あっというまに卒業して大人になりそうで怖いよ。僕は」
「オレは、早く大人になりたい」
 初々しさの欠片も見あたらない隣りの男は切実にそう希望を告げて、眠そうな瞼を擦った。
「今でも十分、高一になんて見えないけどね。後藤の場合」
「中身が伴わないと、意味がない」
「大丈夫でしょ、成長期なんだし。僕たちは」
 立場が逆転してしまった。持ちつ持たれつ、僕たちは本当に五十歩百歩。それを多分、お互いどこかではわかっている。
「何かを超えたい」
「何かって、何?」
 僕もそれを超えないといけない気がする、今はまだ、それが何かはわからないけど。
「わかってるなら、何かじゃなくてそれを超えたいってちゃんと言うだろうが。馬鹿だな、お前」
「馬鹿に馬鹿って言われたくないよ!馬鹿」
「…チッ、くだらねー」
「ほんとにね」
 どうでもいい口喧嘩は、すぐに収束を迎えた。
「なあ、腹減らね?あそこ入ろうぜ」
「やだよ」
「奢るけど」
「…ナポリタンが食べたい。あと、ドリンクバーもつけて」
「へいへい」
 後藤からこういう誘いを受けたことは初めてだったから、もしかしたら落ち込んでいるように見えたのかな。そう疑問に思ったけど訊くことはできずに、僕たちはファミレスの中へ入った。本当は、あんまり食欲なんてなかったけど…。無性に今、ナポリタンのケチャップを味わいたい気分だった。
「あのさあ、」
 言いにくそうにきり出すから何の話かと思えば、後藤は欠伸をして眠い目を僕に向ける。
「悪い、眠い…。十分つきあって。…っぷん、たったら……起こし…」
「いやっていうか了承する前に寝るのやめてくれる本当」
 崩れるように、後藤は眠りに落ちていく。こんな場所では寝づらいだろうに、きつく閉じた目。…別に、いいんだけど。
 ああ、振られちゃったんだな。あの返事は、限りなくグレーに近い黒だと思うし。遠回しに拒絶されてしまった。一人取り残されると思考回路が、陣内さんのことをリピートする。僕の頭はそればかり。
 陣内さんって、エッチとかするのかな。なんかちょっと、不感症みたいな感じがしなくもない。ストイックっていうのとは違う、何だろうなあの雰囲気は。他人を寄せ付けない、引かれる距離。
 厄介な人を、好きになってしまった。なんだか今頃、悲しさが込み上げてくる。
 振られたせいだというよりはむしろ、陣内さんがそういう風になっているのは悲しいな、と思ったら急に鼻がつんとして、泣きそうになってきてしまった。ねえ、そんなのは僕は嫌だよ。寂しいよ。
「……うっ…」
 どうせ後藤は起こしても起きないし、今のうちに泣いてしまおう。
 我慢していた気持ちが堰を切り、僕はハンカチを瞼に押しつけて思う存分涙を流した。


   ***


 翌日はいつも通りの放課後が、僕と陣内さんを待っていた。少しだけ顔を見るのを緊張していたから、授業が身に入らなくて、時々注意されてしまった。教科書を開いても目を閉じても、考えるのはただ一人のことだけで。
 僕も陣内さんも、あんな告白の後お互いを避けるような人間ではないことだけは確かなんだから。
「倉内、顔色が悪くないか?疲れているなら、たまには家でゆっくり休めばいいよ」
「大丈夫です、金本先輩。ありがとうございます」
 図書委員長の金本先輩は、おっとりしている割に鋭い勘を働かせ僕を心配そうに眺めた後、同意を求めるように、陣内さんへと視線を向けるのだった。  
「そうだね。静、帰りなさい」
 それはどちらかといえば、有無を言わせない命令と表現した方が正しいくらい。
「ありがとう、陣内さん。でも、僕は平気だから」 
「それならいいんだがね」
 陣内さんはいつも言葉尻に含みを持たせるから、僕はいちいちその意味を考えるなんて疲れることはしない。いいといえばいい、そういう風に解釈することに決めているから。
「陣内さん」
 呼びかけると一瞬だけ、陣内さんは僕に何を言われるのか緊張したような空気を走らせる。それが僕に伝わるあたり、わざとそういう風に振る舞っているのかもしれないし、違うのかもしれない。
 どうとでも取れるこの人の言動は、今まで培われてきたもので、これからもきっと変わらないんだろう。もしかしたらそうすることによって、僕が未だ知らない陣内さんの何かを、守ろうとしているのだとしたら。僕は陣内さんを傷つけるつもりはこれっぽっちもないんだから、安心してくれればいいのに。
「僕はまた、何度でも陣内さんに同じことを繰り返すよ。好きだから」
「勝手にしなさい」
 呆れられたのだとしても、それは赦しをもらえたのだと僕は誤解する。
 同じ事を繰り返すようでいて、その度に少しずつこの関係が変わっていくことを願った。

 いつかきっと、あなたの一番大切な人になることを赦してほしい。


  2007.01.14


 /  / タイトル一覧 / web拍手